緑の木箱

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はじめてパソコン通信を始めたのが97/4、インターネットが97/7です。ホームページをアップロードしたのが98年春,いろんな経験をしました。いまだによく分からないというのが実感ですが、とても楽しんでいます。
この<緑の木箱>は私のメモ帳です。


メールの宛先は次の通りです
izshinmi@fa2.so-net.ne.jp


    

緑の木箱 これより最近のものはこちらです。


 年の暮に                                                          2011/12/30
 2011年もあと一日になってしまいました。
今年は良い年で有りますようにとスタートしたのに3月11日の東日本大震災は私の今までの中で最悪の自然災害でした、これに原発の事故が
重なりこちらの方がより深刻です。まだ新潟、和歌山など災害の多い年でした、そして政治は相変わらずの政治ごっこで希望持てずの今年でした。

 それはともかく自分自身のこと。健康に問題アリだったのが第一かな。6月で仕事も断念、医者、病院がよいが続いた。
いい方にとてれば身体のあちこちを調べられたのが良かった(^−^)。
旅をしました。カンボジア、中国西安と海外2回。久々に一人旅を奈良明日香岡山と訪ねたのは収穫です。東北は二人旅行でした。
アコーディオンボランティアは回数と訪問先も増えて限界です。年末には手首を痛めてしまいました。
7月から12月まで半年間、仕事無しの生活が続きました。こんなに長いのは初めてです。
健康増進と色々考えたりやろうとしたのですがほとんど成果無しですね。課題ですと毎年のことですね、政治の先延ばしと同じです。
この他にも色々ありました。残り少ない人生と思いながら試行錯誤の一年でした。
 旅して来ました                                                          2011/12/12
 旅してきました、久しぶりです。夜汽車じゃなくてバッグ一つ持ち夜行バスに揺られて行きました。
着いたところは奈良駅、早朝6時でした。ここから電車に乗り、随分かかったなあ飛鳥駅は10時近かった。明日香の町(村?)を自転車で散策
この日は古代史の舞台を楽しみました。あちこち寄り道をしたりして。
 この日から2泊の宿は駅前のビジネスホテル、次の日は法隆寺、薬師寺、唐招提寺、平城宮朱雀門、定期観光バスで回る。
法隆寺はその風格がすばらしい。拝観料がすごい
次の日は平城宮第一大極殿(途中遷都し帰ってきて隣に第二を作ったそうだ)、東大寺など奈良公園地区を見て大阪へ
大阪で一泊して岡山市へ。後楽園、岡山城を経由して岡山アコーディオンクラブ演奏会を聞く。岡山泊。
翌日、岡山県高梁市へ備中松山城を見る。山登りのようだ。そして新幹線で帰路。のんびりとそして中身の多い旅だった。青春時代に帰った
ようなひとときだった。次はどこに行こうか。
 旅に出よう、一人旅しよう                                                  2011/11/23
 しばらく一人旅をしていません。独身時代はリュック背負って夜汽車に乗って旅したものですが結婚してからはあまり出かけないなあ。
今年は6月に仕事を辞めたのを機会に出かけたいと思っていたのですが通院、検査で明けくれたり、ボランティアのアコーディオンが増えたり
して上手く時間が取れなかった。そんな中、ふと手にした古代史の話、蘇我入鹿に興味を持ちそれじゃ明日香に行こうと言うことに。
11月26日のうたごえひろば、27日の宮寺サークルのコンサートが終わったあとに出かけます。
と言っても長旅では有りません。しかし一人で出かける事にもう一つに意義があると一人思い込んでいます(^−^)。
今回はついでに大阪の姉訪問と岡山の二つの目的と盛りだくさんです。行く前の楽しいひとときです(^−^)。

 TPP賛成反対                                                               2011/11/15
 TPPの論争が激しくなっている。民主等は塔を2分する様相だし自民公明も反対にウエイトを置きつつある。本心は判らない。
共産党は絶対反対で農協などとスクラムを組んでいる。ニュースで見ると反対多数と思ったら朝日新聞では賛成46%反対28%と逆のようだ。
どうもがんばって成果を上げているのが賛成でそうではないのが反対との見方が出来るかもしれない。
 農業が壊滅的被害を受けると反対する側は主張する。では今は良い状態かと言うとどうもそうではないらしい。農業従事者平均年齢65歳
兼業農家が大多数。これでは片手間でやっていて数年後は働けないではこれこそ大問題でいずれ滅びるのではないか。片手間でやって海外と
競争で勝てるわけがない。今まで農業政策、改革を本気でやっていたのだろうか。と思う、国際化は避けて通れない貿易立国の日本はそれ
しかない。と言う大原則から言えばどうやって農業を改革するかを真剣に考え実行していくしかないと思う。共産党、農協、農業族議員に
どのような改革プランがあるか示して貰いたいと思う「鎖国して守る」だけでは今の時代ではダメだろうと思う。常に対案を示してほしい。
もちろんTPPがすべて良いわけではない。どちらを選んでも必死のがんばりが必要なのは変わりない。
 信州小旅行                                                                 2011/11/11
 市の保養所を利用して乗鞍高原、清里など信州小旅行をして来ました。11月の始め、紅葉のシーズンです。
最初は木曽路の宿場町、奈良井宿。去年も行ったかな、でもどこか違っているなあと考えていたら。電柱が無くなっている、最近スタイルの看板
が無いなど江戸時代により近い状態になっていたタイムスリップしたようだった。イチョウなどの紅葉が綺麗だった。
 宿泊地の乗鞍高原は紅葉も終わり冬支度、山頂へのバスも無くなっていた。ここの日野山荘は後数日で閉鎖、残念である。近くの温泉に
入った。硫黄の匂いがぷんぷん、いい湯だった。
松本郊外の波田町のリンゴ農家に寄った。貰ったリンゴは美味しかった。作った人の顔が見える果物は良いですね。
清里では前回発見した野辺山の「びっくり市場」で押し柿ようの柿を2箱(20`)も買った、今年も干し柿作りである、他に果物、野菜を買う、安い!
清里からの富士は雄大で美しかった。
 ボランティアはタダ(無料)の労働力                                                 2011/10/25
 私も高齢(?)になり時間の余裕が出来るようになりました。そのこともありボランティアに少しだけ関わるようになりました。趣味の楽器演奏を
通じてのことでです、その関係でボランティアセンターとも多少お付き合いをするように毬ました。
ボランティアとはその人の善意よ能力で援助の必要な方にお手伝いをすることだと思っています。無償の労働と言えるでしょう。でも私が長く
働いていたモノづくりの職場にはボランティアさんはいません。労働に対してはそれなりの賃金を支払う、それをしなければ不当労働行為となり
罰せられます。そんなことをする企業はないでしょう。
ところが福祉の世界だけはそれが許されています。施設での洗濯物ものの折りたたみ、浴後のドライヤーかけ、お話し相手等、立派な労働ですが
ボランティアさんの名の下に公然と募集しています。人間の善意、困った人にお手伝いをしたという気持ちは尊いですからそれについては
素晴らしいと思いますが、その善意を利用して経費節約、営業利益の手法と考えているように思える時があります。
また障害者、高齢者などの中にはやって貰って当然と思っている方もいるようです。ボランテアさんがたとえば半日活動すれば往復の交通、
事前の準備など時間が取られます、その分経費は発生してます。それをやりがい、達成感と相殺されているのだと思います。
 今回ある障害団体からボランティア要請があり協力したいと思いましたが、話を聞いて見るとあれこれ要望が多く金銭の支出も要求させました
のでお断りしました。障害者の為ならなんでもやってくれるだろうとの甘えがあるのでしょう。ちょっと後味が悪い出来事でした。
 通院あちこち検査                                                               2011/10/12
 味覚障害になったこと、仕事を辞めて期間が出来たこともあり身体の検査をしても良いかなと思いました。
人間ドックをはじめとして脳のMRI、胃カメラ、内視鏡による大腸検査、CTでの肝臓検査、頸動脈のエコー検査、前立腺検査など次々と
行いつつある、医療費も大変だ。でもここで自分を知ることも大切だと我慢して望んでいる。今のところ大きな問題点は無いようだ、要経過観察
は大分あるが。後10年くらいはあれこれ動き廻りたいのでその準備です。

 傾聴ボランティア講座                                                        2011/10/06
 市のボランティアセンター主催で傾聴ボランティア養成講座の募集があったので受講することにした。
あまり内容を把握していなかったがただ傾聴とはどのようなことをするのかなと言う単純な動機からだった。5回コースで受講料は3千円。
週1回の講習である。第1回目、24人の方の参加だった。簡単な講習のあと体験学習ち言うことで簡単なゲーム、他己紹介、ミーティングと
良く良く趣旨が判らないことが続いた。次回以降ロールプレイなどをやる予定、単なる座学と思っていたがな違い、先が思いやられる。
 中国/西安旅行                                                            2011/09/26
 中国/西安に行って来ました。9月の後半で季節的にいいかと思っていたのですが今年は天候異変で雨が続いており畑など被害が出ていた
ようです。そして行った時は雨、そして寒い。東京の気温が30℃で現地は12℃(最高気温)は差がありすぎる。事前に調べて置いたのは良
かったが寒かった。到着の次の日西安郊外の観光だったが雨で移動途中、道路に水がたまっており、そこを無謀に侵入。クルマのエンジン停止
クルマが浮かぶハプニングがあった。一時はどうなることかと思った。
 西安の街は古都らしく感じの良い街だった。旧市街は城壁にかこまれ城壁の上は広く、街も見渡せ楽しかった。兵馬俑などの遺跡類はそれぞれ
見ごたえのあるものだった。
食事、食べものはスイカ等の果物を除いては期待外れだった。名物の餃子もそれほどではなかった。私の味覚が問題かもしれないが日本の
食べものの美味しさをつくづく感じた。
今回は西安だけの訪問だったがこれ位が良いのかもしれない。帰途は台風の影響でハラハラドキドキだった。飛行機の出発の遅れ、強風のなか
の着陸、電車の遅れと帰宅は深夜の2時半過ぎだった。
 いつしか9月中旬                                                            2011/09/16
 暑い暑いと言ってたら9月も中旬となっていました。今年の残暑は結構長い。秋らしさの天気になかなかならない。
6月に仕事を辞める時、7月〜9月は健康回復の時、10月から再スタートと思っていたがもうその期間はあとわずかになってしまった。
次の準備は何も出来ていない。と思うと焦ってしまう。
浪人生活に慣れて会いまったのか。1日のスタートが洗濯とは寂しい感じもする。
 生活で感じているのはアコーディオンボランテアが大きな位置を占めてしまっていることに驚く。去年まで月1.5か所訪問だったのが3回、
4か所に増えてしまった。当然その準備(練習)に時間を取られるようになってしまった。これを何とかするのはむずかしい。
それと通院が後を曳いている。10月まで検査が延びてしまった。7月には目途がつくと思ったのに意外だった。今は治療とならないことを
祈る明けである。そんな訳であれこれしたいと思った事が手つかずである。おまけに10月まで週1回の講習会がはいりますます窮屈になった。
今しばらく追われる(?)生活が生活が続きそうだ。 あっ明日から小旅行があった。
 倒産/自己破産                                                            2011/08/11
 数日前、たまたまクルマ出かけた所の近くに以前働いた会社がありその後会社はどうなっているかなと行って見た。当時を思い出しながら
ゆっくりクルマを走らせて行ったが何となく雰囲気が変だ、人、クルマの気配がない。
会社の前に着くとそこにはゴミ、スクラップの山、落ち葉がたまっている。入口を見ると紙が貼って「自己破産うんぬん」の事が書いてある。
日付は去年の夏前であるから一年程過ぎている。私が辞めて4〜5年あとか。それにしても荒れ放題の建物敷地を見て愕然とあした。
 思い出して見ると某大手企業をリストラ状態で辞めてから働いた会社は最近のパート職の職場を除いて4社だ。まさに波乱万丈の人生だが
その4社の中で3社もの会社が倒産(企業整理)/自己破産で消滅している。世の中の厳しさを感じる。1社だけ倒産時その会社にいたが
みじめ、無念さでいっぱいだった。27年いた某大手企業はそのようなことはないが私のいた職場は6割リストラしたとの話も聞いて、ここも
大変だなあと思う。企業が存続して行くのが非常に厳しい時代になっていることを改めて実感した。
 ひと月経ちました                                                            2011/08/01
 6月28日に退職してひと月経ちました。29日の通院を皮切りに病院通いが沢山あり、アコーディオンイベントだなんだと結構忙しくして過ぎて
しましました。毎日が日曜日でもありませんでした。
ここに来て体調も一進一退からやや良いようになっている感じです。時間の少し余裕が出てきて、さあ何しようの気分も出て来ました。
又働くと言うことが動き出したりして、又先の見通しが不透明になった感もあります。が今月はそれも無しで自由の身です。
今週には病院検査の結果が届くでしょう。今しばらく身を伏せてと言うことでしょうね。

 退職しました                                                            2011/07/03
 カウントダウンもついにゼロとなり6月29日の仕事を最後に退職となりました。辞めて次に働くことを考えていない体験は初めてです。
仕事人間から脱皮するのは一苦労のようです。今しばらく気持ちの不安定な状態が続くと思われます。これも産みの苦しみ(?)というか脱皮の
苦しみと言うがひとつの体験だと割り切りたいです(それが出来ない凡人ですね)。
30日から通院だ、家の片づけだ、コンサートだとなにかガタガタしています。そんな中で寝冷えして風を引いたり、大事な物を無くしたりと
アクシデントも次々発生して、、、、、、なかなか前向きな行動には至っていない今日です。
 カウントダウン                                                            2011/06/14
 働く日数もあとわずかです。今月末が退職と決まり働く日々のカウントダウンです。18歳から働き始めましたからよくぞここまで、
お疲れ様でしたね。ある意味では運が良かったと言えるでしょうね、職場はいくつも変わりましたがそんなに再就職先探しに苦労はしなかった。
入った職場も何とかやれたかなあと思う。この運のここまでかもしれませんが(^−^)。
少し身体もガタがきているようです。少し前までは病気、病院、医者、薬などは別の世界の話と思っていたのに今では3種類の薬を常用しているし
毎月通院もして、
この機会に一通り精密検査をしたいと思っています。その後は元気を取り戻し自由を満喫して見たいです(^−^)。
後、出勤日は6日です。
 クールビズ                                                            2011/06/10
 電力不足が現実問題となり、今年はいつもよりクールビズが話題になっている、冷房温度を上げる代わりに服装を暑さ対策を考えて自主性に
任せているようでアロハシャツに半ズボンと言うのが話題になった。
市役所など公務員もユニホームネクタイを無くしてい行くようだ。しかしアロハと半ズボンはどうだろう。仕事と遊びに行くのとは違うと思う。
暑さ対策の半そでシャツやズボンは売られており高給の公務員が一着用意出来ないわけがなおと思う。あくまで仕事、接客にふさわしい服装が
あると私は思う。少し前、日野市公民館職員があまりにラフな服装で市民に対応していたので、きちんとしたユニホームを着て市民の前に
出てほしいと言ったら、このスタイルが市民との壁を無くするのでだ、あえて上司に逆らっているのだと自慢していた職員がいたが、あくまで公務
中と遊び中は区別してほしいと思う。モラルの問題かも知れない。
  アクセス回数100,000                                                         2011/06/05
 ホームページのアクセス数が昨日10万回に成りました。拙いページを見てくださった方いたからだと思います。ありがとうございます。
ゼロがたくさん並んで気持ち良いですね(^−^)。1997年スタートですから14年にたちました。熱しやすく冷めやすい私の性格からして
良く続けたなと感心したり呆れたりですが。見てくれる方がいればこそと感謝です。これからも、あまり肩ひじ張らずに楽しみながら更新して行きたい
と思います。そもそも何でホームページを作ろうと思ったのか。当時はホープページなんてあまりなかったしインターネットがやっと一般に普及し始めた
頃でアコーディオンに関するものはほとんど無かったように思う。作ることそのものが大変だった。そのもの珍しさに挑戦するのが好きだったかもしれない。
 このページで沢山の方と知り合いになれたのはとても良かったと思う。まずは自分が楽しむ、これが基本かな。
  味覚障害                                                               2011/05/21
 味が判らなくなりました。ショックです。
ほぼ1か月前、先月のうたごえひろばの日でした。朝ごはんは普通無い食べなした、昼ごはんは少なめで普通に食べました。
今日は久しぶりに回転ずしを食べに行こうと夫婦で出かけました。うたごえも終わってひと段落、今日はたくさん食べようと張り切りまずは一口
食べた途端異変に気がつきました。何か口の中がざらざら感、そしてお寿司の味が全く感じません。あの甘酸っぱい甘酸っぱいお寿司の味が
全くしなくてざらざら感だけです。他の味覚も全くなし。とにかくショックでした。
ネットで調べると**が不足とか、そのうち良くなると思ったのですが一向に回復しないのでお医者さんに行くと脳の神経に異常ありとか
幾つか言っていましたがあまり理解できず、とりあえず薬での治療、様子見です。今年はアクシデントが続きます(涙)。

