2003年7月16日 成田→シアトル→アンカレッジ 《ザ・エグゼクティブ・スーツ・ホテル》
予定便のキャンセルがあり1時間遅れで到着、空港よりホテルのシャトルを呼び、3時チェックイン。 キャンプ・アラスカ集合場所となるザ・エグゼクティブ・スーツ・ホテルは空港近くにあり、周りにはレストラン、ファースト・フード店、コンビニがある程度だが、部屋は1LDKで広く朝食つき。
夕食:市内バス(ピープル・ムーバー)でダウンタウンへ(往復乗るのでワンデイ・パスを購入)やまやさんでアラスカ丼を食べる。 近くのコンビニでアラスカン・アンバーを6本購入し部屋で飲む。 お、お、おいしー。
2003年7月17日 アンカレッジ滞在 《ザ・エグゼクティブ・スーツ・ホテル泊》
市内バスでREIへ。 キャンプ用品特に寝袋やパットのレンタル金額と購入金額をチェック。 今日はこまごました物のみ購入。 どの店員さんも商品説明をしっかりしてくれ、不要なものは不要と教えてくれるので、購入した時から愛着がわく。
夕食:近くのドライブ・インでサラダをたっぷり。 夜には部屋でアラスカン・アンバーをぐびり。 !
2003年7月18日 アンカレッジ滞在 《ザ・エグゼクティブ・スーツ・ホテル泊》
実はキャンプ・アラスカの人に3日も滞在するなら、どこそこへ行ったらと薦められたが、時差ボケ修復とキャンプ用品準備のため拒否。 今日もREIへ。 REI近くの本屋、登山用品店、スーパーCARRSなどもまわる。 寝袋&パッドはレンタルはやめ、購入することに決定。 アンカレッジ・デイリー新聞第一面に「デナリに雨、雪、洪水」とあり、キャンプ用荷物は長袖に変更。
夕食:CARRSのオリエンタル・デリで寿司やスープ、サラダ、果物を豪勢にお安く、スーパー内の食事エリアで食べる。 再びコンビニでアラスカン・アンバーを行きずりの人と6本組を3本づつシェアーし購入。
2003年7月19日 キャンプ・アラスカ参加 デナリへ 《グリズリーベアキャンプ場テント泊》
ガイド氏によるメンバー紹介があり、お互い全員と握手。 スーツケースなどの荷物をバンの屋根に乗せ出発。中高年夫婦が3組、独身女性3名というメンバーの中で荷物をバンの屋根に乗せる手伝いができる背丈の人は3名のみ。
快晴のデナリ。 ナショナルパーク内のグリズリーベアというキャンプ場でテント設営(2名1テント)。 ガイド氏が食事準備をしてくれている間シャワーなど自由行動。 深夜1時に眠れず、薄明るいキャンプ場を散歩する。
夕食:鉄製大鍋(ダッチオーブン)による白身魚&ポテトのクリーム煮バジル風味、 サラダ、ライス などなど
2003年7月20日 デナリにてキャンプ 《グリズリーベアキャンプ場テント泊》
メンバー全員(除くガイド氏)でナショナル・パーク・バス・ツアー。 カリブー、ムース、グリズリー、ドールシープと次々に現れるし、デナリはクッキリ快晴、双眼鏡だ、カメラだ、サングラスだで、もうたいへん。 アイルソン・ビジター・センターにて解散自由行動。 空の青、山の白、木々の緑、地面の茶色のコントラストは完璧すぎて表現のしようがない。 ひっそりと咲くすべての花を写真に収めようとしたら36枚ではたりなかった。デジカメは毎晩PCへのデータ落としに忙しい。 充電はキャンプ場の受け付けにお願いする。
