SF・文学

一億三千万人のための小説教室 2003/03/27
坊ちゃん忍者幕末見聞録 2003/03/27
エンダーのゲーム 2001/01/13

一億三千万人のための小説教室
高橋源一郎 岩波新書 2002年 【bk1】

 2001年放送のNHK「課外授業 ようこそ先輩」で小学生に「小説の書き方」を教えていた高橋源一郎が…、

 デビュー作である『さようなら、ギャングたち』【bk1】で詩の教室やその先生や生徒との心温まる(?)やりとりを描いていた高橋源一郎が…、

 『官能小説家』【bk1】で赤い髪の女の子に美男子が小説の書き方を教えている場面を描いていた高橋源一郎が…、

 …ついにこんな本を書いてしまった。(>_<。)

 …ええ、ある意味、わたしはこういう本を待っていました。

 小説の書き方を手取り足取り教えてくれてるのに、しかも読んでるときは本当に「うわあ、ためになるなあ! ほんとに書けそうだ!」と思えるのに、…読了後にいざ「小説」を書き始めたら全然書けなかったり、書けたとしても「わたしってこんな“小説”が書きたかったのかしら?」と落ち込んでしまったりする「小説の書き方」の本とは全然違うアプローチの、真性「小説教室」の本です。わたしはこういうタイプの「小説教室」の方が断然好きです。

 小説が書きたい! と思っている方にはもちろんおすすめです。

 アタマを別の角度からどつかれてみましょう。

 高橋源一郎の新作を待っていたヒトにもおすすめです。

 彼が『さようなら、ギャングたち』や『ゴーストバスターズ』【bk1】や『官能小説家』を書いた必然性がわかると思います。

 やっぱりこの人は、「書くべくして」というやり方で小説を書くヒトなんです。しかも、「書くべくして」というやり方じゃなければ書けないヒトです。前々からずっと感じていたけれど、この本を読んでそれがまた改めてわかったような気がします。

 読んだ方はたぶん読了後に間違いなく気づくと思いますが、ネタバレではないので あえて言いますと、この本は「小説教室」という体裁を取って岩波新書から刊行されているのに、なのに、実は、最初から最後まで小説なんですね。

坊ちゃん忍者幕末見聞録
奥泉光 中央公論社 2001年 【bk1】

 ストーリィをかいつまんで乱暴に紹介すると、夏目漱石『坊ちゃん』の主人公なみに人物の特徴を読者にわかりやすく説明する術に長けた主人公が、幕末に、本州の北東の方から江戸を目的地にして幼なじみとともに出発し、まずは京都に入る、そしていろいろな人物との交流やいろいろな出来事を経て成長していく……って感じの話です。

 同じ幕末を舞台にした諸作品を遺した司馬遼太郎の作風とは全然似てません。司馬の作品は主人公が歴史上の人物ですが、この主人公は今のところまったく無名です。いやヒトだけに名前はあるけれど、歴史に名を残した人にはなりそうにないです。でも同時代の結構コアな人物、たとえば清河八郎や、サカモト、壬生浪、禁裏界隈、いろいろ出てきます。

 なんか、今までの奥泉氏の小説っぽくないです。怒濤のように押し寄せる論理・論理の内面描写もなければ、一体小説のどの部分から用意されていたのかわからない奇妙で気持ちの良いクラクラのカタルシスもない。

 でもどことなく奥泉っぽいです。よくわからんねこんな言い方じゃ。でもあまり言うとおもろないでしょ。と言いつつもう少し(をい)。

 「みやこ」としての当時の京都に生きた人間の顔や、話していた言葉などの雰囲気がリアルに漂ってきます。こんなに濃いぃ顔の人たちが田舎言葉丸出しで全く気にせずに、しかも意思の疎通もほぼ完璧に成し遂げながら平然と生きていられたのだなあ、と、変に感心しました。小説だから虚構なんですが、それを忘れてしまうくらい、もう本当にどうしようもないくらい、皆んな自由闊達に生きてます。  でも、そりゃそうですよね。当時の京都を形作っていた熱気は尋常じゃなかったのでしょう。今の東京もそうですが、都会は人間に厳しく定住しにくい場合が多いから勢い田舎者の比率が高いのです。でも古参の田舎者は新参の田舎者をなぜか馬鹿にしたがる。……そういう均質化された負的なイメージもこの作品の中に慥かに少しはあるけれど、でも大部分はそんなことなど構ってられない、勢いの良い田舎者ばかりで、とても明るいです。