  雨の中の清掃作業                                                          2011/05/12
 昨日は一日雨でした。清掃という仕事を始めて1年半になります。ぜひやりたいと言う確たる信念で決めたわけでもなくこんな仕事もあるのだな、
経験してみたいということで始めました。高齢者の思いつきかもしれません。
以前やっていた設計だ開発だと言う日のあたる仕事ではないかもしれませんがやって見ると知らんかったことが見えてきたりしてそれなりに
満足しています。今日は一日雨の中の仕事でカッパ着ての作業で下着まで濡れて寒かった(涙)
帰宅してぐったり、夕食もそこそこに寝てしまった。疲れた!!。
この仕事も後1ヶ月程で辞める予定です。水戸黄門の「もういいでしょう」
働くことの一応の卒業としたいです。いま、これからなにしようかと思いめぐらしています。
第二(?)の人生のスタート前です。
  久しぶりに東北へ                                                           2011/05/07
 連休の前半、と言っても今はフル勤務の仕事ではありませんのでそれほど”お休みだ!”の気持ちはありませんが久しぶりに
東北岩手に行って来ました。クルマ移動の3泊6日(車中2泊)の旅でした。
東日本大震災の影響を確かめるのも目的の一つでしたが概ね観光旅行です。要望があった津波被害者への衣類を山ほど積んでの
出発です。
夕方出かけたのですが思いのほか高速道路はクルマが多い、被災地への復旧支援、ボランテアの人が多いと聞いていたがそうなのか。
確かにそれらしきクルマをよく見かけた。
到着後はまずはひと風呂浴びて(近くの日帰り温泉)松川渓谷へ水芭蕉の写真を撮りに行く。いつもより雪が多く花は少なかったが
きれいな花は大好きである。翌日、初めて行く龍泉洞、そして海へ向かう。
小本と言う小さな集落を見た。津波と言う自然のすごさを見せつけられた。その後、旧友との再会。
次の日は雨。盛岡市内の「石割桜」を見学後、遠野へ行く。観光地なのに人が少ない、いくつか史跡を見学、この夜は網張温泉宿泊。
翌朝は雪が降っていた。温泉は非常にいいお湯で良かった。
帰路の日、強風が吹き荒れていた。天皇陛下が岩手訪問の予定も延期された。風邪の中を一人クルマで出発。福島を過ぎた
あたりから風も収まった。夜は10時〜3時就寝、日の出を待たず出発、自宅のは朝6時前についた。
  多摩川・浅川クリーン作戦                                                  2011/04/17
 私の住む日野市は多摩川と浅川の川の流れる町です。毎年この季節、市民の「多摩川・浅川クリーン作戦」があり市民の参加でゴミ拾いを
行います。私も去年に続き参加しました。
場所は近くの平山橋下流の右岸(右岸左岸は下流に向かっている状態で右左を言うそうです)一帯で大型のゴミ袋、、可燃不燃各一袋を持って
のゴミ拾いです、遠くからでは判らなかったげ空き缶、ペットボトルをはじめビニール袋、発泡トレイなど沢山ありました。
1時間程でゴミ袋一杯になりました。暖かい快晴の空で気持ち良かったですがゴミの多さには驚かされました。みんなできれいを保ちたいですね。
 不注意、けが                                                            2011/04/03
 どこに災難があるかわからない、それがちょっとした不注意が原因であっても災難には変わらない。
アコーディオンから帰って来て疲れた足で二階に荷物を運び階段を下りていた時である。何かを踏んだか靴下のせいかすっと滑り6つの段を
ずべり落ちた、つかまるところも無くずどんと下まで、腰、背中、首筋と猛烈な痛さでフロアに倒れこんだ。息が出来ない位の痛さ。
しばらく動けなかった。
何十年と使っている自宅の2階へと続く階段である。運が悪いのか不注意のなのかとにかく激痛だ。
幸い骨折はしなかったし頭をぶつける事が無かったのが幸いである、夕べはあまり眠れず、今日も痛みが続いている。しばらくは痛みの我慢の
日が続きそうだ。
  プロ野球セ・パの差                                                         2011/03/29
東日本大震災という過去例のない大きな災害に見舞われ世の中は右往左往している。がんばれニッポンと元気を出してがんばろうの人たち
また自粛自粛でイベントを中止して気持ちを抑えている人たち。
そんな中でプロ野球の開催実施について、セパ両リーグの対応がはっきり分かれた。まずパリーグは開幕を震災から1カ月後まで延期し
関東東北では4月末までナイターなし。電力にも配慮した。
一方セリーグは予定通り3月25日開催から世論の批判を受け29日に伸ばし、そして4月12日のパリーグ開催に合わせる事になった。
これはパリーグは目線がファン、セリーグの目線は巨人に向いていたと言える。
パリーグは数年前の球団減少でのリーグ消滅の危機から地域密着、ファン重視で立て直しに成功しつつあるに対しセリーグは巨人に依存して
巨人オーナーのひとことで物事が決まることから脱却出来ていない現れだと思う。
  信じられない発言                                                         2011/03/21
 「今回の地震津波は天罰だ」「この地震、本当に起きてよかった」と信じられない発言を聞いた。
3月11日の東日本大震災、津波の被害は今までにない大きな被害をもたらした、1万人を超える死者行方不明者を出し原発災害も起こり、今
復旧に向けて必死にがんばっている何十万人の被災者は途方にくれ又世界中の人たちが支援の輪を広げている
それを天罰、本当に良かったと発言する都知事、大阪府議会議長は許せない。もちろんこれが本心ではなく別の事案を批判してのことだろうが
今まさに被害を受けている中での発言は単なる不用意、言葉足らずでは済まされない、発言者が行政、議会のトップであるからなおさらである。
 今はことばじりを捉えて非難しているときではないと思うのでまずは災害対策に全力を挙げてほしいと思う。
  仕事のお誘い                                                           2011/03/10
 常勤の仕事を卒業して年金生活と並行して現在週に3日の巡回清掃の仕事をしてます。これも後1年弱で卒業しようかとも考えている中
以前、再就職の面接を受けたところから電話があり4月から働かないかとのお誘いがあった。今働いている人が3月末で退職するのでその後
と言うことだ、現職と並行でもいいとのこと。お誘いして頂くのはうれしいことだが2か所で働くのはきついし二股かける程体力気力はない。
そうすると今のところは退職となるがそう簡単には行かない。
 この先のことを考えるとどうすればいいのだろうかと今思案中です。
  確定申告                                                           2011/03/02
 確定申告に行って来ました。比較的早い時間でしたが広い駐車場には沢山のクルマが止まっていていた。会場はすでに満員状態で順番
待ちの人もいた、今年はほとんどがパソコン入力の様だった。
私は自宅のパソコンで作製したものを担当員に簡単にチェックしてもらい提出したのでほとんど時間は掛からなかった。
数年前から確定申告で納税するようになった、それにより納税の意識が出るようになったようだ、税金の多さに困惑、腹が立つ。
苦労して得た収入に簡単に課税し多額の税金取られる、これが固定資産税、都民市民税、健康保険料、介護保険料と続く。これが適正に
使われているのであればいいのだが税金泥棒と言われる国会議員など目にすると余計重税気分になる。
  政党に望むこと                                                        2011/02/17
 政治不信になりずいぶん過ぎた、日本の経済が順調で外国との関係も上手く行っている、国内も福祉などそれなりになっていた頃は政治に
期待してなくても良かったが今は環境が激変しあれもこれも問題だらけである。
しかし政治の世界は相変わらずつまらぬことで各政党が我を張って相手の言葉じりを非難したりひとつの主張だけで関心を得ようとしている。
いまそんなことをしている時だろうか。いま各政党に望むのは1000兆円になろうとしている国の借金をどう解消するのか、40兆円にもならない
国の収入で90兆円以上使っている状態をどうするのかと言うことです。このままでは年金も郵便貯金もずべてパーになってしまします。
収入と支出をまとめての予算案を政党なら作ってほしいです。
消費税増税反対、福祉切り下げ反対なら税収をどうするのか、TPP反対なら貿易立国をどう進めるのか、反対で農業は再生するのかなど
ものの一面だけでなく問題点と対策、政策(支出)と収入の両面を示して貰いたいです。
  カンボジア旅行(2)                                                      2011/02/01
 アンコール遺跡はアンコールワット、アンコールトムは初め沢山あります。アンコル王朝がタイとのたたかいの中この地を捨ててプノンペンに移動
放置された建物、寺院等はジャングルに覆われ人々に忘れられた、200年後カンボジアを植民地したフランス人に発見された。そんな歴史の
ある遺跡群は樹木の生命力と柔らかい砂岩で作られているため風化してして崩れが多い。あちこち行ったが混同してしまった。
クバルスビアン、バンテアイ・スレイ、ロリュオス遺跡群、アンコール遺跡群、どれも見ごたえのあるものだ。
遺跡には見学料が必要だ、私たちは1週間有効なもので60ドル、6000円でこれは外国人だけ。国民は無料である。世界遺産で遊ぶ子供たち
を見た。子供と言えば遺跡の入口付近には沢山の子供が絵葉書を売っている、10枚1ドル。歩いているとすぐ寄ってくる。この収入がこの子らの
生活費になるもだろうか、。
郊外は水田が広がる、乾季なので稲は無くその藁の部分を放牧されている牛が食べている。かんがい設備が不十分で自然任せで今は農家は
仕事なし、沼や川で魚をとりそれを食べていると言う。町から数十キロ離れたところはまだ電気が来ていないとのこと。インフラ整備はまだまだだ。
  カンボジア旅行(1)                                                      2011/01/25
 以前から行きたかったカンボジアのお正月明けに6日間の日程で行って来ました。見学はアンコール遺跡周辺だけで宿泊も同じホテルで移動が
無く楽でした。ベトナム経由のシエムリアップです。国を経由しての乗り換えは初めてで夫婦2人だけでちょっとドキドキしましたね(^−^)。水の
飛行機持ち込みはダメでペットボトルに少し残っている水は飲ませれました。
シェムリアップはアンコール遺跡の観光拠点でそれなりに活気がありました。オートバイが溢れてベトナム並みか、ガソリンスタンドが少なくペット
ボトルにいれて道端の店で売っていました。それほど大きくない町にホテルが100以上あるとかまさに観光で生きてる町ですね。市場には果物類
が溢れていました。また何でも売っているところですね、バナナがひと房25円位とか、屋台食堂も多いです。
  どうしちゃったの私の身体                                                      2011/01/15
 今年はまずは健康と考えていたけれど、どうなってしまったのだろう変調をきたしています。正月明けの海外旅行の途中からヒドイ下痢症状
となり5日以上続いたか、その次に足に硬直状態がありそれが収まったかと思うとクルマの運連中人差し指と中指が外に反ってしまう、アコの
練習時にも反ってしまうという現象に唖然とした。それが収まると今度はヒドイ腰痛に立つことも座ることも容易ではないようになった。
夕食も食べられずベッドイン、コルセットして長時間の寝姿となってしまった。
明日がボランテアでの演奏があるが練習をしようにもままならない。どうしてこうなったか。下痢すなわち海外での食事が起因すのかな。
快食快便が自慢なのにその辺がダメになっている。困ったものだ。とりあえず明日を乗り越えなくては(冷汗)
  2011年のスタート                                                          2011/01/02
 2011年が始まりました、一年の計は元旦にあり今年はどんな年にと考える。
段々余生のことを考えるようになった、以前は自分の人生まだまだ先は長いと思っていたが数えて見ると平均寿命から行くと後15年位しか
残っていない、その中であちこち飛び回れるのはどれ位あるだろうかと思うと一ケタになってしまう。
一月は6日からカンボジア旅行からスタートか。仕事をどうするかも考え時、そろそろENDにするか後数年続けるか
アコーディオンは、ボランテアはとこれから生活のリズムをどうとろうかなど徐々に動き出したいと思う。
  山陰旅行                                                                2010/12/09
 12月2日〜4日と山陰、天橋立、鳥取砂丘、出雲大社、足立美術館、倉敷エリアと出かけて来ました。
旅行、旅は私の趣味の一つです、初めてと言っていいかどうかは分かりませんが最初に出かけたのはまだ二十歳ごろ、青森三沢の友人を訪ねて
夜行列車で旅しました、奥入瀬十和田湖など懐かしい思い出です、独身時代はリュック背負っての一人旅が多かった、最近は夫婦旅行が多い。
今回は旅行会社のツアーに夫婦で参加、低料金を売りにしているツアーでしたがまずまずでした。
天橋立は快晴の穏やかな天気で日本三景の一つを満喫、鳥取砂丘では強烈な砂吹雪を体験、足立美術館は評判通りの素晴らしさでした。これで通過だけ
も含めて行っていない都道府県はあとひとつとなりました。
  市役所からの贈り物                                                           2010/12/01
 市役所から手紙が来ました、なんだろう健康福祉課高齢福祉課が差出人だ
あけて見た、すると中からなんと「介護保険被保険者証」なるものだ、こんなのがあるのだと初めて知った。説明によると満65歳になるとこれにより
介護保険が使える、また別途介護保険料は徴収されるとのことだ、12月15日が誕生日、ここからお年寄りに認定しますと言うことだ。
まだ若いと思っていたのにショックだ、介護の要認定を受けられる資格が出来ましたよと言うように思えて気持ちが落ち込んでしまった(涙)。
寂しい年齢の始まりかな
  晩秋の風景                                                           2010/11/24
 11月の後半に入った。仕事でクルマを走らせる多摩市、八王子市の風景は木々は紅葉も末期、濃い黄色や赤の葉っぱが風とともに散り待っている。
また道路や木の周りは落ち葉のじゅうたんと化してとてもきれいだ。
もう冬はすぐそこに来ている。夏の暑さ冬の寒さに閉口するがこんな風景を見られる仕事は悪くないなと感じるこの頃である。
丹沢山系の向こうに富士山が見えた。雪をかぶり富士山らしく見えていい感じだ。これから数ヶ月、晴れた日は毎日見られるだろう。
晩秋の風景である。
 円高/15年前                                                           2010/09/20
 最近、円高のニュースが多く取り上げられている。1ドル83円台と15年ぶりと15年前のことが持ち出されることもある。
15年前、そうこれは私にとっても人生の転換時期、日本にとっても大きな出来ごとの有った頃だと気がついた。1995年、地下鉄サリン事件
阪神淡路大地震で騒然となったころ。ウインドウズ95が発売されパソコン時代が大衆化されたのもこの年だった。
私にとっての15年前、1995年
始めて一人で海外旅行した。初めて海外出張し3ヶ月異国でのホテル住まいを経験した。それが激動の始まりだった。
当時私は大手製造会社の製造技術の人間だった。円高が進む中、会社は製造部門を海外に移す方針となり現地化を推進した。この頃である。
私も現地人に技術移管、教育のため海外出張を命じられた。シンガポールである。
 ロクに英語を話せないのによく行って来たものだ。ただそこはアジアの共通後である英語である、単語の羅列と身振り、行き詰まると若い日本人
を呼んで通訳させた。3ヶ月でどうにか役割は果たしたと思う。
海外展開は自分の職場を海外に持って行くこと、つまり自分の職場が無くなることです。それからしばらくしてそれが現実となり。
 配置転換、リストラ、転職、行った先の倒産、信州への就職単身赴任、そして幾つか転職。今では懐かしい波乱万丈の日々だった。 
  トルコ旅行                                                            2010/08/25
 久しぶりの海外旅行、そう言えば前回も8月だったが今回はトルコ旅行となった。
昨年の初めてのヨーロッパに少し落胆したこともあり、アジアとヨーロッパとの接点、親日的な国。世界遺産が煮られるなどの宣伝文句につられて
と言うところか。あまり予備知識もなく出発、直前に買った旅本を飛行機の中で見ながら知識を詰め込んだ。
 国内の移動はほとんどバスで一日で700`も移動した日もあった。運転手が2名体制の一列3人のバスは良かった(さすがJTB)。
世界遺産など見どころはたくさんあり素晴らしかっだ。カッパドキアやバムッカレ、エフェソス、ベルガマなど。
それと同じに印象に残ったのは移動時の見た風景、シルクロードの広大な大地はこういう世界があるのだと考えさせられた。
食事は合わないものが多かった。遊牧民族と稲作民族の違いかチーズとパンとオリーブ。乾いた大地を感じる。ただ果物は美味しかった
それと蜂蜜。少ない海外旅行だけど、日本食の美味しさを再認識する。
 活気ある発展途上の国の印象を持った。郊外のハイウエイとその横を通る、荷馬車や羊の放牧の姿。その同居が私には新鮮だった。
イスタンブールの印象は一言では言い表せない。もう少し滞在して居たかった旅だった。。
 うたごえ喫茶「灯」                                                        2010/08/14
  新宿のうたごえ喫茶「灯」に行って来ました。お昼のうたごえで土曜日のpm2〜4
40人弱のお客さんがいました。思ったより狭い感じがしました、あまりにも有名のなので(^−^)。
歌った歌は
夏は来ぬ、みかんの花咲く丘、無縁坂、案山子、風、いつでも夢を、学生時代、荒城の月、山小屋の灯
青春時代、カチューシャ、黒い瞳の、バルカンの星の下に、いちご白書をもう一度、琵琶湖周航の歌
さくら貝の歌、水色のワルツ、蘇州夜曲、椰子の実。帰れソレントへ、薔薇はあこがれ、心騒ぐ青春の歌
千の風になって、青葉城恋歌
何曲か歌えませんでした。またリクエストした人歌えという事が無いのは好感を持てました。
何と私がこの店に行ったのは初めてなんです(^−^)。
  今年もはや半分過ぎて                                                     2010/07/08
 今年も半分が過ぎました、高齢者にとって一日は長いけど1年は短いと言う話を聞いたことがあるけれどその通りのようです、若者より脈拍が少ない
その分だけ、少し脈拍が少ないのに日月は早く過ぎるとよくわからない学説に納得してしまう。
この半年、旅行は沖縄、そして始めて行った佐渡は良い思い出になりました。父と母が無くなり7回忌が郷里であり兄弟姉妹と久しぶりの再会とこのあと13回忌
までみんな元気でいようよと高齢となったお互いをいたわったりとした。
 ボランテアと言えるかどうかわからないが「うたごえひろば」「デイサービス訪問」は続いている、また福祉まつり、施設イベントも何とかこなした。
アコーデォンの独奏曲を持とうと何曲か挑戦中、年末まで一定の数の曲を持つよう進行中、あとひと踏ん張りと思う。
 昨年10月から始めた清掃の仕事は継続中、今年年末までは続けたい。
今年一番の課題である健康、体力維持向上は身体のあちこちが悲鳴を上げて要警戒状態だ、無理をしていないし気を使っているのだがそう言う時期なのだろうか
もう少し考えて行かなければならないと思う。体型もよろしく無いですね鏡を見ると(^−^)。
生活のもう一つ二つの柱を作りたいと年初に思ったけれどどれも挫折です。後半に先送りになってしまいました。得意の先送りと言ってすましてはいけないね。
総合すると評価は達成度50%に少し足りないかな。完璧は望まずそれなりで良いかなとも思うけれど
後半はまず健康で行きたいと思う。