夕食:チキンのむね肉、ポテトのピーナツソース蒸し、サラダ。 チキンむね肉残りは翌朝のりんごサラダに変身する。
2003年7月21日 デナリにてキャンプ 《グリズリーベアキャンプ場テント泊》
早朝希望者7名はホース・シュー・レイクへハイキング。 残る3名はテントで朝寝。 ハイキング組はビーバーに出会い、テント組は朝方の雨がテントをたたく音に、至福のひととき。 午後には雨があがり、希望者5名でラフティングへ、通常の3割り増しの水量でスリル満喫。 夕食までの間シャワーを浴びたりキャンプ・スペースのテーブルで絵はがきを書いたりする。夜12時ごろ、夕焼けが美しい
夕食:バーベキュー、 デナリ最後の夜ということでキャンプ・ファイヤーでマシュマロを焼いて食べる。
2003年7月22日 デナリ発 タングルレイクへ 《 タングルレイクテント泊》
数日前の雪と大雨のためデナリ・ハイウェイは封鎖。 フェアバンクス経由の大回りでタングルレイクへ夕方到着。 ここは蚊の大軍が出迎えてくれ、蚊よけネット帽子が大活躍。 夜、参加者数名が寝付いた頃、タングルレイクで雌のムースが水浴びをしているのを発見。 今夜は薄暗い上に、頭を水にうずめ、ブルブルと頭を起こす動作に夢中で、人間が近くで見ていることに気がつかないらしい。
夕食:昨夜のチキンの残りをいれたスパゲティ・チキン・トマトソースとガーリック・トースト (小雨のため簡単に)
2003年7月23日 タングルレイク発 マッカーシーへ 《 マッカーシーロッジ泊》
早朝、希望者はカヌーを楽しみに近くの川へ。 居残り組は近くをハイキング、ただしベア・エリアのため単独行動禁止。
長いドライブの末、マッカーシーへ到着。 人口42名の昔 銅山で栄えたマッカーシーは古い建物が並ぶかわいい街。 古い2階建て木造建物のロッジに泊まる。 街に公衆電話は2台しかないが、なんとインターネットは無線で街じゅうどこでもOK。
朝食、夕食はホテルとは別の建物で、やはり古い1階建ての木造でポーチに花があふれ、お味はアメリカとは思えないようなおいしさ
夕食:上記レストランへ全員で。 カッパー・リバーのサーモン パスタ添え。 サラダ&デザート、 アラスカン・アンバー 。
2003年7月24日 マッカーシー滞在 《 マッカーシーロッジ泊》
参加者全員(ガイド氏を除く)でルート・グレイシャー・ハイク に行く。 氷河案内人が一人つきアイゼン を借りて出発。山を歩いている時、後ろから「ブラック・ベア イズ かみんぐぅー」、 氷河案内人に小声で告げ、彼が大声で山に追いやる。 (彼は鉄砲など持っていません、ただ声で追立てたのです) 写真、写真と思いつつ、撮る心の余裕はなかった。 アイゼンをつけての氷河歩きはなんともすばらしく、とけた水の青く美しいこと、おいしいこと。 あーまた飲みに行きたい!
