反省(弁明)


詳細版 問4〜問8に寄せられたご意見を承けて


設問   回答   謝罪


 

「詳細版」 問4〜問8の設問

問4  「脳死」臓器移植を行う際、「脳死」した人の体にメスを入れると「脳死」した人の体が動いたり、涙を流したり、血圧が上がったりすることがあります。そのため、レシピエントのみならず、ドナーにまで麻酔が施される場合があります(アメリカでは確実に麻酔が施されます)。
 それでも移植を受けられる人は移植を受けるべきでしょうか。
問5  臓器移植を受けた人は一生免疫抑制剤を用い続けなければ生きてゆけません(遺伝情報が重なる一部の例を除きます)。免疫を抑制すると感染症に罹患する恐れが高くなりますし、免疫で臓器が生着せず、あるいは免疫抑制剤の副作用で臓器不全になり、更に臓器移植が必要になるレシピエントの方もいますし、移植を受けずにいた場合に予想された余命よりも短い一生を終える方もいます。
 それでも移植を受けられる人は移植を受けるべきでしょうか。
問6  臓器不全がある一線を越えて深刻化した患者には臓器移植が考慮されず、そういう方々は死を見つめ、死を待っています。
 それでも移植を受けられる人は移植を受けるべきでしょうか。
問7  高額な医療費の負担を強いるため、移植医療は平等な医療ではないという意見があります。
 それでも移植を受けられる人は移植を受けるべきでしょうか。
問8  日本が早期に「脳死」臓器移植を容認して「脳死」に近接した人への治療を放棄していたなら、脳低体温療法という医療技術は生まれ得ませんでした。「脳死」を容認することは、新しい医療や脳生理学、脳臨床学などの発展を妨げることにつながる恐れがあります。
 それでも移植を受けられる人は移植を受けるべきでしょうか。



 

問4〜問8に関して寄せられた記述回答の内容

 
問4〜問8は、設問が…
誘導的である******
「脳死」に対して否定的である*****
偏っている****
客観性に欠ける**
(複数に言及した回答もございました。)
問4〜問8に対して寄せられた具体的な記述回答を読む



 

上記回答に対する弁明と謝罪

一.長い弁明

  1.アンケート作成者の立場

  2.問4〜問8 誕生の経緯

  3.あさはかな石田

  4.回答の考察と反省

二.謝罪

三.今後の展開
 

一.長い弁明

 

1.アンケート作成者の立場

 アンケートを作成した石田は、「脳死」臓器移植を容認しない立場にいます。理由は、

(1)「脳死」は「脳が死んでいる状態」ではないと考えている。1997年10月に制定された「臓器の移植に関する法律」(「臓器移植法」)の大部分も容認できない。「脳死」と判定された脳が完全に機能を停止している場合は事実として非常に稀であるし、何を以て「脳が死んでいる」とするのかは、それと向き合った個人の持つ宗教観や哲学、死生観などに左右されるし、何を以て「人間の死」とするのかも人それぞれによって異なり、またその定義でさえ、本人の場合・本人と親しい人の場合・本人とは親しくない赤の他人を考える場合とでそれぞれ全然異なるものであることがほとんどであると考えている。
 わたしが「臓器移植法」の大部分を容認しない最大の理由は「素朴な違和感」という多分に感情的なものである。いくら論理が素晴らしくても、また「ひと助け」になるものであると考えられていても、感覚的・感情的あるいは直感的な違和感をぬぐい去れないものは容認しない方が良いと考えるため、素朴な感情に根ざした論理を優先し、論理のスパイラルに陥ってしまうことを避ける。これは自分の感情に素直になるということであるのかもしれない。素朴な感情を裏支えするために論理を持ち出すのである。これはこの問題に対して賛成・反対の主張を明確に打ち出している論者にある程度以上に共通する傾向なのではないだろうか。

(2)「死んでいるのか生きているのかは問題ではない。「脳死」と「判定」されたあとの臓器摘出を「自己決定」している者からは摘出して良いのだ」とする考え方にも賛成できない。「自己決定」や「死」は、「自己決定」したり、死んだりする当人に閉じた概念ではないと考えているからである。

(3)茶番劇的醜態を晒すことを主目的としているかのような昨今の国会を見、国会議員有志がそれに反対する会を結成するなどしている状況を見るにつけ、目下の危機は脱したようにも感じられるが、今秋に来ると予測されていた「臓器移植法改正案」(町野案)には反対の立場である。
 その法改正を視野に入れ、以前は「3.私は、臓器を提供しません」に○をつけていた「臓器提供意思表示カード」(ドナーカード)も破棄した。「自己決定」にこだわるのは得策ではないが、それでも意思表示を優先した方が良いのは間違いないだろう。それ故、「臓器移植法改正案」(町野案)には反対せざるを得ない。
 「自己決定」と、その対概念といえる「パターナリズム」の両者を超える基盤を手に入れたいと考えているが、それが何であるのかについてはまだ具体的に解っていない。