  共産党の政策/消費税                                                           2010/06/24
  参議院選挙が始まった、各政党がそれぞれ政策、マニフェストを発表して政策を戦わせている。今回の争点の一つが消費税の増税のようだ。
自民党に次いで民主党も税率アップを出している。国の借金は間もなく1000兆円そして高齢者社会における社会保障費UPをどうするか。
まず自民党にはこんな借金を作った事への反省謝罪を言って貰いたいと思う。
そんな中で共産党は消費税UP反対を大きく主張している。生活苦の私にとってはうれしい限りである。しかしでは大借金はどうするの、社会保障は
どうするのとの疑問が残る。また企業が研究開発部門まで海外に持って行こうとしている現実をどうするのだろう。大企業だけを敵視して解決するほど
自体は甘余裕が無くなってきていると思う。国政に責任を持つ政党ならこうすれば良くなる。こういう予算政策で財政問題を解決する、
出来ると言うのを示して貰いたい。反対だけしていればいい時代は終わったと思います。
  今年も沢山のホタル                                                           2010/06/19
  昨年、友人に教えて貰った「ホタルの里」へホタルを見に行って来ました。秋川の川に近い用水路と森、小さい頃の風景を思わせるところです。
午前中の雨も止み、青空も見える空、夏至前の長い昼間も終わりに近づく頃、現地の到着した。まだ少し早いかな
 近くのすこしづつ集まり始めた、午後7時45分過ぎ スーッと飛ぶホタルを目にした。子供たちが「ホタルだ」と歓声をあげる。そして暗さを増してきた頃
無数のホタルが飛び始めた、光が明るくなって、スーッと消えて、また明るさを増す。そんな光が水路の上、木々、草の間からあちらもこちらもと輝く。
”闇の中に、ホタル飛び交い、人の群れに 追われて逃げた”の歌の通りです。薄暗い中、家族ずれが沢山来ている。お父さんにとって貰って歓声を上げる
子たち。
幸せそのものを見ているようだった。この子たちが大人になってもこんな光景があってほしいと願うばかりだ。
 この日はもうすぐ遠くへ引っ越すともと一緒にホタル観賞をした、もうこんな平和な光景と幻想的なホタルのともに見る事はないだろう、いい思い出、
記念になったと思う。友人がこれから先幸せな人生を過ごすことを願ってやまない。
 闇の中を無数に飛び交うホタル、ほんのひととき幻想的な世界を満喫した。
  身体のあちらこちらが                                                  2010/06/04
  タバコはずっと吸っていないしお酒も少々の部類、健康的な生活をしているつもりだけど加齢と言うことか最近、身体のあちこちに
ガタがきはじめているようだ。数日前の平衡感覚の異常かふらふらする状態はショックだった。原因がつかめないのも不安の要素、
みんな年とると同じだよと言う人もいるけどわが身となるとつい考えてしまう。
 身体を動かすこと、脳を使うこと。それにはどのようにすれば良いか。真面目に考え実行しなければいけない時のようだ。
来週、一応の検査結果がでる。また月末に人間ドックを予定している。
  結婚記念日                                                       2010/05/20
 今日、5月20日は私たち夫婦の結婚記念日です。綾小路きみまろさんのあれから40年じやにけれど30と数年になります。
27歳で結婚、もう遠い昔のことですね。地方出身の二人でお互いの家財道具といってもほとんどなかったのだけど持ち寄っての新婚
生活、でも十分満足でしたね。結婚する時友人が「おめでとう」と言って呉れたので「何がおめでたいのかな」とひねくれて聞いたら
「好きな人とずっと一緒にいられるのだから、おめでとうだよ」といわねれ妙に納得したものです。
 子育て、仕事、住宅購入などいろいろな出来事があったけれど、これといった喧嘩もなく楽しく過ごせたから良しとしなくちゃ。
今日は2人で一皿90円の回転ずしを食べに行って、それから図書館、買い物とのんびり過ごした。平穏の結婚記念日でした(^−^)。
  郷里の風景                                                         2010/05/10
 4月末から法事のため郷里香川に帰ってきた。香川県は県のなかでは一番小さな県だそうだ。県庁所在地高松市が中心だ。
私の生家は今は高松市に編入されたが西へ20`程のベッドタウンです。子供のころはこんな田舎と思っていましたが今は随分
開けたなと思う。法事のあと時間があったので県西部になるかな、善通寺に行って来た、ここは弘法大師空海の生誕地で五重の塔
もある大きなお寺です、讃岐は弘法大師さん信仰の地でこの日も沢山の参拝者でにぎわっていた。
 ここから空港までいつもと違う讃岐山脈に近い山側の道をとることにした。
いつも見ている瀬戸内海近くの風景とは違う山村風景に気が付いた。主道路を走ったがお店は皆無、工場や公共施設も見られない。
住宅が散在しているが人にはほとんど会わなかった。小さな県だけれど高松近郊の賑わいとは全く違う世界だ。
過疎地と言っていいのか、どんな風にして暮らしているのだろう。そんな事を考えながら高松空港に向かった。高松空港から羽田まで
1時間10分ほどの空の旅です。
  清掃の仕事あれこれ(その6)                                               2010/04/20 
<引っ越しシーズン3月>
 担当している物件が学生が多く入っているアパート、マンションがほとんどであるせいか3月に退出する人が多い、大学は4年だから
1/4づつ入れ替わると言うことか。出る時は不用品は捨てて行く。ということはゴミが多いということだ。
使っていた風呂用品始めとして様々なゴミがでる、寝具、衣類、テーブルなども。粗大ゴミとして出してくれればいいのだが多くは
不法投棄するのがあり困る。せっせと分別等をするのだが腹立たしい限りだ。そのシーズンも終わりいまは比較的落ち着いている。
  古代史に興味、真実は?                                                2010/04/04
 図書館にて曽我入鹿の暗殺場面の小説を目にした。面白そうなので借りて読んだが驚きというか知らなかった事ばかりで俄然
興味が湧いた。この時代(西暦630年頃)には興味が無かったが昔の社会科を思い出すと@天皇をもしのぐ権力者曽我入鹿を宮中で
中大兄王子(後の天智天皇)と中臣鎌足(藤原鎌足)で殺害する。A二人はその後大化の改新を行い改革事業を推進する ということ
だがどうも実態は違うらしい。暗殺の理由が曽我の横暴(内政)ということだが朝鮮情勢にたいする対立(外交)だった、当時、上級
社会では1/3は渡来人(主に朝鮮、百済)だった。ほんとに入鹿は悪人だっのか。
 これらの歴史の記述は日本書紀から来ているが日本書紀を編纂したのは鎌足の関係者でとすると実態が見えてくる。歴史の勝者は
善人で政争に負けた方が悪人と言うことか。
 何年か前に韓国旅行をした。このとき白村江を訪問した、その時はなぜここに来たかあまり考えなかったが、日本、、百済と唐、新羅
連合軍が闘い、日本は数万人を派遣しコテンパンに負けたところと言うことを後で知った。
 公民館の迷走、うたごえひろばは?                                           2010/03/18
 鳩山政権が普天間、郵政等で迷走していると言われている。迷走の例、豹変の例は身近にあった。
日野市中央公民館の次年度方針である。私たちが関わっている高齢者講座の「うたごえひろば」
月いちどの開催で毎回60人以上の参加で大盛況である。10数人のボランテァの協力で行われている。この講座が
(1)税収の落ち込みで講師料の確保が出来ない(1回1万円弱か) (2)みんなには随分援助で育ててやった、いい加減自主
サークル化したらどうか。
以上の2点で来年度(今年)9月で公民館主催の「うたごえひろば」は終了する。ただし来年3月までは会場を確保したからやりた
かったらやっていいよ。
 とこのような事を公民館から言い渡された。我々スタッフはどうしたものかと考えていた。辞めるのは簡単だけど高齢者、参加者の
皆さんにはとても楽しみに喜んで貰っている、このまま辞めていいのか。
みんなで話し合った結果、自分たちで続けて行きたい、その方策を考えて行こうとなった。
 ところがそれから1カ月近くたって公民館から前言を翻し「うたごえひろば」は評判のいい企画である、公民館の目玉企画である。
ぜひこのままつづけたいから(公民館主催として)協力してくれとの申し入れがあった。
これを豹変と言わずして何というか、今まで言っていたことはなんじやいということである。
この1カ月で何があったか知らないがあまりにも市民を馬鹿にしたやり方だと思う。これがお役所だと言えばそれまでだが。
(続けるというのは当面であっていつまでとはいえないとのことです)
 清掃の仕事あれこれ(その5)                                               2010/03/18
<腰が痛い!体中痛い!>
 日常の仕事は移動(歩き)は多いが体力のいる事はそう多くはない。高齢者の健康増進には恵まれている。
しかしたまにある。ポリッシャ洗浄機を使った廊下、階段の床掃除は私にとってはかなりハードである。
半年間、ビルクリーニングの勉強をしたと話をしたことでではやって見て下さいと言うことになった。除じん、ポリッシャ作業、カッパギ
モップ仕上げ等の一連の作業を一人で行うが一番重労働は階段を30s超の機械を不安定な姿勢で持ち上げて移動することである。
この仕事は最初は2人やるようだったが最初の数時間だけでその後は一人となった。
一日の仕事を終えて帰宅すると猛烈に腰が痛いのを感じる、そして身体のあちこちが。1週間ほど後遺症に悩まされる。
昨日その仕事があった、今は最悪である。 腰を鍛える方法はないかと真剣に考える。
  清掃の仕事あれこれ(その4)                                               2010/03/01
<奥は深い>
 昨年4月から半年間都立職業能力開発センター府中校ビルクリーニング科で学科実技を学んだ。受講生は26人、いろんな業種、
年齢、男女様々は人たちである。ユニークな人、こんなタイプの人間始めてと驚きが最初だった。
 清掃はお掃除おばさん位のイメージしかなかった、夢と希望に燃えてと言う風では無かったの予備知識が薄弱だった。
どの業種でも奥は深い「清掃でも」衝撃を受けた。講義は一流の方が多かった。化け学の先生の授業は半分も理解できなかったなあ
法律は「こんなのあったの」と思った。
 実技は面白かった、ただ受講生が多くて十分やれなかったのは残念だった。
  神田川/私の青春                                                     2010/02/20
 今日「南こうせつ」のコンサートがあり聞きにいった。フォークソング世代として楽しみにしていたものである。同じ世代を生きた
おじさん、おばさんが沢山来ていた。若い人はいなかったようだ。
南こうせつさんの歌は沢山あるけれど一番好きなのはやはり「神田川」だろう、自分の青春時代と重なり当時を思い出す。
私の神田川。20代前半のころ
古いアパート住まい、6畳一間、ガス水道はあった、アパートの横に川があり横の細道を5分ほど歩くと銭湯があり通った。
テレビのない時代、やぐらこたつのテーブルで食事いたり本を読んだり。よく友達が集まり夢を話合ったっけ、恋をして失恋して旅をして
 また恋をして。夢を追ってた時代だった。
先日、以前住んでたアパートの処に行ってみた。古いアパートは立派なマンションになっていた。
  清掃の仕事あれこれ(その3)                                               2010/02/19
<なぜ清掃を>
 18歳からずっと働いてきた。職場もいくつか変わった。その中で清掃なかったし選ぶ選択肢の中にはなかった。
前の職場を辞めるようになったとき次何をしようと思ったとき友人の話、清掃をしている人たちを目にして初めてこんな仕事もいいかも
と思った。あまり頭を使わなくてもやれそうだ、長く働けそうだ。フル勤務でなくてもよさそうだと思った。
 どうせやるなら一定の知識、技術があった方がいいだろうと思って探してみたら府中市にそれを勉強するところがあった。
運よく入学試験をパス(時期が良かった、今なら入れない)。半年勉強することとなった。
 ひめゆり平和祈念資料館                                                2010/02/15
 沖縄旅行の最終日、南部にある姫由利平和祈念資料館に行った。敷地の建物の入口近くに戦時に野戦病院となった地下壕が
ある、傷ついた人たちにとっては劣悪な環境だったろうと思う。
ひめゆり部隊の人たち、年齢は13歳〜19歳、館内には写真が掲示されているが私たちの周りにいる子供たちと同じあどけない、
少女らしいい初々しい顔をしている。ある知突然、従軍看護婦だと言って戦争に駆り出されて自分の周りに何が起きているかも
判らなかったろうろ思う、さんざん働かさせてそのあげく部隊を解散する後は自由だと戦場に放り出されたとのこと。
 軍隊は国民を守ってくれないということだ。
展示の中に彼女たちの学校「沖縄師範女子部と沖縄県立第一高等女学校」の様子が展示されていた。楽しい学園の様子、行事
修学旅行、制服。憧れの学校生活が描かれている。それゆえに無念だったろうと思う。
旅行中、あちこちに米軍基地があった。はやく平和の島になってほしいと思う。
 清掃の仕事あれこれ(その2)                                                 2010/02/12
 今日は寒かった。外で仕事をするのは今までの人生であまりなかった。自然の中で暑さ寒さを感じながら働くことにある面憧れて
いたが現実、最高気温3度雪交じりの雨の中で働くのは結構きつい。もっとも世の中もっと過酷な天候の中で働いている人はいくら
でも居るけれど。
 今日はあまりひどいところは少なく順調に進められた。ただ手袋を通して水気が冷たくいい手袋があればと思った。
春が待ち遠しい一日でした。
 清掃の仕事あれこれ(その1)                                                 2010/02/08
 昨年10月から働き始めた職種は清掃、働き始めてから4カ月は過ぎた、当初目標は半年〜1年としていたからまずますと
言うところか。清掃と言ってもいろんな分野がある、私がしているのは巡回清掃でアパートマンションを廻って清掃する。
一日10カ所程度です。週2日、一日7〜8時間勤務。当初は休みが多いので物足りなかったが段々慣れてきた。
楽すると人間は堕落するというがまさに其の線である(^−^)。月に数日しか休まなかった頃とは雲泥の差である。
ただ私も高齢者の仲間入りした現実では体力も考えてこれ位でいいのかもしれない。
 空いた時間は今まで出来なかったこと、やりたいことなどやっていきたいと思う。
 2010年の始まり さて今年は                                                2010/01/01
  新しい年、2010年が始まりました。年末寒波で日本海側など広い範囲で大雪のニュース、こちらは寒い年明けです。
さてこの年はどんなことをやろうか、一年の計は元旦にありと言われるが
最近はいつもこれだけどまずは健康、昨年あたりから身体が少しガタついている点検オーバーホールが必要かなんて感じるので
健康について考える年にしたい、どのように考えるかはこれからにして(ここが肝心だけれど)
 次にアコーディオン、昨年後半から独奏曲に取り組み始めて面白いなと感じている。今年は2曲ほどチャレンジしまた伴奏はレベル
アップしたい。
 そして別の新たなこともいくつかチャレンジしてみたい。
旅行 春に里帰り(法事) 沖縄旅行も決めた。幾つか計画したい、一人旅もしたいなあ
あれこれ思い浮かべて楽しんでる年の始めです。
 コンサート/音楽会                                                2009/12/19
  今年の後半、10月頃以降、知人友人家族などのコンサート音楽会に出かけることが幾つかあった。
坂本光代さん、大田智美さんアココンサート、合唱団白樺定期演奏会、教会でのピアノコンサート/アココンサート、家族、近所、
友人参加の第九コンサート、そして家族出演のオーケストラのクリスマスコンサートと沢山のお誘いを頂いた。とてもラッキーだと思う。
それぞれが頑張ったり楽しんだりと生き生きしている姿をみるとこちらも励まされる気持になる。
 小さいころ、いやだいぶん大人になるなるまでは音楽には縁のない生活をしていたが今は周りにたくさんの人が音楽を楽しんでいる
そんな中で生活するようになった。私も余りレベルは高くないけれど音楽を趣味にして楽しめているのはとても良かったと思う。
来年以降も皆さんのように音楽に関わっていきたいと思う。
 ポリッシャ                                                       2009/12/10
 働き始めてから2カ月と少しになります。異業種、異分野からの初めての仕事、巡回清掃が主な仕事ですが
今年4月から半年間の仕事講習「ビルクリーニング」の関連とということで働き始めたのですがその知識技能はほとんど役立って
いません。世の中そんなにうまくはないですね、特に落ち込んだり後悔したりはしていません。初めての分野なので今のところ新鮮で
やってみたいことも多々見つかりそれなりにやっています。
 昨日初めて勉強したことの一つ、ポリッシャーを使った一連の廊下の床洗浄をやりました、除じん、洗浄、カッパギ、モップ等の一連
作業です、それほど広くはないですが3階建マンションでの作業、一日かかりでした。資機材が十分とは言えない中で、作業も考え
思いだしながらの中でしたが何とかやり切りました。検収があればOKかどうかはわからないけどいい経験でした。
 保養所でのトラブル                                                     2009/11/07
 11月1日から3日まで市の保養施設「大成荘」に宿泊旅行に行ってきました。ここを利用するのは最近になってからですが年に
1〜2回利用しています。前回は早春に行ったように記憶しています。
 今回は1日昼過ぎに出かけて3日は朝食後すぐに帰路ということで、あちこち行くという計画はしなかった。
トラブルは最初の日の夕食だった。いつものように館内案内で食堂にに行き係員の案内で席に着き飲み物を頼み夕食といつもの通り
だったが途中何気なく他のテーブルを見るとメニューが違っている、変だなあと思いながら食べた。メイン食はハンバーグ、初めてだ。
疑問に思いながら食後、係員に「なぜ私たちだけ違うのですか」と聞くと「指示通りにやっています、疑問ならフロントに聞いてくれ」と
そつない返事、仕方がないのでフロントに行き聞くと、怪訝そうに調べて見たようで「ああ違っていますね、隣の部屋と間違えた、
食べたのは子供食です」そして「美味しかったですか」というではないか。なんでだ!利用券にはそんなこと書いていないぞ!それに
食事は子供食にしますかと聞かれてもいない、「明日は大人食を出します」とニコニコしながら話す。
 再度、食堂に行ってこのことを話すと配置票を提示し「この指示になっています」「食べた後ではなく先に言って呉れれば」と言う。
はたしてそんなことができるだろうか、席の案内されどうぞと言われればまさか子供食とは思わず食べるだろう。
その後はどんどん怒りが増すばかりだ!「明日は市役所に電話しよう、食べ物の恨みは恐いぞ」
妻はまた明日もハンバーグ子供食かねという。
 旅、宿泊の楽しみの一つは食事だと思う、それを間違いとはいえ大の大人に子供食を出されその時これでよかったですねと
確認もされなかったのはとても残念です。
 次の日及び後日施設責任者及び施設管理企業からお詫びをいただいてこの件は終わりですが前代未聞の体験をした旅行でした。
 働き始めました。                                                     2009/10/24
 10月2日から週2日で働き始めました。3月末が前職の退社日だったからちょうど半年ぶり、中身はともかく10月からと言うことを
目標にしていたから予定通りになれた。勤務日数がもう1日欲しかったがこのご時世まずはよしとしたい。
今までと違い現場作業なので身体を動かすので健康にはいいと思うし一人作業だから自分のペースでやり易い。逆に人との関り
が少ないのが物足りない
 ともかく今年いっぱいはこれで行こう。その中で次を考えたいと思う。
出来た時間はアコーディオンの練習に使うのが多くなった。ミニコンサートや歌伴が重なっているのでちょうど良い。
演奏レベルの向上に結びつけばいいですが。