夕食:昨夜のレストランへ再び全員で。 黒豆のスープ、 ビーフストロガノフ、ブルーベリーのクレープ包み、 アラスカン・アンバー。
2003年7月25日 マッカーシー発 ヒックスクリークへ 《 ヒックスクリークテント泊》
マッカーシー・ロードは 昔 銅を運ぶための鉄道が引かれていたのを、線路をとりはずしただけの、でこぼこの道で、2、3時間、さらに舗装道にでてから長いドライブの末ヒックスクリーク夕方着。 希望者はキャンプ場経営の乗馬に。 山あり谷ありのスリルある乗馬コース。
キャンプ最後の夜はキャンプ・ファイヤーを囲み、印象に残ったことなど話し合う。 ほとんどの人の一番は氷河ハイクもしくはブラック・ベアとの遭遇だった。
夕食:ハンバーガー、ピザ、鉄製大鍋の手作りチョコレート・ケーキ (実は私は具合が悪くなり、りんごとケーキひとかけしか食べていない)
2003年7月26日 ヒックスクリーク発 アンカレッジへ 《ザ・エグゼクティブ・スーツ・ホテル泊》
希望者は早朝、乗馬。 途中バッファロー牧場や、ハッチャーズパス、金山跡をみながら道のりとしては長くないドライブだがアンカレッジには夕方着。 ほこりで汚れたバンに指でメッセージを皆で書く。 出発した時と同じホテルにチェック・イン。 バスタブが嬉しい。
全員でムース・ティースというピザ屋さんへ行く。 ものすごい込みようで、待っている人が外にあふれかえっていたが、運良くちょうど10人分のテーブルがあく。 ホテルに帰り皆とひとりづつハグ、ハグ、ハグ。
夕食:ピザ スモールサイズを10種類注文、3種類しか食べられなかったが、皆おいしい。 ビールはパイプライン・スタウト。
2003年7月27日 もう一晩、のんびりした後、シアトル経由でヴィクトリアへ
私達日本人2人、アメリカ人6人、ドイツ人1人、それにアメリカ人ガイドが1人という英語の世界で、あまり通じないなりにもとても楽しく、晴天のデナリ、動物達、テント、氷河歩き、超・貴重な体験でした。
2003年7月27日 成田→(直行便)→アンカレッジ 《インレット・タワー泊》
今回の私の旅行は、高校1年と小学3年の男の子がいる4人の家族旅行。JALチャーター便にて成田より出発。出発ロビーに行って驚き!子供連れは私達とあと一家族のみ。350名ほど搭乗できるジャンボ機にお客さんは200名程度。殆どが旅慣れされたお年を召されたご夫婦でした。本当に珍しい光景でした。1時間ほど離陸が遅れましたが、無事、揺れもなく6時間弱でアンカレッジに到着。ここで、各々が地元の旅行会社のお世話になり3時過ぎのチェック・インまで時間を委ねます(市内観光)。それにしても時差で眠たい、胃腸が変!お昼ごはんは、追い討ちをかけるように、豚のスペアリブなど油モノ。あっさりしたもの食べたいよう!・・・とりあえず、初日だけは「フリーツアー」だとはいえこのオプショナルが入っていて、今まで気ままな旅行をしてきた私達としては、結構きつかったです。
やっとホテルのお部屋に入った時には子供もぐったりと疲れていました。直行便でこんなこと言ってたのではいけませんね。しかし、インレット・タワーを選んでいて正解でした。ヒルトンだとお部屋にミニキッチンなど付いてない為、子供達の「お腹すいたよ〜、何か頂戴!」っていう要求に対応できないのです。やはり、子供連れは見かけではありませんね。駐車場も広いし、レンタカーの出し入れは楽チンだし、私たちには一番合ったホテルでした。
懐かしのアンカレッジ、15年ぶりでしょうか。今ではレトロな響きを持つ「北廻り」路線。この中継基地としてこのアンカレッジはその昔、航空会社のクルー達のなじみの場所でした。エアポケットに入ったようなところ、当時の私にはそんな印象の北の果てアンカレッジの街でした。強い風、ちょっと濁った中海の色、そして碁盤の目のアンカレッジの街、何も変わっていませんでした。落ち着いた、いい街・・・
2003年7月28日 アンカレッジ→タルキートナ(アラスカ鉄道) 《インレット・タワー泊》