(4)「脳死」がどういうものかを多くの人に誤解させたままで移植医療を推進しようとしている推進派の動向には疑義を呈さざるを得ない。

(5)「脳死」に近接したすべての人に「脳死」判定を行い、そのすべての人が「脳死」と判定され、そのすべての人が臓器提供をしたとしても、臓器は足りず、臓器の提供を受けられずに亡くなるレシピエント候補の方は出てしまう。また、不摂生や癌、糖尿病などで臓器不全になった方や、臓器を移植しても再び臓器不全になる恐れの極めて濃厚である臓器不全の方は、そもそも臓器移植を受けられない(国外では可能である場合もあるようだ。)。これは不公平と言えると考える。だが、「医療というものはそもそも不公平なものである」とする考え方にも首肯してしまう。

(6)「脳死」臓器移植の根底には、「人間は死ぬものである」という、受け容れがたく、かつ受け容れざるを得ない事実に向き合い、凝視し、その事実から何かに気付く、気付かせていただくという機縁を、レシピエント候補から奪いがちな何物かがあるのではないかと考えている。

(7)「脳死」臓器移植の根底には、生を賛美・肯定するあまり、死を全否定してしまう何物かがあるのではないかと考えている。全否定していないとしても、肯定しているのは死に含まれる「有用性」に関した部分だけなのではないかと考えている。
 いまだ明確な概念とはなっていないし、いつ死んでも良いと考えているわけでは全然ないが、それでも、死は敗北以外の「何か」であるのでは、と考えている。

(8)「脳死」臓器移植の根底には人間の肉体を置換可能な部品であると捉える考え方があるのでは、と考える。
 ES細胞(胚性幹細胞)の培養による臓器培養や神経組織培養の技術が確立されていくことに伴って、この考え方も確立されていくのではないかと思われるが、これは罷り間違えば人間そのものを置換可能なものであると捉える考え方に遷移する危険を孕んでいると考える。これはまた、臓器売買を表だって容認する方向に進むのではないかと考える。
 それと関連するが、現在行われている「脳死」臓器移植は、匿名的な人肉食と或る意味で同等だと考えている。現在研究途上にあるES細胞の培養による臓器培養や神経組織培養の技術が確立されたり、ブタなど他の動物の遺伝子を操作してヒトの臓器を「製造」し、その臓器を移植する「異種移植」の技術が確立されたりすれば、他人の臓器提供を待たずとも臓器は非常な高額ながら購入すべきモノとなるのだろうが、しかし現在は他に方法がないから、誰の臓器でも良いから欲しているのである。このような現状は、綺麗事を排して言えば、匿名の人肉食と言えなくはないだろうか。

 などなどです。

 そのような理由で、わたしは、一律的な「死」の概念を「理解」することを迫り、「受容」することをも迫る「脳死」臓器移植を容認することができません。


 

2.問4〜問8 誕生の経緯

 わたしは上記のように考えています。そのような立場から、なるべく公正で冷静な、客観的データを採ることを目的としてアンケートの設問を作成しました。

 いろいろな事実を知る前、いろいろな物事を突き詰めて考える前の無邪気だった頃のわたしは、「脳死」を「脳が死んでいる状態」だと単純明快に考え、救いようがないほどに誤解したままでした。その「死んでいる」という言葉は「完全に機能を停止している状態」を意味していたと考えています。わたしは脳が人間の思考の座・アイデンティティの座であるとする科学的な見方にある程度は賛成しているため、それを「脳が死んでいる状態」と単純に結びつけ、「脳死」が人間の死であると考えていたのです。

 しかし、ことは左様に簡単なものではありませんでした。

 まず立花隆の「脳死」三部作(中公文庫)を読み、考えることで、「脳死」が巧妙に仕組まれた約束事に過ぎないことを知りました。また、NHKが数年前に特集番組で紹介していた「脳低体温療法」を知り、愕然としました。また、現在の「脳死」臓器移植は「脳死」を自分の「死」と認定する「自己決定」の考え方に基づいていますが、小松美彦の『死は共鳴する』(勁草書房)や、加藤尚武・賀茂直樹編著の『生命倫理学を学ぶ人のために』(世界思想社)や、森岡正博の『生命学への招待』(勁草書房)、立岩真也の『私的所有論』(勁草書房)などを読んだり、「医療を考える会」(主宰:山口研一郎)のシンポジウムや講演を聴講したりし、それに基づいて考えることで、「自己決定」という考え方にはそもそも限界がある、という、現時点での結論に達しました。また、「死」はそもそも死ぬ人にだけ閉じられていないということ、死は、死ぬ人のものでもあるが、周囲に開かれているものでもあることを知りました。また、医学的な場面で判定される「死亡」と、わたしが受容する彼(女)の「死」との間には確実な断絶があるという事実を知る機会をも、実際に親しい人が亡くなった時に感じたことをもとにして考えることで、得てしまいました。