 再び仕事を                                                       2009/10/01
 10月になりました。半年間知識技能の習得を目標に生徒に変身していましたがその期間も終わり再び仕事に就くことになった。
とりあえず週2日からスタートです。
 就職活動、2か所面接で不採用となりました。3回目 採用して貰えました。
 どのような生活スタイルがいいかはずっと課題となっていまだに結論が出ていません。取り合えすこのスタイルかな。
もう少し仕事量を増やすか、このままやっていくのかずっと考えているのですが。アドバイスの欲しいところです。
 
 就職活動                                                       2009/09/12
 現在通っている、職業能力開発センターの授業もあと少しとなりました(4月〜9月)、皆さん就職のための活動を行っています。
人ごとではありません、私もです。昨年からの不況で就職も今までとは比べ物に成らないほど厳しいです。
 ハローワークに行ってもパソコン検索をするだけで何十人待ちの時もあり、いざ検索を始めても希望のものが見つかりません。
今は若年層が沢山来ています。
 10月から働くことをめざしていますが先行きは不透明です。ネット、新聞折り込み、ハローワーク、しごとサーポート日野など
いろんな所に出かけて検索、そして面接しています。先日面接したとき来られていた人は20数回面接したと言っていました。
私もその人にまけず焦らずやって行こうと思っています。これも人生経験と前向きに考えカラ元気だして行きたいです。
 イタリア旅行                                                       2009/08/19
 8月2日から7泊9日のスケジュールでイタリアに行ってきました。
私にとっては初めてアジア以外の海外旅行、そして仕事を除いて10回目の海外旅行となりました。
成田からアリタリア航空で12時間の空の旅、矢張り長いです。機内食と飲み物サービス以外はただ仮眠するだけでした。
イタリアは暑かったです。ローマは落書きが多い、食事が質素、城壁都市に驚き、沈みゆくベネチュア、教会のスケールの大きさ、
田舎は田舎、きれいな町並みフレンチュエなどたくさんの出会い、そうクルマ(バス)事故に遭遇も。
 驚きの連続だっか。近日中に旅行記を書こうかな。お楽しみに
 今年も半分                                                       2009/07/01
 2009年、今年も半分が過ぎようとしています。一年は早いとのこと実感しています。
十分、充実している生活を送っているか やるべきことをやってきたかと考えてみると?マークがつくようです。
旅行をしました、始めてのインドネシア・バリ島は一週間弱だったが楽しく充実した旅でした。国内では岩手、松本、山梨の小旅行。
 防音工事で自宅を一部リホーム、少しきれいになりました。あとは区画整理まちです。
仕事、辞めました。市の天下り会社は1年でリタイヤ、いろいろあったが良かったかどうかはわかりません。4月から職業能力開発
センターにて技能研修 9月までです。今までとは違った人たちで戸惑っています。
アコーディオンは「うたごえひろば」が継続、6月には来場者が73名になりました。がアコが原因か右手が痛みます。なかなか良く
なりません、これに関連して体力健康がいまいちです。昨夜は足がつって痛かった!
 未だ充実気分のない日々を送っています。今年後半でなんとかしなくてはと思いつつの現在です。 
 パスポート                                                       2009/06/10
 今持っているパスポートが近くに期限切れになるので申請新しくしました。
今までのは期限10年、もうそんなになるかと思う、最初の訪問国はシンガポール、マレーシアとなっている1999/12/26、帰国は
12月30日だった、以後中国、台湾、韓国、タイ、ベトナム、インドネシアとアジアばかりの旅です。
 ひとつひとつ楽しい思い出となっている。訪問国の文化、歴史、日常の生活、どんな風に感じて生きているかなど、ほんの一部だが
知ることができて良かったと思う。だからどうなのと言われるとわからないけれど。
 新しいパスポートで変わったことは@写真が大きくなった。AICチップが埋め込まれている事など。今月発行。
このパスポートでどの国に行くことができるだろうか。体力知力年齢との競争でしょう。
まず8月にひとつ計画したいです。
 五月連休                                                       2009/05/10
 5月の5日間の連休は久しぶりに岩手旅行となりました。高速道路1000円を利用してクルマでの旅、行きは1日深夜10時過ぎ自宅
を出発。国道16号線などで東北道久喜インター、その後は岩手県西根インターまで東北道です。
 混でいました夜中から、宇都宮近辺で25キロ以上の渋滞、郡山でも同じくらいとまさにノロノロ運転で関東から出るのに一苦労。
そのあと前沢SA近辺は事故渋滞。一番困ったのはSA、PAが駐車場満車で入れすでした。休憩しながらが全然できなかった。
そんなかんだで15時間かけての道中でした。
 岩手では温泉三昧でした。雪と新緑のなか500円の日帰り温泉はいいですね。硫黄な香り満点で温泉満喫でした。
数年ぶりに松本時代の友人に会いました。森林仕事で移住したとか元気にやっているようで何よりでした。
大変な仕事だけれど充実感、達成感があると目を輝かしていました。私にはズシーンとくる言葉でした。
 動き始めました                                                       2009/04/13
 4月に入り13日が経ちました。失業してから13日と言っていいか、過去は振り向かないと思っていてもつい思い出してしまう。
こんぱくこの世にとどまりてとは比較が悪いがなかなか次へ進めない心の弱さだろう。
満開の桜のなかまた動き始めました。少しお勉強をしようと思います。東京都の職業能力開発センターの高齢者対象コースです。
6ヶ月のコースです。24人のメンバー、まさに雑多ですね、社会の縮図です。
このようなメンバー構成は初めてですがこれも社会体験の一つと思いましょう。勉強は思った以上に内容が濃いようです。
アコーディオンはもう一つ、演奏の場が増えました。ディサービスは少しお休みですが、6月のアコサークルの出演場面もありそれほど
余裕はないです。5月連休は東北ドライブ(旅行)も予定しています。
8月に海外旅行でイタリアと思っていたがお金が足りずコース変更ですがまずはパスポートの更新からです。
あれこれとあるのですがわが道定まらずですね。
 短いけれど気分転換の日々                                              2009/04/02
 そのうちまとめて記するとして1年間の仕事にピリウドを打ち昨日から次の日曜日まで空き時間となった。
けれど予定の入っていないのは2日だけ、ああ要領の悪いものだと思ってしまう。
 そんな訳(どんな訳?)で今日は近くの日帰り温泉に行って来た。出来て間もないようで施設はきれいでお風呂は小さいけれど沢山
あり楽しめる。東京の温泉で茶色がかった感じです。地下1800mからということでそれ位掘ればどこでも温泉はでるようだ。
 数ある湯船に順次浸かり露天では青空を見ながら、サウナでは暑さに堪えてと楽しむ。
リラックスルームで横になり仮眠をとったりと4時間ほどのひと時でした。来週からはまた新しい生活が始まる。
 感じのいい店、買い物もしたくなる店                                              2009/03/11
 昨年4月から配送の仕事を始めた。配送先はコンビニ、スーパー、個人商店(酒屋さんなど)である10キロ程度の段ボール箱に
入った指定ごみ袋を配達するのだが今まではお客として正面から入っていたお店が納入先と言う裏口から入るのである。
(コンビニなどはお客とおなじ)。いわば買って頂くから受け取ってあげるに立場が変わるのである。配送作は100数店、応対は千差
万別である。おおむね気持ち良く対応してくれるが中にはあまり楽しくないところも。
 その中で一番いいのは「クリエイトSD日野南平店」さんでしょうね。店員さんの応対、言葉遣いが丁寧でテキパキやってくれる、
専用呼び出しボタンがあるので担当者を探さなくて言いなど配送業者としては裏しい限りである。こんなお店は買い物もしようかと
言う気になる。少し遠いけれど洗剤を買いに行ったら丁寧にアドバイスしてくれた。
 このお店は社員教育がしっかりしているようだ。
配送で感じのいい店は買い物もしてみたくなる店だ、そこで気持ちよく(値段も含め)買い物ができたら
配送マンはお店の宣伝マインに変身する(^^)。
  バリ島/インドネシア旅行                                          2009/03/09 
 だいぶん日が過ぎましたが1月25日〜1月30日、インドネシアのバリ島、ジャワ島に行ってきました。リゾートではなく世界遺産など
を見るのが主な目的でした。夫婦2人旅、一応JTBのツアーですがメンバーは2人でした。バリ島は小さな島ですが寺院、景勝地と
見どころたくさんのところです、またジャワ島のボロブドゥール、ブランバランなどスケールの大きさに圧倒されました。
 自由行動のとき街を散策して一軒のお店に入りましたがそこのオーナーが日本人でいろいろ話をしてくれ又、現地人食堂や町の案内
までしてもらってラッキーでした。
 まだまだ物価が安いこと、生活スタイルが違うこと、テロの後のことなど現地事情が知れて良かったです。旅の良いところです。
また行ってみたい、そう思う旅でした。現地まで7時間の空の旅でした。
 2009年のスタートです                                           2009/01/01
 2009年が始まりました。東京地域は冬場れの快晴の日が続いて新年もさわやかな青空で迎えようとしてい
ます。
 昨年08年はホームヘルパーの勉強、目指したものとは違ったけれど再就職自宅の一部リホーム、
ベトナム旅行、うたごえ喫茶、ディサービス、コンサート体力不足、松本、香川ミニミニ一人旅、出羽三山夫婦旅行。
干し柿作り、切干大根作り、料理教室。、
あれこれ試行錯誤の一年でした。人生の後半、残りの年月を数えるようになったこの頃、追いかけられるような
気持ちになることが多い。時間ばかり過ぎて行くような気がする。
今年は転機の年になるような気がする。どのように転機になるか
とりあえず去年と同じ市内の七福神めぐりから始めるとしよう。

 料理教室(気軽に楽しく覚えたい料理の基本)                                      2008/11/01
公民館主催の料理教室に行って来ました。今回は大1回目、全9回のコースです。
定員20名、男性7人、女性13人です。年齢は男性が60代〜70代、女性が20代〜50代と別れています。
 エプロンと三角巾スタイルでいざ開始。
今回はご飯の炊き方から始まってごはん、煮魚(かじき)、キャベツ和え、味噌汁、果物(柿)
私のグループは男女各2名の4人で行いました。
それぞれ手分けして進めました。結構急がしかったです。2時間くらいかかりました。
できた料理はみんなで楽しく食べました。次回は何でしょう。
 幸せのひと時                                                    2008/10/05
 ホームヘルパー講習会の時の仲間、私を含め4人でミニ同窓会をした。2月修了からだから7か月あまりの再開で
す。しばらくのブランクだったがすぐに打ち解けて昨日別れた感じで話が弾んだ。
 このメンバーは講習会時にたまたま前後2列、席が近かっただけのだが何か気が合い楽しく学んだ中です。
あれ以来のそれぞれの仕事や講習会時の懐かしい話、身近なことなど話してあっという間に時間が過ぎた。幸せな
楽しいひと時だった。明るく笑ったり冗談言ったり、でも皆さんそれぞれに厳しい現実もあるようですがそれを感じ
させない明るさは素敵です。
再会を約束して別れましたが皆さん元気でまた会えるといいですね。幸せなひと時でした。
 パソコンボランテァ                                                    2008/10/01
 市のボランテァセンターからディサービスでパソコンボランテァの要請があるのでやって貰えないかの依頼が
あった。
やれるかどうか不安があったがとりあえず行ってみることに。
そのディサービスは1回3時間のショートのもので身体のケアを主としながら頭のリフレッシュとしてパソコンの勉強を取り入れたよう。
初心者で電源の入れ方から始めるもの。勉強というより頭を使ったレクレーションか
 3回ほど行ったがやめることにした。あまり行ってもそんなに必要としていないのと株式会社の民間企業にボランテァすることもないだ
ろう、と思ったこと。福祉と名がつけばダダで人材を得られると思っているような感じなので辞退した。
ボランテァというものを考えさせられた出来事だった。
 ブラウザ/メールソフトの変更                                              2008/09/12
 インターネットを始めた時から自宅のパソコンではブラウザ/メールはネットスケープをずっと使っていた。(職場などでは
インターネットエクスプローラ(IE)ですが)。
 最近ネットスケープではダウンロードなど対応していないものもありついにブラウザ変更を考えた。ネットでいろいろ探してみて
Firefoxとした。十分考えた訳ではないですが、簡単にダウンロード/移動ができてしまった。
表面的には以前とほぼ同じなのであまり
戸惑うこともないのでそのまま変更となった。
 ネットを初めてからだから11年ほどネットスケープと付き合いい最後は7.1までいった。使い慣れたソフトだった。
今ではあまり使っている人はいないかな。御世話様でした。
 8月6日の日                                                       2008/08/09
今日8月6日は広島に原爆が落とされた日、何万、何十万の市民が一瞬になくなり
また被ばくの苦しみを負わされそして街を破壊された日です。
 今から13年前の戦後50年の日私は広島の原爆慰霊の式典に参加、また平和音楽祭で
「原爆許すまじ」のアコーディオン合奏に参加しました。そして海軍兵学校跡の自衛隊基地
江田島にも行きました。
 あれから月日がたち私を含め平和を考えることが少なくなったように思います。
政党、市民団体の活動もあまり聞かれません。
身近な生活に追われているからかも知れませんね。
 ハンドル名                                                       2008/05/29
 ホームページを作り公開してから10年を過ぎました。ずっと実名でやっていました。特に大きな問題はありませんでした。
先日、知人からペンネームでやった方がいいとアドバイスされました。うん、それもいいかなと考えました。
そんなわけで「あこのむぎ」と言う何しました。
この名にしたのは自己紹介のページに書きましたがアコーディオンと旅の私の趣味からです。これから考えながら生きてゆく年齢に
なりました。これも一つの区切りかなと思います。
 まさかの失敗                                                       2008/05/25
 公民館まつりが開催されていたので見に行きました。公民館に参加しているグループがそれそれ展示、発表していました。
デジカメのコーナーはこんなきれいな写真と関心されました。版画コーナーは小中学校版画のイメージとは全く違う棟方志功さんばりで
関心させられました。そんなのを見て広場にでると食べ物などのお店がでていて賑やかです。
いくつかの売店を通っているとポップコーン屋さんで若い娘さんに挨拶されました。私をよく知っているよう親しく話かけてくれるので
「どなた」と聞いたらなんと4月から働いている会社の人ではないか、なんと大失敗、会社のMさんがここにいるとは想定外、まさかと
言うほかない。会社では私は外回りなので朝と帰りに見かけるだけだけどそういえば昨日の帰りにお話したっけ。
 そのあと別のところでも違う人に親しく話かけられて、私もあったことあるとは思ったけれどしばらく思い出せない。それでも話して
いると友人のKさんの名がでて、ああKさんの同僚だ。
いずれにしてもショックでした。
 市立病院の役割                                                    2008/05/10
 「分娩の一時休止についてのお知らせとお詫び」
このたび6月より、当院での分娩を一時休止させていただきます。

 このような文が市の広報に掲載されまたニュースでも取り扱われました。我が家では子供の出産に市立病院を利用させてもらった
こともあり なぜ!と思ってしまいました。今少子化対策が言われ、また産科病院の閉鎖が問題となる中、市民の病院として
何がなんでも死守し貰いたい出産を早々と休止してしまうのは情けないやら呆れるやらです。小児科医師が不在になるからと
理由づけをしていますがそれなら市(市立病院が紹介します言っている産科はすべて小児科医師がいるのだろうか、また市立病院より優れた設備、人員配置なのだろうかと思う。
 私の住む町が子供を安心して産めない町になってしまうのはとても悲しい限りです。
 新たなスタート                                                    2008/04/19
 4月になりました。今月からまた働き始めました。当初はホームヘルパー関係の仕事と思いましたが方向転換、市行政に関係のある
会社で配送業務となりました。初めての分野となり試行錯誤で始まりました。会社で働くということは残された時間はあまりありません
いつまでできるかわかりませんがまずは3か月、半年、1年と余り先迄見ないで日一日を大切にしてゆきたいと思う。
 またアコーディオンでは入間アコーディオンサークルに参加することにしました。しばらくやっていなかった合奏やソロ曲をやって見よ
うと思っています。仕事とアコーディオンを中心に少しづつ輪を広げて行こう、4月はそのスタートの時です
 難聴、よく聞こえない!                                         2008/03/17
 旅行に行った時です、予想外の寒さに3日目辺りから風邪気味、咳が出て鼻がズルズル。ちり紙を使って頻繁にはなかみ!
そんな時移動の飛行機に乗る。上昇(離陸)する。いつものように気圧の関係(?)唾を飲み込む。あれ、何か変だ。
聞こえがなんか変。それを境に弱難聴になってしまった。テレビの音が良く聞こえない、かすかな音が聞こえない。
旅を終えて自宅に帰った。でもやはりおかしい。我が家、ここはこんなに静かだったのだろうか。
 耳鼻科にいった。聴力検査をした。やはり悪くなっている。医者は風邪と飛行機のせいという。空気を入れる治療をしてもらった。
一瞬良くなった。そうだこんなふうに聞こえていたのだ。元気を取り戻し自宅に帰る。だが時間が経つとだんだん悪くなる。
静かな世界に戻ってしまった。このままずっと行くなかなと思うと不安が募ってきた。どうしよう、どうしょう。
1週間ほどして風邪も治ってきた。それに比例して耳の方もどんどん良くなった。良かったと胸をなでおろした。
私は少しだけ聞こえにくくなっただけだがそれでも困惑した。健常者が事故、病気などで難聴になることはこの何十倍もショックなの
だろう。
 あっという間にあれこれ過ぎて                                        2008/03/09
 もう3月も9日です。この間いろんな出来事がありあっという間のようです。ホームヘルパーの在宅介護実習、ヘルパーさん、
利用者さんのお話を沢山聞けました。講習会の修了式、打ち上げ会。3ヶ月で培った一体感溢れる楽しい集いでした。
うたごえの歌集作成。遂にやりました。2月のうたごえひろば、ディサービスでの歌の集い。ベトナム旅行。久しぶりの風邪、
防音工事の為の我が家の改修工事。そして今日のボランティア交流会での演奏。
一つ一つが大切な意味ある出来事が通り過ぎて行っているそんな感じです。今月もあと20日ほど、こんな感じで過ぎていくのだろうか
時間の過ぎるのが早く感じられるこの頃です。
 施設実習                                                    2008/02/01
 ホームヘルパー講習も後半に入り施設等の実習となりました。まず始めはディサービスと特別養護老人ホームでの実習です。
場所は都内の某所で自宅を6時過ぎに出発しなければならず寒い中これが最初の大変さでした。
初日はディサービスの方です。30人ほどの利用者さんに対しての一日のスケジュールをを一つ一つ指導してもらいながらやらせて
貰いました。たくさんのことを相手の状況も考えながらやるのは大変ですね。利用者さんとお話をして下さいといわれたが会話を続け
るのは骨が折れます。でも時間とともに雰囲気になれた事もあり後半は周りを見回すこともできたか。カラオケタイムはそれなりに
楽しかったです。
 次の特養老人ホーム、土曜日と月曜日の実習だったがこれが施設の現状かと驚きでした。こんなものですといわれるかもしれま
せんが初めての私には大きなインパクトでした。初日は人手不足ということで簡単なことをやったり利用者とお話したりと職員が実習
生に関る時間がとれない感じでした。2日目はいくつかやらせて貰いました。
 少ない人数でたくさんのことをこなし働く現場としては厳しいですね。あと一日の実習でいよいよENDです。
 調理に挑戦                                                    2008/01/15
今、受講中のなかに調理実習があります。まずは自分でやって見る事にしました。
内容は@鯛の中華蒸しA里芋のごま煮Bレンコンとひじきの梅和え
   C根菜の味噌汁D抹茶のムースEさつまいも餅
インターネットからレシピをダウンロード、それを元にスーパーに買い物して材料を揃える。テーブルに材料を
決められた量だけ軽量して準備する。レシピの書いている手順で作る。ということです。レシピはたとえば煮ると
書いているが何分位どのようになるまで煮るかを書いていないものもあり自分流に判断してということにした。
1日2品で3日掛かりました。作っている時は結構楽しいですね(^^)、間違い、思い違いもありましたが。
できばえと言うとやはり素人の料理ですね。たた食べられないほどひどくはなく家族に食べて貰いました。