さて、今回の目玉、アラスカ鉄道に乗ってタルキートナまで出向き遊覧飛行機でマッキンレー山を拝む、という一日です。本当ならばデナリまで行ってバスに乗り国立公園を観察したかったのですが、事前に現地のA&Pツアーズという所にメールで問い合わせをしてみました。そのバスにトイレが付いてるかどか・・・小さな子供がいますと特に、トイレにすぐに対応できるか否か、この辺がポイントになってきます。一人身だとやりたいことが出来るのですが少々手のかかる子供がおりましたら、その子を最優先に考えなくてはなりません。現地の旅行会社のご親切な回答に、ケミカルなトイレは要所要所にあるがバスには設置されていないということでした。今回は、そんなワケで諦め、その代わりにその会社の方がタルキートナの遊覧飛行を提示して下さいました。プリンセス・ドーム・カーという旅行会社が保有してるアラスカ鉄道の専用車を予め予約し快適なタルキートナまでの鉄道の旅です。お天気が悪いのが気になる・・・タルキートナ到着。あ〜〜〜、案の定、フライトキャンセル!このフライトを予約するにあたっても「ALASKA会」の佐竹さんにはお世話になりました。小さな子供が怖がらないか?子供がヘッド・セットを付けてフライトするのが不可能ではないか?などなど・・・ご親切にたくさん的確なアドバイスを下さり、後はフライトを待つばかりだったのですが残念でした。
タルキートナの小さな町は、アメリカの開拓時代を思わせる素朴な町、というより村でした。植村直巳さんがマッキンレー登頂に出発した最後の町でもあります。博物館見学しました。私は、この旅行で星野道夫さんがこよなく愛したルース氷河など上空からぜひ見てみたいと思ってました。残念ですが、次回の楽しみにしましょう。子供たちは、「大草原の小さな家」の舞台みたいだと言ってこの村がお気に入りです。
お土産物屋さんで、素朴なぬくもりのある木彫りの大きな熊の置物、買いました。星野さんのエッセイに「旅をする木」というタイトルのものがありますが、この熊ちゃんは、まさにそうだったようです。(笑)
アラスカタイム?こんな言葉があるのでしょうか?アラスカ鉄道は悠々と2時間以上遅れてタルキートナにやってきてやはり3時間近く遅れてアンカレッジ駅に到着いたしました。ふ〜〜〜っ長い一日!
11時過ぎ、ホテルに着いた子供たち、空腹をしのぐのは日本から持参のレトルト食品。電子レンジが有難かった!
2003年7月29日 アンカレッジ市内 動物園、お買い物 《インレット・タワー泊》
A&Pツアーの事務所にご挨拶。オプショナルなツアーの手配をインターネット通じてお願いしてた会社です。極め細やかなスタッフの対応が、旅の温かい思い出を増やしてくれます。この日からレンタカー借りて、今日はアラスカ動物園へ。カリブーやムースなど、しっかりと間近で出合う事が出来ました。やはり大昔、まだ吐く息が白い頃、この動物園に来たことがあります。ここの主役は象さん!?地元の子供たちで賑わってました。温舎の中に入れられ日本のパンダ状態だった象さんの存在がおかしくもありましたっけ。コスコっていうまとめ買いのお店が、「ALASKA会」のHPでよく出てきてましたので行ってみましたら、会員制・・・ですって。ああ、ここなんだなぁ〜って前を通り過ぎ、カーズで日常品のお買い物して戻ってきました。
翌日からは、突然なのですが、スワードに1泊して鮭つりに挑戦ことに。このオプショナルが実は子供たちが一番大喜びをしたアラスカの目玉になりました。道具、足の上まである長い長靴などすべてレンタルできました。
2003年7月30日 アンカレッジ→スワード(キーナイフィヨルド・クルージング) 《ブリーズ・イン・スワード泊》
11時30分のクルージングに間に合わせるように8時にホテル出発。途中、このスワードへの道に繰り広げられる美しい景色に息を呑みました。本当にすばらしいです。トウヒの森、氷河、湖・・・カナディアン・ロッキーのバンフからジャスパーに行く道顔負けです。驚きました。ここは、本当に手付かずの自然の宝庫なんですね。キーナイ・フィヨルドの長いクルージングはラッコやクジラ、アザラシ、水鳥いるか、など生き物達との適度な距離を保った出合いをすることが出来ました。お邪魔します、という感じでしょうか。一番奥の氷河は圧巻でした。無機質の氷、そこに生き物が僅かに存在するだけの静寂、地球の営みの大きさを感じた瞬間でした。子供たちはきっとこの時間、この出合いを体のどこかで覚えてくれてるだろうな、そんな風に思わずにいられないひと時でした。ただ、風の強さも手伝って潮目のところで船は大きく揺れます。気分が優れなくなった子供は船尾の方の揺れの少ない外のデッキで休ませました。酔い止めは必需品かもしれません。それと、始めに出されるスナック類もほどほどに控えておくのがベターかもしれません。