 わたしは、なるべく公正で冷静な、客観的データを採ることを目的としてアンケートの設問を作成したつもりでしたが、上記のようなわたしの理解が、そしてそれを他者に対して「啓蒙してやろう」と考える傲慢な心持ちとが悪い具合に絡み合うことで、「詳細版」問4〜問8のような設問が誕生してしまったのだと考えています。


 

3.あさはかな石田

 アンケートは「対象者に何らかの回答をすることを半ば強制し、しかもあらかじめ設えた選択枝の中から回答を択一させ、争点となる視軸を規定し、そしてアンケートの結果が世論に影響を及ぼしていくという、いたって操作力に優れた一種の武器」(小松美彦『死は共鳴する 脳死・臓器移植の深みへ』勁草書房 1996(P146))です。しかし小松氏のこの記述は質問を冷静に組み上げた人間が武器として利用することを戒めた文言なのでしょう。わたしが問4〜問8を問うことで試みようとしたのは、それに遙かに及ばない、全くあさはかなものでした。

 アンケートは、対面で時間をかけて行うものでない限り、

 (1)設問そのものに対するご質問をいただく
 (2)何をおうかがいしたくてこのような設問をしているのかはっきりさせる
 (3)お答えいただく

 ということが全く出来ない、という状態で実施される危険な試みのはずです。
 わたしはそのことを知っているつもりでした。でも、それは全く「つもり」に過ぎませんでした。

 「アンケートに答えていただく大部分の方はこのような事実を知らないに違いない。ならば、わたしはこの事実を伝えなければならない。わたしが知って戸惑い、この問題に対するわたしのスタンスを180°変える原因の一部となったこれらの事実を他の方にも知っていただかなければならない。」

 わたしは無邪気にも、愚かにも、そう考えました。また、

 「ここまで誘導的に問えば、それでも本気で「受けるべきだ」と書く方の意見の本質を知ることが出来るのではないか。」

 そう期待してもいました。

 しかしアンケートの公開からほどなくして寄せられた回答を読ませていただき、わたしは自分のあさはかさを知ることとなりました。


 

4.回答の考察と反省

 アンケートの設問そのものに対する疑義を表明されている意見は、

      ◇ 設問への違和感
      ◇ 誘導的である
      ◇ 設問者の態度を出しすぎている
      ◇ 賛成している人はどう思うだろう
      ◇ 偏っている
      ◇ 煽っている
      ◇ 客観的でない

 という指摘の内容でした。また、中には「このページの設問については意図的にある回答を誘導する形式をとられていますのですべてに保留させていただきました。」という宣言もありました。

 わたしは、アンケートの設問を作るにはいささか主観的すぎたと思います。
 「脳死」臓器移植に反対している人の中にさえ違和感を感じる方がいらっしゃる設問なのです。そのような設問に、賛成の方にどのくらい回答していただけるでしょう。
 「このページの設問については意図的にある回答を誘導する形式をとられていますのですべてに保留させていただきました。」とお答えになった方は、それでもアンケート自体には答えてくださいました。しかし「脳死」臓器移植に賛成の立場の方の中には、これら問4〜問8の設問を見て失望し、設問への回答を終了し、他のサイトに移って行ってしまわれた方もいらしたかもしれません。

 「賛成の方の意見が聞きたい」という意図をもってアンケートをするのであれば、賛成の方の多くにも回答していただけるような設問を作るべきです。無理強いするような設問をしてはいけないはずです。わたしはそこに思い至る前に設問内容の検討を終了し、公開していまいました。
 また、アンケートで設問するのと、他人に事実を伝えるのと、全く違うことを一度にしようなどと欲張ってもいけないはずです。
 わたしは非常に主観的でした。主観的すぎました。


 

二.謝罪

 慥かに、アンケート作成者の石田が「脳死」臓器移植に反対する立場にいるのは事実です。しかしだからこそ、このような作為的で誘導的な設問はするベではなかったと、反省しております。
 このように稚拙な設問をしてしまい、誠に申し訳ありませんでした。わたしの考えを押しつけるような設問をしてしまったことをお詫びし、謝罪します。本当に申し訳ありませんでした。

 また、このように主観にまみれた、非客観的な設問を抱えた「詳細版」に、それでもご回答やご意見をお寄せいただくことでご協力いただきました多くの方々。本当にありがとうございました。
 また、記述回答で設問の非を指摘してくださいました多くの方々。本当にありがとうございました。
 また、設問を見て去って行かれてしまわれた、決して少なくはないと思われる方々。面と向かってではありませんが、そのようなかたちで設問の非を指摘してくださいまして、本当にありがとうございました。


 

三.今後の展開

 今後の「詳細版」の問4〜問8につきましては、今までにいただいたご回答のデータは保存・公開させていただきますが、設問は伏せることにさせていただきたいと考えております。
 問4〜問8にさまざまなかたちで関わってくださった全ての皆様。本当に申し訳ありませんでした。そして、ありがとうございました。



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