明日の調理実習が楽しみです(^^)。
 今年の目標定まらず                                                    2008/01/14
 2008年になり早14日です。いつも年始めには今年は何をやろうと書いてみたりするのですが、今回はまだ決まりません
何をしたいか、何が出来るかの見極めが付きません。そんな中でとりあえず今やろうとしていることは
 ・ホームヘルパー2級の講習の修了とその後
 ・年相応からそれより良い健康作り 
 ・2月末の海外旅行といくつかの旅行(旅)
 ・2つのアコーディオンボランティアとアコレッスン
健康はまず第一は間違いなしとしてそれを前提に仕事と趣味とそれを生かしたボランティアということになるかな。
旅は久しぶりに海外旅行です。資金面を考えて海外はこの1回であと国内旅行。山陰、沖縄、琵琶湖と福井あたりを一つ
アコは入間教室か日野、どこかに所属して見たい。
今一番考えているのはホームヘルパー2級講習が修了して資格を取得したあとどうするかということです。
 
 ホームヘルパー2級                                                  2007/12/27
 仕事を退職してしばらくして何かやりたいと思っていたとき、東京仕事センターの「ホームヘルパー2級と介護事務」講習会のチラシ
を目にしました。もちろん今までの仕事が機械関係の工場技術をほぼずっとやって来ていた私にとっては全くの分野違いのものでした
が何か引かれるものがありました。時々ゆくディホームのことが頭にあったのかもしれない。
 とにかく申し込んで見るかと応募のはがきを出したがぜひともということは無かった。
説明会、体力テスト、面接と進み 「受講して下さい」の連絡を貰ったときは「えっほんとにやるの」と戸惑いの方が大きかった。
講習最初の日、自己紹介の時、皆さん立派な動機、目標を持っているのを聞き益々ビビッてしまった。
 さいわい、となり席の方がとてもいい人ですぐに仲良しになりお話しできるようになったのは嬉しかった。そして前席などの人たちとも
和気あいあいとなり良かったです。
講義が始まり先生方のお話を聞くごとにカルチャーショックでした。実際の現場はそうでないかも知れないが一つの分野として確立して
いるんだなと実感 とにかく聞くことがすべて新しいことなので知識として新鮮でした。
 お正月休み明けから実技実習、施設実習、ヘルパー見学と続きます。2月までチャレンジです。
 
 とりあえずゴール                                                  2007/10/22
 10月19日2年ほど勤めた会社を退職しました。もう1年位働くつもりでしたが志半ばと言えないこともないけど働いている
状況をみるともういいかと決めた。
 18歳で上京して某時計会社に入社して以来44年になるか。6つの会社を経験したから決して順風漫歩とはいえないが
よくここまでと言う気持ちもある。海外出張、徹夜長時間労働、会社の火災、事実上の倒産、職をもとめての信州単身生活、
技術専門校、職安通いなどいまでは懐かしい出来事である。多くの人にささえられたという気持ちを最近は特に感じる。
 最近は体力の衰え、健康への不安をなんとかしなくてはの気持ちが強い。これを機会に生活を考え健康、体力改善を第一と
考えたい。
また働いていることでなかなかやれなかったこと、やりたかったことを拾い出し少しでもやって見たい。
働くことを終えたわけではない。ちょっと一休みです。ある意味、人生の3/4を終え最終楽章を向かえたわけだから今までとは
ちょっと違った生き方ができたら良いなと考えている。
とりあえずはゴール お疲れさまでした。ちょっと一休みしましょう(^^)
 検査入院                                                       2007/09/14
わずか4日の入院生活をしてきました。人間ドックのついでに前立腺癌検査をしたところ陽性ですとの通知を
もらった。あわてて病院にいったら検査入院しましょうということになり思いもよらず病院のお世話になった。
 そこは偶然にも2年まえ入ったところ懐かしいというか変な感じだった。検査そのものは1時間弱だったが
その前後が長い。一応手術室に入るのでその手続きも沢山あった。場合によっては命に関るから仕方ないかも
知れないが。病室の窓から見える夜景はすばらしかった。
でも一日通しての点滴は苦痛だった。ベット上から動けない。自由の無い苦痛ですね。
昼間、寝るから夜眠れない、消灯が九時。その後が長い。
楽しみは食事だが手術ははさんで24時間食べられない。
そのあとやっと食事だが 動かないからカロリーはいらないけど 質素な食事ですね
(ホテルではないから当たり前か)
そんなわけで 帰ってきてホットしています。
1週間後検査結果は大丈夫。しばらく様子を見ることになった。
 同窓会                                                       2007/09/01
 2年前に通った技術専門校の同窓会があり参加した。今は職業能力開発センターと名前が代わったそうな。
メールで連絡を貰ったが当日は仕事、6時に切り上げて7時に行ったらなんと6時始まり。しまった!
それはともかく我が学友(?)は16名で在るが大勢の人が参加し楽しいひと時でした。
おおむね50歳を過ぎての再就職のための勉強、皆さんがんばって働いているようですごいと思う。近日中に退職しようと思っている私とは
違っていた。それぞれの現状を話してまた苦労も披露していた。同世代のものとしてそれぞれ共有できる想いだろう。
われらのクラスが53期だから「ゴミの会」と命名しているようだがどっこい生きてるゴミだろう。
 さて私はこれからどうしよう、これが一番の関心ごとだ、まだ定まらず、とりあえず病気検査の結果を見てというところか。
 千の風になって                                                     2007/07/20
 今、多くの人に歌われている「千の風になって」 この歌とは関係ないのですが「私のお墓」を作りました。自宅から2キロメートルほど
離れた多摩丘陵の丘の麓の小さな霊園の中です。その中の小さなお墓です。
思いつきというかふと思い、見学に行きと今すぐに必要ではないけれどいつかはということ。
 それを目の前にして自分の人生の輪郭が見えてきた気がした。
四国香川の片田舎に生まれ18歳で上京した。見るもの聞くものすべて初めて、体一つからの東京生活、職場をいくつか変わり、住まいも
いくつか代わり、そして恋をして、失恋して、また恋して結婚、子供、住居購入、不況の中のリストラ 転職といろんな場面を経験して
そして終着点の場所が決まったわけである。
 今、人生の第四楽章が始まったばかりである。まだ過去を引きずっているようである。あれしたい、これしたい、でもできないの自問自答
もらい物野菜                                                        2007/07/16
 一応都会生活なので食べるものはすべて購入しているのですが、この時期 ジャガイモ、きゅうり、ナスなど貰えることが多かった。
懇意にしている奥多摩の民宿、実家、そして近所で家庭菜園をされている方から頂いた。
きゅうり、にんじんは漬物にするのが多い。一夜漬けというのか新鮮でおいしい。トマトはそのまま食卓に。
 今、我が家はジャガイモが沢山ある。とても食べきれないほど、ふかし芋、肉じゃがと連日食卓に上る。当分はこの状態が続くであろう。
いただけるのはありがたいことである。経済的以上に貰えることはいいことなのだろう。
そう思いながろ頂いている。今度はポテトサラダを作ろうかと思っている。お父さんの手料理である・
 2007年も半ば                                                       2007/07/01
   2007年を半分が過ぎました。区切りといって良いか信州乗鞍高原、山梨清里高原などクルマで出かけ
ました。梅雨の季節あまり好天は期待していなかったのですが初日午後は雨でいたがそのほかは
なんとか持った感じです。行き当たりばったりというか松本市内の古い町並み探索、高原の花をたずね
たり。温泉に浸かり また信州のアジサイ寺、湧き水汲み、道沿いのお店を訪ねたりと気ままな旅
宿泊施設も市の保養施設を利用して出費を抑えての旅でした。
 サラリーマン生活もいよいよ卒業に時期が近づき後何年ではなく後何ヶ月になって来ました。
同じ職場の一人が先週末に退社しました。今の職場に入り1年8ヶ月、3人目の退社です。
 あなたはどう考えているのですかと問われているようです。
あと数ヶ月が目処かな、それまでとそれからのことを考えながらのこれからの毎日です。
 数日後、人間ドックです。健康状態のチェックもしてこれもこれからのキーワードの一つです。
 JR鉄道最高地点 標高1375m                                             2007/05/06
 連休を利用して清里の市の保養施設に行った。
その途中、清里と野辺山駅の中間にあるJRの鉄道最高地点に立ち寄った。
 青春のころ、サイクリングの一人旅をした。八王子から北に向かい横川に一泊、次の日碓氷峠
を越え軽井沢、小諸を通り小海線沿いに南下した、その途中にさしかかったのがこの踏み切り、
すぐ横に鉄道最高地点の表示があったのを覚えている。周りには何もなかった。
夏の夕暮れの前、誰もいないここで記念写真を撮った。その後坂をくだり、韮崎、甲府、石和と
夜道は走り、笹子の駅で仮眠した。体力の限界。富士吉田の友人のところまで旅した。
あれから40年近くが過ぎている。踏み切りと線路はむかしのまま。
過ぎし日々を思いながらしばしたたずんでいた。
 左腕の痛み                                                       2007/04/7   
 2週間ほど前から左腕、肩の付け根からしびれる症状が現れている。夜、寝ている時も同じでなんともいえない感じで困っている。
シップ貼り薬でも効果がなく手の形では激痛が走ることもあり思わずその場にうずくまることもしばしばです。
昨日、医院に行って見てもらったら首の骨の磨耗からきているとのこと。大量の薬を貰ってきた、
あちこち身体の変調のくる時だろうか。もう少しの間は元気な身体でなくてはならない。自己管理をしてゆかなければと思うこの頃です
 南九州旅行                                                       2007/03/25
 九州鹿児島と宮崎方面を旅行してきました。妻と二人、ツアーに参加しました。東京から同じ飛行機にはあまり乗っていなかったよう
だったが現地では各方面からのを合わせて40名ほどになっていました。南九州は暖かい印象があるからか。私は知覧と開聞岳を
見たいから。
以前行ったのは大手企業を退職し冷静企業に再就職し波乱万丈の生活にはいる直前、今回はサラリーマン生活の終わろうとしている時
これは偶然だろうか。ともかく出発、鹿児島市、池田湖、指宿、開聞岳、桜島、霧島温泉、宮崎飫肥城、青島、高千穂と盛りだくさんの3泊
4日の旅でした。日常生活と離れての旅先の数日。気の安らぐ時間でした。
 今回の発見、宮崎飫肥、城下町の姿をよく残しいる旅したなと思えるところでした。
もう一つ、高千穂、九州のほぼ中央の山地、天の岩戸もある秘境ですがたくさんの人がすんでいること。JRも災害で運休状態ですが
なにか別世界のような気がしました。、
 ミシン                                                           2007/2/12
 高校卒で上京したのは遠い昔のことになったがずっと思っていたことがある。
ミシンが欲しい、田舎のときは足ふみだけれどミシンがあり繕いものなどで使っていた。もちろん母などがであるが。
 単身上京して何もかも自分でやるようになって時として縫い物をするときミシンがあったらと思うことが多々あった。
いつかはと思いながらその先に必要なものがあり資金が回らなかった。
結婚して子供が生まれ成長していってもそれは変わらない。妻が一生懸命針仕事をして間に合わせていた。
どんどん日が過ぎて、通勤途中に中古ミシンを扱っている店がある。その前を通るたびにショーウインドウ越しに眺める。
男だし買ってもほとんど使わないのは目に見えている。でも興味、関心がある。何十年かの思いがそこにある。
 ’06年から’07へ                                                           2007/1/1
 2006年か終わり新しい2007年が始まろうとしています。’06年は人生の転換期としてあれこれ考えトライしてということもあり また
いくつかの出来事があり少々息切れ気味で年を終えました。体力も運動不足も加わり落ちて疲れやすくなった気がします。
新しい年、いつものことかも知れませんが健康第一。運動も取り入れて健康生活を目指したい。
 次にサラリーマン生活の最終年を想定しひとつひとつ実感していきたい。
そして’06年に関りを持てたいくつかのことを大切に継続して行きたい。そんな気持ちです。
まずは神仏だのみではないけれど。市内七福神めぐりと高幡不動尊にお参りに行きます。
 あれから1年                                                           2006/12/10
 あれから1年になります。朝いつものように出勤して、昼には病院のベットに横たわり午後1時には手術台に載り、半身麻酔で今起きて
いることが信じられないと思ったこと。災難はいつ起きるかわからないと言うことを肌で体験したこと。
 今そのときより健康生活を送っているかといえばそうでもない。運動といえるものはほとんどしていないし。食生活も変わりない。
ひとつ歳をとっただけ疲れやすくなった。
 この12月で出勤回数が1日減った。これを有効に生かしたいと考えているが具体案はまだ見つからない。もうすぐお正月
新年の計画で何か具体的実行としたいと思う今日このごろです。
 ピアノ教室                                                                 2006/11/04
 土曜ピアノレッスンという講座を受講し始めました。5回コース対象者は初めてピアノを弾いて見たいと思っている初心者。
集団レッスンで6人、1時間30分ということでしたが始まって見ると受講者は2人、内1名は会場の職員で実質私一人。 ということで時間も30分
短縮されました。先生も対象者を考えて真剣に教える気持ちのない様でそれなりに楽しめばいいという感じでなんとなく意気込みをはずされた感じ
です。
 それはともかく、アコーディオンと大きく違う点がひとつ、和音(コード)を指で作ることです。今まではたとえばCMというコードを弾く時そのボタンを
押せばいいのですがピアノは左手3本の指でC E Gの鍵盤を押さなくてはいけません。大変ですね。反面コードを覚えます。
まだ初めて3回、これからです。今回から宮崎アニメの曲を始めました。結構長いですが初挑戦の曲です。
もっと仲間が増えればもっと楽しいでしょう。誰かいないかな、いませんか。ピアノを始めたい人。
 うどん文化                                                                 2006/10/04
 故郷香川に帰るとうどん屋さんの多いのに驚かされる。テレビ番組などでも取り上げられる「さぬきうどん」セルフの店というのが多い。
以前はなかったのだけど誰が始めたのか。初めての人は面食らうでしょう。
食べ方はまずお盆を取ってカウンターに行く、ここでうどんの大小、と温かいのか冷たいのかを言う、たたえばうどん小、温かいのと注文、
次にうどんの上にのせるもの、ラーメンで言えばチャーシュウ(焼き豚)のようなもの。各種てんぷらを主にさまざまなものがある。お勧めはさぬきの
てんぷら、さつま揚げのようなもので、えびてん、ジャコテンがおいしい。うどんはだし汁は入れてくれるところと自分でやるのさまざま、そのほかに
ねぎ、生姜はセルフが多い、しめて200円から400円が相場です。
 なぜ香川にうどんが定着したのだろう。郷土が生んだ聖徳太子が中国から持ち帰り広めたというのが定説だが私は農業と海の幸を挙げる。
温暖な気候と狭い耕地のため夏の稲の裏作に小麦を栽培するところが多い。麺の原料である、そして塩の産地。小麦、塩、水でうどんは作れる
そしてだしは瀬戸内海の煮干。しょうゆの産地でもある。トッピングさぬきのてんぷら、かまぼこは魚からつくる。すべての材料が身近に揃っている。
 小さいころ母に背負われて、背中でうどんを踏む母の温かみを今でもわすれられない。
ブームはそのうちなくなるかも知れないけれど私にとって「さぬきうどん」はみじかな、そしてなつかしい食べ物です。
 たのしい出来事                                                                 2006/09/17
 楽しい出来事が2つありました。ひとつはピアノ体験講座に参加したこと。以前からピアノが弾けたならいいな、コードが解ればいいなと思って
いました、が時間が取れない、いまさら教室に通えないなどであきらめていましたが、市内の社会教育センターの新規開設講座で月2回のが
始まり、その体験講座に出かけました。先生のお話を聞いたりしていてやってみようという気になりました。早速ほこりをかぶったキーボードを
取り出しヘッドホーンを着けてあれこれやり始めました。。新しいこと始めるのって不安と希望で最近経験することの少ない心境を味わっている。
 もうひとつは施設でのアコーディオンを弾くこと。友人の紹介で施設ボランテアしている姉妹の方にくっ付いていってきました。施設での歌の
アコ伴奏は夢だったので楽しかったです。弾ける曲が少ないのを改めて実感しましたがはじめの一歩少しづつ弾ける曲を増やしてゆきたい。
それには練習しなくちゃと言う気になりました。少しずつ夢が広がって行きます。やらずに後悔するよりやって反省するほうにしたい
 北海道旅行                                                                   2006/09/16
 遅い夏休みとなった9月中旬、北海道に行ってきました。零細企業のフリーサマーバケーションは休みが取りにくい。
そこを無理しての休暇は3日間週末を利用しての夏休みだった。以前いちど行った道南、函館、洞爺湖などと富良野方面に行くコース
東京は秋雨前線の中でしたが。申し訳ないくらい好天に恵まれた。日々でした、
 函館の夜景はやはりきれいでしたね。富良野は北海道らしい広々とした風景はあこがれの風景、小樽の通りはまさに観光の通りでした