スワード泊。ブリーズ・インというモーテル1部屋のみ予約できてました。夏場のみこの町の人口が2倍になる、なんて船のアナウンスで言っていましたが静かな磯の香りと魚の匂いのする港町でした。キャンピングカーで手軽に移動されてるアメリカ人の多さにはビックリしました。この町もそんな人達が大勢いて賑わっていました。
2003年7月31日 スワード・シーライフセンター→ロシアンリバー(鮭つり)→アンカレッジ 《インレット・タワー泊》
さてさて、4日間ぐずついてたお天気が一気に晴れ、釣り日和!?(こんな日だから余計釣れない、なんて後で言われました)スワードを立ち去りがたく、シーライフセンター(水族館)に行きました。子供がいると必見なのです。とっても充実していました。14年程前に起きた原油流失事故の賠償金をもとにして設立された財団が建設したそうで、自然保護の観点からテーマが統一されていて興味深かったです。
さていよいよロシアンリバーの鮭つり挑戦です。小さなフェリー(渡し舟)で対岸に渡り4本の釣竿で鮭を狙いす・・・んが〜〜〜、一匹もヒットしませんでした。お隣にいる地元の方々は4,5本ゲット。ビギナーズラックって言葉に期待したのですがロシアンリバーの鮭はそんなに甘くはありません。水の流れも速く、小さな子供は足をとられて一度ドボ〜ン!上下の防水スーツをアンカレッジでわざわざ購入してたのですがこうなれば下着まで水浸し。着替えはやはり対岸にも持ってきておくべきでした。3時間ほど粘ったのですが、帰る時間もあり退散。でも、頬を撫でる風のなんと気持ちいいことか。氷河から流れてくる水、冷たいが綺麗なことっていったら・・・おにぎりでも持ってここでゆっくり食べられたら最高!釣りたい、という欲望ももちろんあるのですが、私は、この場で十分!でも、子供たちは欲をみせていました。「来年もまたこの時期、来たい!!」って。鮭つりがこんなに面白いだなんて知りませんでした。体験して初めて分るものなんですね。道具を夕方旅行社に返しに行ったのですが、そこのスタッフから「どうしても釣りたければ今からシップクリークに行ったら釣れるよ〜!」ですって。(笑)なんだか、養殖してる鮭釣ってるみたいでちょっとねぇ〜、ってお断りしましたが、今から思えば、やはり行っておけば良かったかな・・・なんて。
2003年8月01日 アンカレッジ→翌日成田着
直行便でのアラスカ。私たちが経験できたのは広大なアラスカのごくごく一部分だけだったのですが、何ていうのでしょう、派手ではないのですがとってもいい旅ができたな、っていう思いがあります。家族連れで動く、っていうのは結構大変なことではあります。費用もそうです。皆がスケジュールを合わせるということも。また家族、親、含めて皆が健康でなければ、思い切って海外に出ることは難しい、縛られるものがたくさんあります。旅先での子供の健康管理も気を抜けません。ゆっくりと子供のリズムに合わせながら、旅を楽しむってことはなかなか簡単ではありません。子供は特に時差を引きずります。計画を立てる時、次回からは、着いた翌日はあまり予定を組まないほうが良いということに気をつけたいです。翌日一日かけて体を慣らしてあげるとそれからの旅もスムーズかと・・・欲張った行動はできないのですよね。
ラメックスのお肉も、マルガリータも、今の私達には縁がありませんでしたが、無事、家族が帰ってこられたということに喜びを感じています。
今回は「ALASKA会」からも貴重な情報をたくさん頂戴し、現地の旅行会社とのメールでのやり取りが心丈夫にしてくれました。そんな方々のお陰でこうして貴重な経験が出来たものと感謝しています。本当に有難うございました。また、いつの日にか訪れることができれば・・・
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