思いやりと優しさが圧殺するもの PHP新書 1997
【bk1】
本書は、現在のこの国の、微に入り細を穿ったやり方で「対話」の機会が封じられ、閉塞しきっている状況を心の底から憂え、それを少しでも変革できれば、という願いを込めて書かれたものである。
「会話」は「対話」ではないし、「ディベート」も「対話」ではない。「会話」や「ディベート」は相手の言葉の全部を受け取らずとも成立するが、「対話」は、そのようなやり方では決して成立しないものなのである。
完全な私事だが、高校生の時に同じ塾に通っていた友だちが、彼の父親と彼の別の友だちが「会話」をしているのを聞いた感想として、「俺の父さんもTもお互いの話を全然聞かないんだ。お互いにお互いの話を全然受け止めてない。でも、お互いに話したいことだけ話して、それで満足してるみたいなんだ。聞いてるこっちはすごくイライラするんだけど、父さんとTは相手が聞いてるかどうかは全然問題にしてないみたいで、それで、お互いに好きなことが話せるから、とても仲がよくなってしまったみたいだ。」と話していた。
彼の父親と彼の友人のTがやってるのは、キャッチボールではない。お互いにたくさん球を用意して、それを相手の方に向けて、相手には当たらないように投げ続けているだけである。彼らはグラブを持っていない。そもそも彼らには相手の言葉を受け取る気などないのだ。ただ喋りたいだけ。これは「対話」ではない。
相手に何も期待せずに言葉を一方的に投げかけて満足する。その言葉を本来受け取るべきと思われる側にも、それを受け取る気はまったくない。これと全く同様のことが、この国の各所で、今日もおおっぴらに、何の問題もなく、粛々と行われているのである。このやり方があまりに一般的なため、多くの人はこのオカシサに気付かない。だからこの国はとてもうまくいっている。
『ココが変だよ日本人!』を見るまでもなく、本当にこの国はちょっとおかしいようだ。(この番組まだあったっけかな? 2003年3月27日 付記)
そのことにまた一つ気付くきっかけを与えてくれる本である。