良いリフレッシュになりました
9月から私の生活環境は少し変化しつつあります。その中の一休みといったところです。
 ゲド戦記                                                                  2006/09/8
 久しぶりに映画館に映画を見に行きました。映画を見ること自体少なくなって年に一度も映画館に行かない年も多い。
今回は宮崎アニメの「ゲド戦記」のチケットを入手 出かけた。 やっぱり映画は映画館にかぎる です。画面の大きさと音響のすばらしさはテレビ
で見るのとは雲泥の差ですね。いい映画と料金が安ければどんどんいきたいですね
 それはともかく「ゲド戦記」外国小説のアニメ映画化とのこと。壮大な物語の様だが背景がいまいち理解できない。主人公の少年(王子)がなぜ
父国王を殺して剣を奪ってしまったのかが また冒頭の竜の戦いなど
美しい画面、音楽や場面構成はさすが宮崎アニメと思った。基礎知識を持ってみればもっと良かったかも知れません
挿入曲「テヌーの唄」は無伴奏でよかったですね
 当たり前と思っていたこと                                              2006/05/14
 ガス屋さんが来ました。現在使っているガス屋からうちに変えてほしいとのこと。我が家はプロパンガスを使っているがこの家に住
んで20数年、ガス屋のことは考えても見なかった。料金も公共料金に準じているものと思っていたが。話をきくと1割以上も金額に差
がある。これは自由化になっていて販売業者によって自由に決められるとのこと。ガソリンと同じ。でも一般に表示していないから
皆さん知らないだけとのこと
 早速、今使っているガス屋さんに来てもらったら値下げします。お話した業者と同じにしますとのこと。1割以上も安くなった。
これはどう考えればいいのだろうか。黙っていたら今のままだった。
そういえば新聞もやめるといったら値下げしますといって今は数百円も安く購読している。当たり前と思って何も考えずにいては
いけないということだろうか。
 GWあれこれ                                                       2006/05/08
  GWと呼ばれる連休も終わってしまった。サラリーマン生活としては最長の10日間の休みだった。特に旅の計画もなく自転車の
ペンキ塗りとこまごまとしたことで終わってしまった。出かけたといえば秩父の芝桜を見に行った事位か。芝桜は見事でしたがそれを
見に行く人の群れ、クルマの渋滞には驚かされました。秩父から飯能迄渋滞ですから
パソコンとホームページの更新はよくやった。ホームページ作成の新しい技もいくつかやってみた。ひさしぶりのレベルUPだ。
反面、依頼されているホームページ作成はまだ1/3くらいで遅れ気味
一番困ったことは肩痛です。原因がわからず焦っています。アコーディオンの練習も進まず困った困ったですね。
部屋も少し片付けました。すぐ散らかるけれど。
 来週は夫婦で旅します。4日だけですが車で東北あちこちです。天気がよければいいですけど。
 地域デビュー                                                          2006/04/15
  人生のターニングポイントの時なのか、いまあれこれ考えています。仕事中心の生活から少し舵を取り違うことにも興味を持ち
体験していきたいと思うこの頃です。
これからの粋な生き方と言う公民館主催の講習会に出かけてきました。地域レビューという言葉を聞きました。
地域、住んでいるところと関わりが少ないというかほとんど無いことに気がつきました。どのようにかかわるか、その手段がわからない。
 まずは出かけてみよう。そう思います。地域1年生の気分です。まだデビュー前です。
 ふきのとう                                                          2006/03/19
  近くの浅川にカメラをもって出かけました。歌のイラストにふきのとうをと思ったからです。
堤防の歩道の横の草むらのなかに見つけました。枯れ木やまわりの草のなかに早春の日差しを受けて瑞々しいi輝きを放っていました。
厳しい自然の中明日を信じて背伸びしているようです
もう春はすぐそこなんですね。なんとなくせわしくまた試行錯誤しているうちに時間がたっています。
余生いくばくもないと言えば大げさかも知れませんが、人生長いと思っていたのを転換する時でしょう。しばらくはあちこちでかけていこうと
思っています
 新しい年に期待したい                                                   2006/01/01
 ミレミアムと大騒ぎして向かえた2000年のお正月から6回目のお正月を迎えた。会社を替わり苦闘の一休み、シンガポール旅行の休み
あれからまた働く場所を変えて
昨年は技術専門校に通い何十年ぶりかの学生生活を味わった。電工試験、ボイラー試験と予習復習もいい体験だった。
仕事の挫折、再就職と経験しまた年末には即入院、即手術というとんだ経験もしてしまった。
人生の一区切りの誕生日。心身の衰えとでもまだまだの気持ちのぶつかりあいに時でもある。
21世紀は鉄腕アトムが生まれ希望の世紀のはずがテロ、戦争、災害、治安の悪化と悪い方向に進んでいるのかと思うこの頃
今年は自分にとって社会にとってどんな年になるのだろう
とにかく期待したい 初詣にもいこうと思う。昨年も同じことをしたようなきがするが。
 年の瀬のアクシデント                                                 2005/12/15
 何が起こるかわからない、そんな感じがする出来事です。
その日はいつもどおり家を出て会社へ向かう。寒さのせいか食べたもののせいか下腹部が少し重い感じがしたがそのまま電車にのり職場へと
向かった。電車をおりあとで薬を買おうか薬屋さんを探しながらお出勤。職場について椅子に座る。パソコンにスィッチ、いつものとおり
 あれ、だんだんお腹が痛くなる。座って居れない、我慢できなくなり「医者に行って来る」と告げ席を立つ。徐々に痛みが増す。
電車に乗り、病院へ。30分程度なのに長く感じる。それから、行った病院倒れこみ診察、ここでは治療できないからと別の病院へ
それから診察、即入院、午後手術、会社をでて数時間後には手術台に乗っていた。病室帰りベットの上で点滴の落ちる液を見ながら
あまりの急変に驚くばかりである。急を聞いて駆けつけた家族もただ驚くのみであったと思う
人生何があるかわからないというけどまさにそのとおりのことを体験した。今日は私の誕生日、家でパジャマ姿で横になっているとは
不思議な気分です。
 駅のおでんそば                                       2005/1/27
 JR中央線立川駅のホームに立ち食いそば屋さんがありそこのおでんそばがおいしい。
そばの上にさつま揚げのおでんがのって辛子をつけて食べるととてもおいしい。値段が安くおなかがすいた時などよく食べていた。
 ここのところ閉まっているので夕方は早く閉めるのかなと思ったらなんと閉店しましたとの紙が張っていた。
なんで?と思って立ち止まってしまった。味もいいし立川駅の名物のひとつだったし。残念でたまらない、直営店にして利益をあげたいとして
いるのか。それなら残念で仕方がない
 久し振りに技術専門校                                    2005/11/03
   文化の日の今日は快晴とは行かなかったが、秋色の1日だった。
9月修業式の技術専門校に久し振りに行って見た。いつものコースを自転車でほぼ40分、見慣れた景色のなかを通って行った。
技術祭と言うことで地味な専門校はどのようなものかと思っていたが沢山のひとと工夫された出し物で盛況だった。
お世話になった講師の方と近況報告したり、後輩生と就職話などして楽しいひとときだった。もう行くこともないがこれも一つの区切りだと
思う。いくつもの体験をすることはこれからは大切なことの様に思う。
同じコースで学んだ人たちはどうしているのだろうか、何人かはmailで近況を知ることができたがどんな体験をしているのだろうか
12月に集まりがあるようなのでその時お話が聴けるのが楽しみである
 あさみ ちゆき<あさみのうた>                                 2005/10/15
  あさみ ちゆきを知っていますか。CD「あさみのうた」を買いました。CDを買ったのは何年ぶりだろう。
お店に行くと売り切れ、取り寄せて貰ったのは初めてです。
名前も知らない歌手、聞くとどんどん引き込まれてゆく。演歌?フォーク?それとも何だろう
 生きていると思い通りに行かない、悲しい出来事、呼んでも届かぬ思いをいくつも経験する。そしてふと振り返るとき。
私も人生の後半に差しかかろうとしている。これからどう生きて行くのだろうと考えている時、ふと過ぎ去った時のことを思いだす
一生懸命だったのに届かなかった想い、好きだったけどすれ違いでどうすることも出来なかったこと。
青春を過ごした街の風景、そこにたたずんでいる当時の自分、今の自分。そんなコトを思い巡らせたりして。
歌を聞いていると「うんそうなんだよな」とか「わかるわかる」とうなずいたりして
そんな思いの中を「あさみのうた」がどんどん入ってくる、そんな歌である。久しぶりにこころにひびく歌を聞いた思いです。
「井の頭線・その後」、「こころの歌」など良いですね

一人、水割りを飲みながら<あさみのうた>を聞いていると思い出が次々と話し掛けてくるのです。
私の「神田川」                                             2005/09/29

神田川という歌があります。ちょうど20歳代アパート暮らしの時に歌われた曲である部分が自分の生活とも似ていて
好きな歌でした。

住んでいたアパートは6畳一間で風呂なし隣の話声も聞こえるようなでも当時としては一般的だったか、アパートの横を
山田川という小さな川が流れていてその両側が歩道、街路灯に照らされて裏町の静かな風景、この道を通って駅に出られた。

 わがアパートから川沿いの道を数百メートル行くとお風呂屋さん稲荷湯がある。高い煙突の下町の風呂屋さんでよく通った。

彼女はよくアパートに遊びに来た、福祉施設で働き、夜勤明けの時はコタツで話していると眠い休ませとテーブルに顔をつけ
スヤスヤと気持ちよさそうに寝ていた。一生懸命生きているところに魅かれた。

 お風呂屋さんに行こうよと誘ったがはずかしいと行かなかった。じゃあ俺ひとりで行ってくるよ、と言うと
「いってらっしゃい」とニコニコしながら送り出しくれた。

タオル、石鹸などもって川沿いの道を風呂屋に向かう。歌とは違うけどアパートで彼女が
待っていると思うと幸せな気分だった。
あれからどれくらい時がたっただろうか。久しぶりにその場所を訪ねて見た。

アパートはマンションに変わっていた。稲荷湯は小奇麗な風呂に変わっていた、川沿いの道はあのときのまま、
道に立つとあのころを懐かしく思い出された。
 技術専門校あれこれ(4)修了式                                          2005/9/27
 9月26日我が専門校の修了式は行われた。私の科は6ヶ月コースで16人が受講したが中途で2人就職して結果として14人修了と
なった。中高校生のようなモノではないがもうここにくることは無いかと思うと少し寂しい思いもする。お世話になった先生や友人と話して
いるとやはり終わりだなと感じるものが有った。
 大人になってこの年(年齢)できちんと勉強する時間を持てたのは非常に良かった。資格をとる事も働きながらではなかなかできないが
このような場所にいると断然有利である。資格はその道の入口で取得したからスグプロとしてやって行けることは無いが基礎を修得する
にはとても有効だと知った。
 明けて今日から自由の身 すなわち失業の身です。余り知られていないのですが専門校生は手当が支給されるのです、それも少なく
ない金額が(勉強させて貰って手当が貰えるのです)
 それはともかく身の回りを片付け職探しをしなければとそれ程嬉しい気分ではありません 今は
 技術専門校あれこれ(3)就職活動                                          2005/9/23
 半年間の専門校生活もあとわずかになってしまつた。これが終わるとしばらく中断していた「働く」ことに復帰することになる。
けれどまだ働く場所が決まっていない。ハローワーク等で働く場所を探しているが余りないと言うのが現実です。
求人でまず年齢制限でダメになる。30歳までが求人側の要望のようです。中高年齢者に取っては厳しいの一言です。
それと自分の問題として<これからの自分の人生、どう生きて行くか>を決めかねている。あれこれ思い巡らせても仲々決められない。
こんな時はどうすればいいのでしょうか。少し先輩の話を聞けば良いのかも知れない。でも最終的には自分でしょう。
そんなことで悶々として日ばかり過ぎている。そんな今です。
 美味しいぶどう                                             2005/9/13
 信州塩尻の友人からぶどうが届いた。甘くて美味しいぶどうだった。昨年まで働いていた会社の友人からで話はしていたがまさか本当に
送ってくれるとは思わなかったので余計に嬉しかった。
 以前の勤務先が倒産状態で解雇されたのはその2年前、失意のなかにいたときこないかと誘ってくれた会社が信州松本。
そんなところまで行けるかと思っていたがコレも人生行って見ようと決心した。
 単身生活、職場ではほとんど知っている人もなく孤独の出発だった。単身生活は結婚までしていたので何でもないと思ったが結婚生活
のぬるま湯にタップリ浸かっていたので堪えた。
 様々な出来事があったが昨年の今頃は帰る決心をした頃である。今では懐かしい思い出ばかりである。
早いものでそれから1年今また別の決断の時を迎えている。まあ何とかなるさ、今迄なってきたからは変な悟りかな。
余り思い詰めないでゆきたい
 それにしても美味しいぶどう、こんな美味しいの始めtだYさん ありがとう 感謝しています。
 技術専門校あれこれ(2)資格取得                                          2005/9/3
 目標を持って勉強することはとても良いことだとおもう
半年の中で「第2種電気工事士」と「2級ボイラー技士」の資格を取るべき勉強に励んだ。
電気は私の苦手な分野、でも技術職では絶対必要不可欠な知識です。いままでは見様見真似(?)でやっていて基本を知らなかったの
で良い機会だった。オームの法則から始まって電気理論、実務における決まり、そして法律と範囲は広い。覚えてもスグ忘れるので苦労
したがとにかく時間をかけて頑張った。第1次試験の学科は高得点で通過、次の実技は仕事の経験のあり比較的余裕を持って出来た
 このほかに材料選別のペーパーテストがありここが落とし穴で不安だったが何とかクリアし合格できた。
ボイラーはとにかく覚えることに徹して集中的に繰り返し繰り返し問題集とテキストで時間をかけてやりコレも合格。ただどれだけ身につい
たかは定かでない。
 資格取得を目標にやるとやはりがんばれる。いまもう一つチャレンジしようと計画中。こちらは11月試験なので時間が取れるかどうか
 技術専門校あれこれ                                                 2005/8/28
 通って勉強するという学生の様な生活を始めて5ヶ月が過ぎようとしている。あと半年である
あっという間の感じ、でもたくさんの新しい体験をさせて貰っている。やはり小さい頃の学生とは大違いである。
講師の言葉 コレって.......
 最初の時 構内見学が有った。職員室の前で 皆さんは入るとき、また入ったとき挨拶をしなさい。コレも就職したときの訓練ですと若い
先生は大きな声で訓示した。ココの方針でも挨拶をすることをうたっている。
私が当番のとき鍵をもらいに入ったとき元気良くおはよう御座いますと言ったけど返事帰ってこない人いたなあ
びっくりして何って顔している人もいた。コレってなんでしょう。
 ショックなこと。われわれ受講生が泥棒扱いにされたこと。実習のとき 工具が入れかわって見つからないことが有った
先生は実習授業以外は教室に鍵を掛けて入れないようにした。ものが無くなるからと ふざけるな俺たち泥棒か
これにはもうひとつ休憩時間にも早くマスターしようと実技の続きを休まずやる。これで怪我しては困るとこと。
小学生じゃ有るまいし怪我してもいいではないかそれで怪我することが分かれば と思うのだが
  のっているとき気乗りしないとき                                          2005/7/30
 ホームページの更新、mailの返信とインターネットを利用するようになってやるべき事が新たに出来た。当たり前と言えばその通り
でもホームページの更新などどんどんススム時とああいやだと思うときがある。忙しいさ、書くことの有無と連動する場合が多いのは
当然であるが必ずしもそうでない事もある。
このことをどう書くか、書いた時どのような影響があるか。他人の目を気にすることか
そうして思い悩むと嗚呼もう嫌だとなる。本来自分のページだから他人を誹謗中傷しない限り自分の主張、例えば嫌だった、それおかしい
と言ってもいいのだけれどそれが出来ない。そんな時嗚呼嫌だと更新も滞る
こんなの作るときは考えても見なかったのに
 勉強をする機会                                                        2005/5/20
 失業をしたこともあり今迄なかなか出来なかった<通って勉強をする>ということをすることにした。
転んでもタダで起きないしたたかさか。落ち込んでばかりもいられない。
学舎は16人の仲間、同じ年代のひとが多くまた境遇も共有出来る面もあり良いところ二入れたと思う。当面の目標はある試験に合格
すること。難くなったアタマにムチうち頑張っている。悩みの種は午後の授業、昼食あとが猛烈に眠くなることだ。
書き物したり、靴を脱いだり履いたりと涙ぐましい努力である。
 でも仕事仕事で時間が取れず出来なかったことをやれるのは幸せなコトだと思う。わずか半年だけど大切な日々としたい
 畑仕事                                                             2005/5/4     
 自宅の近くで16平方メートルくらいの小さな畑を借りました、市民農園のようなもので区画整理予定で有志で借りている農園です。
早速、トマトと茄子の苗を少しと枝豆、小松菜、人参の種を買ってきて蒔きました。
平らになっているところに畝を作り植えたり種を蒔いたりして、その後水をやりました。
今日はまだ2日目、休日なので水をはこびかけてやりました。結構大変ですね。
百姓の出と言っても何十年もまえの話、少しの畑でもやるとなると根気のいることだなあと感じています。
今迄とは違った<やること> 焦らずどこまで楽しめるかですね
もう 収穫が待ち遠しいです(笑)
 挫折と小休止                                                           2005/2/3
 新しい仕事を始めたのですが、事情があって辞めました。短い期間だったし残念、悔しい思いが多いのですが今更考えても仕方が
ありません。いまはただ健康の回復とこれから生きていく体力をつけることのみ考えていきたい。その後のことはじっくり考えて決めたい
人生 立ち止まることも必要かも知れないと自分に言い聞かせているところです。
 2004年                                                    2005/01/01
 2004年は様々な出来事に出会った年だった。年初早々父、母の入院そして他界はショッキングな出来事だった。
松本からクルマで深夜向かう道中、様々な出来事が思い出された。母の火葬ののとき讃岐では珍しく激しく雪が舞っていたことを
思い出す。また父の葬儀には一つの時代が終わったことを強く思い知らされた。
 松本での単身での仕事を10月末で終わりとして帰ってきた。1年と11ヶ月。ほぼ2年の生活だった。初めての体験で様々な出来事に
出会った。違う土地、人、仕事、職場と戸惑うコトが多かった。帰ると決めたときは単純に引き上げると考えたがいざ去るときはこの地に
これだけ多く関わっていたかと思い知らされ去りがたい感情に駆られた。だが決めたこと。あとには引き返せなかった。
今考えて本当に良かったかは分からない。
単身赴任生活は最初はきつかったがリズムを掴むと良い面もあったと思う。夫婦間も工夫してたくさん話してまたあちこち出掛けた事など
 10月、久し振りに妻と海外旅行をした。タイの遺跡や寺院を中心に回る旅でツワーだが我々2人だけ。中身のある楽しい旅行だった。
思った以上に良いところで又行きたいねと意見が一致した。
12月から働き始めたがハードな仕事で疲労が蓄積した1ヶ月で4〜5キロ減量した。
アコーディオンは割とやれたかと思う。喫茶店での演奏、仲間とのイベントへの出演、いちょう祭りでのうたごえ喫茶アコ伴奏など。
 自然災害の多い年だった。集中豪雨、異常な暑さ、台風上陸、地震、そして津波。自然が人間に逆襲しているのかと思える程だ。
1995年から2004年までの10年はまさに私にとって波瀾万丈の10年のように思う。
2005年から10年はどんな生活が待っているのだろう 
 荷物を積んでいざ帰ろう                                       2004/11
色んな思い出のつまったアパートを引き払うべく眺めては仕分けし持ち帰るべきものはクルマへと運んだ。
ふき掃除をしているとAさんが来てくれた。荷物の積み込みなど手伝ってくれた。なにも無くなった部屋。2年前来たときと同じだ。
ここからドラマ(?)が始まったのだ。感傷に浸っている私をAさんはニコニコ見ている。
 彼女はとはお話するようになって1ヶ月くらいしか経っていないが仕事の悩みなど話す中ですっかりお友達になった。期せずして同じ
時期の退社になってしまった。これからお互いあらたな道をすすむことだろう。
 さあ出発、小春日和のなか、行かなくては<私もがんばる、頑張ってね>そんなことばを交わしてAさんともさよならして
終わりと始まりを感じながらクルマを走らせた。04年11月2日
  引っ越し準備                                                2004/10/25
 松本生活もあと1週間足らずとなりました。引っ越しもためいるもの不要のものをと整理しているのだがなかなか進みま
せん。どんなものにも愛着があり。部屋は散らかったままです。期日までに終わるかどうか
こちらに来てほぼ2年、布団と最小限度のを持ってきての単身生活の始まりでした。
生活するに一つ一つと家財が増えてしまった。長期を想定していなかったのに。
 これからどうするかはまだ決まっていない。がとりあえずここを引き払うことが当面の課題です。
 野球離れしてから:**年                                         2004/9/6
 プロ野球のオリックスと近鉄の合併、球団数減でプロ野球界は大揺れ、選手会のスト、巨人のパリーグへ移動などの
話も飛びだした。
 私は今どの球団のファンかと聞かれるとはてと考えてしまう。以前は西鉄ライオンズから始まり西武とライオンズファン
だった、稲尾時代、秋山、清原らの時代。でも今は興味ない。高校野球。郷土香川の尽誠学園の出身中学が他県ばか
りで高校野球に興味が無くなった。有力選手がみんな巨人に移り巨人中心主義、戦力のアンバランス。
シーズン末になると敬遠の嵐、力と力の見せる野球でない日本のプロ野球、マリナーズのイチローの快進撃に敬遠ない
はすがすがしい。プロ野球は大相撲に似ているのか、排他主義で縮小均衡、小さくまとまっている。
サッカーがシステムとしては進んでいる、J1をトップにJ2がありその下と一つがこけても問題ない、そして代表選手、
ワールドカッツと世界につながっている。
 でもやっぱり野球はおもしろい。早くよりよい姿になって欲しい。
 親、人の幸せ                                                2004/7/3
 2月の母に続いて5月には父が亡くなりました。相次いでと言う言葉通りですが私も両親のいない人になりました。
二人とも89歳ですから大きく考えると天寿を全うしたと云えるかもしれませんがその人生はどうだったでしょう。
大正、昭和、平成と激動の時代を小規模な農業を主体としての生活、たくさんの子供。苦労の連続だったと思う。
私が東京に出るとき連絡船が出航するまでベンチでずっと下を向いていたの思い出す。苦労して育てたのにみんな出て
行ったと話したのを誰かから聞いた。私は自立するのに必死だった。
 上京したときと職場が変わり、結婚、子供が生まれ、住宅を買い、、、年月が過ぎ。
父母が亡くなり、子供が職に就きあのころの親の年になって親の気持ちを考えるこのころです。
さくらさくら                                       2004/4/15
 いつもの年より暖かいと実感します。冬もそんなに雪は降りませんでした。クルマのタイヤもスタッドレスはあまり活躍の
場がありませんでした。今年は東京の桜、松本の桜を見ることができました。週末の帰省時は甲州街道あ180キロの
道はあちこちさくらが満開で快適なドライブでした。
 昨年は気持ちにも余裕が無かったせいかほとんど覚えていません。今年は松本城など訪ねて写真も撮って来ました。
近くの山は全山桜で見事でした、今週末は妻が訪ねて来ます。もし行けたら高遠の桜も見てみたいです。
 なごり雪では無いですが松本で見る桜はこれきりだと思うと少し寂しい気持ちもしますが今を楽しみたいと思います。