 1994年に芥川賞を獲った『石の来歴』と同じくらい売れても良いかな、と思います。奥泉氏には『ノヴァーリスの引用』(集英社 1993年)という野間文芸新人賞・瞠目反文学賞を両方獲った超絶的な名作があるのですが、その本、今ではどこで探してもヒットせず、蔵書してる図書館などでしか読めなくなってしまってます。奥泉ファンのわたしとしては、この本が少しでも多く売れて、「なんだ奥泉って売れるじゃん?」と気をよくした出版社が「奥泉全集」の刊行でも計画してくれないかなあと、淡い期待を抱いています。

 念のために申しますが、奥泉氏のファンじゃなくても全然楽しめる本だと思います。たとえば和田慎二『あさぎ色の伝説』(白泉社)に出てきた人間の顔を思い浮かべながらでも問題なく読めます。

エンダーのゲーム
ENDER'S GAME 1985
オースン・スコット・カード ハヤカワ文庫
野口幸夫=訳 1987 【bk1】

エンダーのゲーム

 同タイトルで1977年に発表されたデビュー作(短編集『無伴奏ソナタ』に収録)を長篇化した作品。

 近未来の人類が、アリをそのまま大きくしたような形状をした地球外知的生命体(「バガー」と呼称される)に侵略され、しのぎ、再び侵略され、撃退し、そして来るべく「第三次侵攻」に備えている。全地球的な対「バガー」的軍事組織「IF」(国際艦隊)は、世界中から天才少年・少女を「ザ・ベルト」(小惑星帯)の「バトル・スクール」(戦闘科)に集め、恐るべき軍事英才教育を行っていた。

 「エンダー」は主人公の名前(本名アンドルー・ウィッギン)。紆余曲折を経てバトル・スクールに入学した彼は、かつてバトル・スクールで学んだ誰よりも激しく天才ぶりを発揮していくこととなる。

 ストーリーはここまでしか紹介できない。とにかく、圧巻。

 この作品を短く効果的に評すれば、「ラグビーみたいな作品」ということになるのではないか。

 ラグビーには陸上競技・球技・格闘技などの基本的な要素がすべて盛り込まれている。プレーヤーはボールを求めて走り、跳び、対戦相手を掴み、転ばせ、ねじ伏せ、ときに蹴り、殴る。ボールは掴まれ、投げられ、蹴られ、受け取られ、めり込まん勢いで地表に激突させられる。
 読者を引き込むストーリーが展開する中で、この作品にはおよそ全ての文学的モチーフが登場すると言って過言ではないし、また、その要素がすべて超一流の水準に達していると言っても、いくら筆舌を尽くそうとしてそう言っても、この作品から受け取る感動を十全に言い尽くすことは出来ない。

 アメリカでSF作品に送られる最も権威あるヒューゴー・ネビュラ両賞を受賞。

 翌年に発表された続編『死者の代弁者』(SPEAKER FOR THE DEAD)も両賞受賞。同一作家が二年連続で両賞を受賞したのは史上初。

 更なる続編『ゼノサイド』もあるが、また姉妹編『エンダーズ・シャドウ』もあるが、これらはお勧めできない。恐らく読まなくて良い。

 読むべきは『エンダーのゲーム』と『死者の代弁者』である。



死者の代弁者(上【bk1】・下【bk1】)
SPEAKER FOR THE DEAD 
表紙画像 表紙画像

 …と褒めちぎっておいてなんなんですが、わたしがこの作品を紹介した友人の一人は「オレこういうの駄目」と言っていました。わたしの個人的な評価が高いだけかも知れません。

 創刊500号を記念して実施された『SFマガジン』誌上での「オールタイムベスト」(1998年1月号。2月号は日本SF特集)では、20位。好き嫌いが分かれる作品かもしれません。