なごり雪                                     2004/03/23
 昨日は朝から雪模様、ちらちら降ってきた雪は昼頃から多くなりすっかり雪の一日でした。
でもそれは多く水分を含んだもので春に向かってのなごり雪でしょう。
父母の入院、母の死去と心に残る日々が続いた数ヶ月でした。多くの人と会い話す機会がありそれらも心に残る
出来事でした、
 ”今春が来て君はきれいになった。去年よりずっときれいになった”
ここ数日なごり雪を口ずさんでいる自分に気がついた、何となく今の気持ちと合っている。ほかの歌詞のところは
よく覚えていない、どこかに隠れている楽譜をさがして見たいが今はない

 今日の暖かさで道の雪は解けてしまった、遠くの山並みは白く輝いている。
一歩踏み出すよう、今そのときだよと肩を押されているそんな気分です
 ”今春が来て君はきれいになった。去年よりずっときれいになった”
 一つの終わり                                      2004/02/09
  昨年の12月後半から入院治療していた母が亡くなった、ほぼ一月半の闘病生活だった、ほとんど食事をとること
ができず半身不随のベットでは辛い日々だったことだろう。
 亡くなる1週間まえ一時帰宅で住み慣れた我が家、家の中、庭、納屋は畑と兄たちにつれて見て回ったとのこと。
生きたい気持ちが強くなったことだろう、それからわずかの日々であった。知らせを聞きすぐにクルマを走らせ実家
に向かった、600キロの道のり、いろんなことを考えまた、思い出しながら
お別れのとき暖かい香川には珍しく雪が舞った。激しく舞う白い雪。別れの時であった。
かぞえ91の母の人生はどんなものだったろう。貧農の嫁としてたくさんの子供を育て気丈に生きた人生。
私のところには何度か来てくれた、日光、富士山、下部温泉など行ったり、子供のおもりもしてもらった。
一つのものが終わったようなそんないまの心境です
 久しぶりの帰省                                        2004/01/26
  週末を利用して久しぶりに帰省してきました。
松本から名古屋に出て、新幹線に乗る。岡山まで行って瀬戸大橋線で四国に渡ると言うコースは今回初めてだった。
一人旅、久しぶりの故郷だけど浮かれた気持ちはない。
年末に年取った父母が相次いで入院したという連絡が入った、いつかはあることかもしれないがショックだった。
電車を降りるとすぐに母のいる病院に行った。病室のベットで母はぼんやりとして起きていた。
話しかけたが小さい声で何を話したのかよく聞き取れなかった。
3日ほど短時間であったが一緒にいた。昔話をしたり子供の話をしたり。つかの間の時間を過ごした。
戦後の大変な時代を必死で働き子を育てた力強い母がいまベットの上でやせて小さくなったように横になっている
とても悲しい気持ちになり、話をしていてもつい涙が出そうになった。
 上京してからずいぶん里帰りをしているがこんな帰省は初めての体験であった。
 誕生日                                         2003/12/15
 仕事を終え外にでると寒さが押し寄せてきます。冬の星が冷たく光っていました。
今日は私の誕生日と気がつきました。スーパーでビールを買い、弁当屋で焼き肉弁当を買ってアパートに帰る。
こたつに入りとりあえずビール缶を空け誕生日おめでとう。一人だけのいつもの遅い夕食です。
この一年、単身生活の新しい職場での日々、少し体調を悪くしたがともかくお疲れさまでした。
 週末は奥さんが訪ねて来てくれました。仕事で遅くなって帰るとテーブル(こたつの上)に夕食が並んでにこにこして
待っていてくれました。次の日は健康診断の再検査で病院行き。そのあとは近くの日帰り温泉にゆく。
 会社の友人との飲み会に奥さんと二人で出かけました。気の許せる人たちと飲んで話しては楽しいものです。
二次会ではわが妻の歌を久しぶりに聞きました。すっかりいい気になって飲み過ぎた。どうやって帰ったかほとんど
覚えていない。
<誕プレ>、我が家言葉です。誕生日プレゼント、子供たちからマフラーと帽子をもらいました。
妻に誕プレはないのと聞いたら<一緒にいてあげたでしょ>といわれました。
その妻も日曜日の午後に帰っていきました。また今日から一人の生活です。
 もう少し松本で                                   2003/11/26
  ずいぶん考えました、何人かの方にも相談しました。松本に単身来て1年になる11月19日に退社して帰ると決めていたことです。やはり自宅に帰りこれからの生活も考えて。
 でも思いがけない方向に進んで後1年松本で生活することとなりました。
もう1年になります。旅行や仕事では何回か来たことがありました。アパートを借りて一人住んで、仕事にゆく。
結婚する前はそんな独身生活でしたが、知り合いもない別の地で家族と分かれての生活はやはり違ったものでした。
職場も今まで経験したものとは異質のものが多く戸惑ったものです。
 趣味のアコーディオンサークルにも参加しましたがここでも今までのサークルと違ってとまどいを感じました。
夏頃には年末には帰ると決めて準備していましたが、たくさんの人のアドバイスもあり後少しいることにしました。

今日、アパートに帰ると雪かきのシャベルが吊してありました。また寒冷地の冬を過ごすのかと思いました。
 アジアンストリート                                         2003/10/4
 久し振りに新大久保に行きました。以前良く行った音楽センターに行くためです。jJR新大久保を降り大久保通りを東に歩きました。食べ物屋さんが多くなったのに
気が付きました。それも韓国料理、台湾料理などアジア系の店です。そういえば歩いている人もアジア系の外国人が多いです。
国際電話のテレホンカードを売っている人もいて国際都市になったなあと感じました。シンガポールのストリートの感じです。
日曜大工の店に入ったら女性店員と客が商品について大きな声で英語で話していました。
 目的の音楽センターは昔のままでしたが録音スタジオがメインの感じです。私のしっているうたごえの若者の熱気がムンムンする感じはなく静かなたたずまいです。関先生住宅あとの碑があるのみでした。
 心細さ                                      2003/8/23
数日前からお腹の具合が良くないなと感じながら家庭薬を飲んで働いていたのだが午後おかしいなとトイレに行くとなんと血尿、赤くなっているではないか、
それでもその時は仕事が終わったら通院するかと考えていたがどんどん痛みが増して行く、そのうち座って居れなくなった。
これはたまらんと医者に行きますと会社をとびだすが医院まで2キロの道のりな長く感じたことか
医院に倒れ込んだ状態、診察室に入ったが痛さでほとんど口も利けない状態になっていた。
痛み止め注射、点滴、そして検査とただなすがままだった。もう即入院、そして手術かもしれないと覚悟をきめたが
そうしたら独り身の自分どうしようと、そんなことを考えていた。
 おかげさまで薬が効いたのか痛みは少しずつ収まってきて何とか帰れるまでになりほっとした。
やはり一人暮らしの身、病気などすると心細くなる。気をつけてはが今回は予期せぬ出来事であらためて自分の置かれている環境を知った出来事だった。
  てるてるぼうず                               2003/7/22
 信濃池田町をクルマで走っていたらてるてる坊主のと言うのが目に付き記念館もあるとのことでつい好奇心で行きました。
この町は童謡<てるてる坊主>の作詞者のゆかりの地で氏と歌をテーマにたくさんの品が展示され童謡も聴けました。
ちょうど梅雨空でいつか童謡に浸っていました。
童謡に関係ある地はいくつか行きました。八王子市恩方の<夕焼けこやけ>、播州竜野の<赤とんぼ>
横浜港の<赤い靴>、長野安曇野の<早春賦> そして我が町日野の<たきび>など
 その土地に立ち風景を見ながら歌を口ずさむとなるほどと思うのです。
これを機会に歌の生まれた場所をしり訪ねるのもいいものだと思いました。
  紫陽花の花                               2003/7/9
 日曜日、テレビのニュースにつられて紫陽花を見に行ってきました。松本市の赤木山弘長寺、小高い山を背にしての
お寺の境内にはたくさんのそして種類も多い紫陽花の花が咲いていました。おなじみの紫から淡い色のもの、白とたくさんの
種類があるのも発見です。雨模様の空に花は元気に咲き誇っています。この季節はやっぱり紫陽花の花ですね
  雨の吹き付ける庭で、下町の路地裏で
  花はつぼみを育て ひっそりと燃えている 
  雨にたたかれたり 風に吹かれたけど 
  梅雨のたま転がせて 鮮やかに
  咲きそろう 紫陽花の花よ
飛騨高山                         2003/6/15
前からのあこがれ、飛騨高山に行って来ました。
梅雨の真ん中で天候が心配でしたが一時小雨の空模様はよしとしなくては
松本から2時間弱、最初についたのは東山、寺町と言うべきかいくつかのお寺を廻った。
 高山屋台会館では豪華絢爛の屋台をみる。
やはり私の好きなのは古い町並み、倉敷、奈良井、大内宿などいくつか見て高山は遜色しなかった。民芸品を売る店も様々あって見るだけでも楽しい。
手やきせんべいを買った。
翌日は朝市見物、これも高山名物で半分以上は観光客相手のようだ、
1パック200円のイチゴを食べながらお店見物、漬け物類が多い。
またまた朴葉みそと4個千円の漬け物を買う。
あまり大きくない町だが見るところも多く楽しいひとときだった。
ただ宿泊に国民宿舎を選んだがこれは失敗、名前だけでサービス、施設も不満で
あった。市内の民宿の方が良かったと反省。
 床屋さん                                         2003/3/24
家庭と職場が離れるようになりいろんな場面でとまどうことが有ります。
髪が伸びると理髪店に行くのですがさてどこへ行こうか。最近気になっていることが有ります。低料金のお店です。
こちら松本市では特に目にします。1600円、1500円。通常4000円の半分以下です。
昨日、勇気を出して入って見ました。一見変わりがないようですが、すぐに気がつきました、早い、、ということは無駄がないと
言うか必要最小限のことしかしない。お話はしない、耳かき、あんまは当然なし、
刈り上げも早い、きめ細かくとはいかないようだ、洗髪もオプション、結局、いつもの時間の半分くらいで洗髪して1800円
これも一つの選択かなと思いながら鏡をみる。自分の顔はこんなものだろう 

 独身生活                                     2003/3/5
 独身生活を始めて3ヶ月が過ぎました。ここのところ週末の里帰りもなく。まさしく独身です。部屋も手の届く範囲で合理的に
ものが配置され、これを散らかっていると言う人もいますが。
昨日ベランダの早春の日差しに布団を干しました。夕食にはみそ汁に挑戦、少々みその入れすぎでああしょっぱい!
 風呂で靴下など洗うことを覚えたが作業服など大物は洗濯機がないので初めてコインランドリーに行きました。
なかなか便利なものですね。なにをやるのも自分でやらなければいけないけれど便利な世の中、なれればそんなに負担は
内容です。でも、やっぱり何かが足りない感じです。
 疲労気味                           2003/2/3
 こちら(松本)で働くようになり3ヶ月ほどになりました。家族、友人、その他で東京へ帰らなければならないことが多く、ほぼ
毎週末片道200キロの運転帰省が続いています
息抜きというかのんびりするときがなく疲労気味です。先週末の夜は高速道路ですこし危ない運転になりました。
それでも自宅に帰り着きにこにこしていいる我が奥さんの顔をみるとほっとします。
ここが踏ん張りどころか、帰ってきたらのコールも大きくなつている気もして、、、、、、、
とにかく気の済むまで眠りたい気分です。 

 のんびりとお正月                               2003/01/03
 お正月休みです、これと言った予定もなくまた奥さんの仕事が多くのんびりとしたお正月です、アコーディオンを弾き、パソコンと遊び、近くの神社のお参りしたり
おせちを食べてと何もない休みです、昨年は色んな出来事がありました、長野県まで単身生活することにもなりました、私の区切り年、1995年から正に
変化、苦難、驚きの日々の連続です。2005年まであと3年、何が待っているのでしょう。
束の間の休日、あすからまた日常が始まります。
  違った土地、職場で                                               2002/12/21 

 長野県松本市の職場で働き始めて1ヶ月が過ぎた。始めての単身生活、また違った職場と大きく生活の変化を体験し日々それのとまどった毎日でした。
すっかり夫婦、家庭生活になれそこに安住していたことをつくづく思い知らされた。
食事が一つの難物だ、あれこれツールを用意したが鍋と電子レンジに頼り切り、そのうち面倒くさくなるかも、労働者はまず健康だが
引っ越しそうそう歯医者通いです、診察終わりが5時が普通だそう早いです!また雪も体験です前途多難だ
奥さんが気を遣ってくれています。自分の意志で飛び出したのがホントに良かったかと考えさせられます。コレも人生のひとこまと思いたいもですが。
お正月は何日が家ににいれそう、それからが勝負です

   揺れるこころ                                          2002/11/7

 突然の失業でしたが長いサラリーマン生活の合間、一休みの気分でした、失業(雇用)保険も11ヶ月ほどでるしとノンビリ構えていました。
でもそこには再就職のアテがあったこととネットでの求人案内もソコソコあったことも起因していた。
暫く休養してさあ働こうとしたとき、決まっていた再就職先がキャンセルされたのに焦った、また求人案内も皆無の様相になってきた。
ニュースでも景気の悪化が伝えられている。
 誰もいない自宅で一人いると気持ちが滅入ってくる。もう先がないのだろうかと考えたりして
あさ起きてさあ何をするの目標がないのは初めての経験でとまどっている。明日への展望が見えない。気持ちが揺れ動いている。
他のことも仲々集中してやれなくなってきた
いま職を失っている人は多かれ少なかれ同じ思いなのだろう。心の葛藤の日々である
     韓国旅行                                                     2002/10/15
 韓国に出かけてきました。 ツアーでしたが私たち夫婦ともう一組だけの少人数でした。成田からソウル郊外の新しい国際空港仁川(インチョン)までは2時間
半ほどで沖縄より近い。今回は世界遺産の寺院や王宮を巡る旅で西のソウルから東の慶州まで横断する形で移動が多かった。
最初はプヨンという百済の都があったところ。小さな池、お寺等そういえばそうかと言う感じ。
日本とは一番交流があったところでじっくりにれば感激と言うところか、われわれは旅の疲れで宿が待ち遠しかった。
 2日目は東の慶州、仏国寺や古墳公園など古い都でとても良かった。でも日本(軍)により破壊されたと聞かされると耳が痛い
そして何よりよかったのは朝、道の歩道にでたたくさんの露天商、野菜、魚介類などを並べてたくさんのお店があり見て歩いたが楽しかった。
どじょうを売っている店が幾つかあり懐かしかった。概ね物価は日本の7〜8割か。
最終日は特急列車で移動、日本ではもう体験できないだろう食堂車で食事した。
最終日のソウルは人人人そしてクルマラッシュ、片側4車線でも渋滞している。何しろ国民の4人に1人はソウル市民とか
駆け足の旅だったが代わり行く国の姿を観た。

 一日のんびりと                                           2002/9/9 

                                 
色々と努力のかいもなく職場が事実上の倒産となり失業して2ヶ月弱、残務整理もほぼ終わり今日は自宅でのんびりです。アコーディオンを弾き
お茶を飲み、パソコンにむかい、これが失業者の生活かと実感しています。今日は一日出かけないぞと決めて......
 これからどんな生活が待っているのだろう。残務整理でも職場に出かけているときはあまり考えなかったけれど、不安が顔を少し持ち上げてきまします
社会の多くの人が体験していることを私も体験しようとしています。

  趣味と仕事                                        2002/8/28



日野のページでも紹介した水彩画のハガキのNさんに始めて出会ったのは昨年の夏、市内で開催されたアートフェスティバルでした。
市内のあちこちを描き絵はがきにしたコーナーがあり何となく見ていると人の良さそうなおじさんが私が描いたのですと、
なにがほっとする絵で1枚頂けるとのこと、ラッキーでした。ホームページに載せることも快く了解して頂けました。わたし(Nさん)が載っているホーム
ページがあるとのことなのでなにげなくみたら
なんと某会社のページで氏が紹介され仕事では超優秀さ、えっ あの人がと驚かされました。
しばらく経って、多摩川上流の日帰り温泉に行ったときのこと、廊下の壁に展示されている絵を何となく見ていたら あれ どこかで見た絵と思ったら
何とNさんのではないか、こんなところまで出没しているかと関心させられた。

そして今年、アートフェスティバルで再会 Nさん他にも音楽その他にも活躍とのこと。
仕事を人一倍以上にこなし そして自分の世界でも才能を発揮しているNさんを見るとホントに素晴らしいと思う。
そして、一人にたくさんの才能を与え私には余り回ってこないことに神は不公平だとひがんで見ている自分がそこにいた(^^)
 

  ああ上野駅                                            2002/08/24

 どこかに故郷のかおりをのせて....で始まるあのうたです。高度成長が始まるころに歌われたこの歌は私にとっても時代を共にしてきた歌で
好きな歌の一つです。片田舎から夢を求めて東京を目指した18歳の頃、ラジオから流れていました。夜行列車を乗り継いでやっとたどり着いた東京は
これから一人で生きていく始まりでもありました。
 今のように情報の発達していない時代でしたから。お国なまりから、食生活、何もかも初体験でそれも一人で受け止めなければならない生活。
今では遠い思い出ですが時々思い出します。
この歌を歌うと声が詰まり歌えなくなるコトも良くあります。<ホームの時計を見詰めていたら母の笑顔になってきた>思わず涙が出そうになります。
正に自分の体験そのものだからでしょう。当時、同じように地方から来た若者でサークルをつくり
ました、今でも何人かは続いており私にとっては宝です。 先日,テレビでこの歌をテーマにした番組をやっていました。どんどん引き込まれて
胸にじんと来るものがありました。一つの時代と言ってしまえばそれまでですが同じような体験をした人がたくさんいることを改めて感じました。

 アコーディオンの輪                                         2002/7/30

 7月28日、東京アコーディオンメイツのメンバーズコンサートが行われ私も久々に演奏で参加しました。
会場で待っていると後ろから新名さんとの声、振り返ると其処にUさんがいるではないか、最近、北海道の長期出張から帰ってきたばかりで先生のご案
内で来たとか彼とは20数年ぶりの再開、そしてKさんも来た。20数年前同じサークルで一緒にアコーディオンを取り組んだ仲間だ。
演奏会後、お茶を飲みながらあのころのことそれからのことに、話が次ぎつぎと弾んだ。
Uさん、出張先で1年以上もアコ仲間(先生)をさがしやっとめぐり会えたこと。地方でのアコ状況、
Kさん、職場のことで悩んだこと、気持ちの切り替えにアコーディオンをまた弾き始めた、彼女とは楽譜のことなど少しずつ連絡をとり、今日久し振りの
再開だ、明るい笑顔を見ることができ嬉しかった。
長い年月を経ながらそれぞれアコーディオンを大切にして今日、こうして会えたことはとても嬉しかったのは共通の気持ちだった。
またお互い聞きあいまた出来れば一緒にできたらねと話し合った。
この日はまた新しいアコ仲間とも知り合いになれまた顔なじみとは再開を確認することが出来た。
アコーディオンを通じて輪が広がったようで良い気分になれた一日でした。

会津若松 大内宿                                        2002/5/19

          
5月の連休に東北福島県に行って来ました。郡山から内陸部に入って1時間ほど、会津若松です。早朝出発して9時過ぎ着きました。
2人づれの旅、のんびりと歩いて市内をまわる計画、最初は白虎隊の飯盛山に向かいました。小高い丘がその場所、今では観光地になっていて少年武
士はどんな気持ちだろうか、鶴が城が見える方向にはお城はよく見えなかった。
武家屋敷はなかなかの物です。家老、西郷頼母さんの家はすごい、幾つかの江戸時代の資料が展示してあり回るのに時間を要する。
街をのんびりと歩く計画がここで挫折。足が痛い、運動不足か年のせいか、ここからお城まではバスを利用する。
会津若松城(鶴ガ城)は会津のシンボル、なかなかの物で城好きの私には感激です。連休中なので沢山の人出でした。城内部は正に鉄筋コンクリートで
幻滅でした。
 2日目は念願の大内宿市内から1時間ほどのところ、道のりは新緑がとても綺麗でした。とくに宿場に入る道はすぐ横に川がながれて奥入瀬のようです。
山間にある大内宿はまさに江戸時代にタイムスリップしたよう、良く保存されています。おみやげ物もそれほど高くなく懐かしさを感じさせるものもたくさん
ありました。こんな道を江戸時代は旅しまた住んでいたのだろうと感慨にふけりました。
とても楽しい旅でした。

大内宿
  

 右側/左側                                                  2002/2/24



 仕事で関西に出張した、そのときに最近よく言われるエスカレータの乗り方について体験した。
いわゆる、東京ではエスカレータでは人は左側にたち、右側は歩くひとに開ける、関西はその反対ということである。
まさに、その通りであった。右側に人が立ち、左側は開けて歩く人が通る。同じ日本なのに不思議な現象である。いつから、どうしてそうなったのだろうか
小さなことだけど 
面白いなと思う

 人のいのち                                                 2002/1/28

 昨年夏、ご主人を亡くされたIさん宅に仲間3人で訪問した。2年近くの久し振りの再会だった。遅くなったがお線香をあげさせて貰った。
病院での様子、最後の頃のこと、半年ほどまえのことを話してくれた。
話ながら、目を赤くして、何度も涙の彼女、いまでも毎日泣いているとか、明るく元気な人だけれど。
久し振りの気の置けない仲間だから余計に自分がそのまま出たのだろう。 人が死ぬことはこういうことだなと初めて知った。長い闘病生活だった
今思うとあれもこれもと悔いが残るとまた涙。
 私にはまだ肉親の死をしらないからまだ分からないが、そのときはまた彼女のような気持ちになるのだろうか。
ちょっとだけの訪問が気がついたら長い時間が過ぎていた。夫婦を中心として親のこと、子供のこと、これからのこと絶え間なく話していた彼女たち、
少しは気が紛れたろうか。
 

  たくさんの出来事の中で                                         2002/01/01



21世紀の始まり、希望の世紀の始まりであって欲しいと願っていたが現実は暗い出来事が多かった、テロ、戦争は前世紀においてきたはずなのに
前にも増して多かった、アメリカでの同時テロ、アフガン、そして中東、2000年やってまだ殺し合いをしている。
身近に景気は最悪、会社の経営も悲惨である。日本はこの先どうなるんだろう。今迄体験したことのない不安が広がっている。
 そんな中で自分はどうだったろう。
仕事、海外出張した、まずまずの量、売り上げを達成した。反面、会社全体ではIT不況と火災で危機的状態である。
アコーディオン、新たな出発と言うべきか沢山の楽譜を抱えてその消化にアップアップしている。おかげで練習量はふえている。
私生活、ここのところ幾つかのことをはじめた。

2002年の始まり。この年は幾つかの面で節目の年になるように思える。サラリーマン生活もいつまでも続いているからから後どれくらいと考える
そんな時でもある、毎日を大切にしたいと思う。

  ひとくぎり                                                2001/10/28

 9月25日突然、職場が火災にあい一時は呆然とした日々でした。沢山の機械、設備がだめに
なり。その処理、すす、煙にまみれた職場は拭いても拭いても黒いすすが手に付く。
くさいにおい、そんななか、一番のショックはパソコン及びCAD(コンピュータで設計、製図をする
システム)がやられたことでした。まさに丘に上がった河童(かっぱ)
仕事が全然出来ない状態が続いた。
一日もはやく復旧しようと手を尽くし、やっとあれからほぼ1ヶ月すぎて新パソコンそして消えてしまったと思われた図面が奇跡的に復活しました。まさに執念で取り出した、そんな感じです。
この日々殆ど休みナシでした。いま一部不完全な部分もあるが仕事を出来る状態になりました。貴重な日々でした。
 昨日、久しぶりに休みを取り妻とふたり信州安曇野にちひろ美術館を訪ねました、
紅葉の始まった信濃路、そしてちひろさんの絵はとても良かったです。

来週からまた忙しくなる。でも前向きな忙しさにしたいと思う
ちょっと一休みの週末です。

安曇野ちひろ美術館にて

 小海外旅行                                                  2001/10/3

 遅い夏休みを利用して台湾にツアー旅行に行ってきました。
夫婦での参加、今回は11名のグループになりました。現地での集合、福岡、関空、広島、羽田と各地からの寄せ集めです。
花連、高雄、台南、タイペイ(台北)をまわる3泊4日のコース、台風か心配されましたが、その間隙をぬっての割と天候に恵まれました。タイペイでは
記録的な台風被害の後でがれきが山積みされていてそのすさまじさにまず驚かされました。
 花連のタロコ渓谷、高雄の夜市、タイペイの故宮博物院などお馴染みのコースでした。
私たち夫婦で出かけるのはシンガポール、北京に続いて3回目、それなりに楽しい旅でした。

 職場の火災                                                  2001/9/30

 それは突然の出来事でした。連休あとの9月25日、午後2時半頃、突然、ドーンと言う音、何だろうと思ったとき非常ベルがなった。
慌てて、廊下にでて1階の階段方向に向かうと消化器との叫び声がした。近くのモノを持ち階段を降りて行くと真っ黒な煙と炎がみえる。再度消化器をさがした。が見当たらず。
そのうち、煙が立ちこめてきた。急いで外に出る。みんな無事だったのが何よりだった。
消防車が来るまで長く感じた。
多くの機械とパソコン他が駄目になった。あとかたずけが大変だ、すすと臭いがしみ込み拭いても拭いてもまだある。
日曜日の休みを挟んでこれからが勝負だ、それにしても火災は大変だと、初めて体験してわかった。
   自然の中に                                               2001/9/3

急に不幸があり岩手に行って来ました。早朝5時に家を出て東京発の新幹線に乗り、岩手県の盛岡まで。
そして、降りてからローカル線に乗り換え1時間弱、大更(おおぶけ)と言う駅におりた。新幹線では殆ど寝ていたが花輪線に乗ってからはずっと外をみていた。
渋民から好摩付近から景色が変わっていることに気が付いた。そう、普段見慣れている建物の間に緑が拡がる景色がココでは緑、森や農地、山々の中に建物が
あちこちに点在する風景、何か別世界を見ているような気がした。
大自然のなかに人が暮らす、そんな世界だろう。私たちの行くところは、岩手山、八幡平、安比などのやまに囲まれた小さな、いや広い土地に数千人の小さなムラ。
でもこれが本当の姿かも知れない。あと1ヶ月もすると、実りの秋、そして美しい紅葉に包まれることだろう。
どこかに忘れていたものを見たような気がする。
 

 選挙と現実                                               2001/07/29


 今日7月29日は参議院選挙の日、総理大臣が小泉さんにかわり改革改革と大人気で注目されてた選挙だった。
予想通り、自民党の圧勝のようだ。森さんの時はどうなるかと思っていた自民候補は大喜びだろう。
大きな関心の割には投票率が低く前回にも及ばないかも知れないとのこと。我が家も2人が棄権した。何故だろうか
 ここ数年、もっと長期だろうか景気は低迷し其の対策に国は莫大な金をつぎ込んだ。その結果、天文学的数字の財政赤字になった。
全て自民党政治のもとでのこと。その自民党が大勝する。全く あほな国民なのか。
  いま景気は急激に悪化している。株式が敏感に反映しているが製造業に働く私たちの回りはもっと悪い。リストラ、賃金カットは目の前に来ている。
その元凶の自民党政治が大勝している。
 つい最近 ヒットラーを取り上げたテレビ番組を見た。金も権力(軍事力)ももたない貧乏人の一市民が演説だけで権力を掌握、独裁者になって行くのを
見ると日本の現状の危うさを感じる。痛みを伴う、と言うがもう充分痛みを感じている。これ以上何をしろと言うのだろうか
小泉さん、カッコいいと入れた人、人気タレントに入れた人、所詮自分が弱者、痛みを感じる側にないと思っているのだろうか
みんな何もわかっていないなと勝手に思っています。
ああ なにを書きたいのか分からなくなってきた。

 選挙で沖縄の現状を訴える候補に一票を投じました。当選はしないと思いますが私のこだわりの気持ちです。 
  

  プロ野球                                                  2001/06/17



 野球はとても好きなスポーツです。小さい時は高校野球で地元に高松商業などがあり娯楽も少なかったら興味があった。プロ野球では西鉄ライオンズが
稲尾、中西などが活躍、水原、三原の対決などといわれいつの間にか熱烈なライオンズファンになっていた。
近年では西武ライオンズが広岡、森監督のもとジャイアンツと対決、また野球の熱が復活
さて いまは全く興味を失った。巨人中心主義が徹底して西武もロマンを失い。楽しむ要素がなくなった。
巨人は勝と金と人気で他のチームから選手を集めて当たり前でつまらないと思い、負ければ手抜きしているのかと思いつまらないと感じる。
それでのテレビは毎日巨人の試合ばかり放送している。
  面白いのは大リーグの日本選手の活躍だ新庄、イチロー,佐々木他頑張っているところを見ると愉しい。
それぞれキャラクターが違い、自分だけが頼りのなか、我々にも通じるモノが在っていい
日本のプロ野球にまた興味を抱く日は来るだろうか

  5月20日                                                  2001/05/20



 5月20日は私たちの結婚記念日です。何回目になるのでしょうか、あの日も今日のように青空の暑い日曜日でした。
式は会費制で仲間が実行委員会を作りやってくれました。仲人さんはいません。みんなが証人と言う形でみんなの前で婚姻届に署名しました。
アコーディオン関係、職場、緑の会、その他親族、友人がたくさん来てくれて人形劇、演奏、スピーチと楽しい一時でした。
結婚してずいぶん経ちます。お互い健康でこれたのが一番良かったとおもいます。彼女は歌、そして仕事、私はアコーディオンと今やれているのは
ラッキーです。
 夫婦の姿はいろいろあると思います。私にとってはこんな形がそれ相応なのかも知れません。
明日、忙しい中無理して休暇をとり2人で信州に小旅行します。天気がいいと良いです。

 老いること                                                  2001/05/13



 急な不幸のため大阪への行った。そのついでに四国の実家に寄った。実家には年老いた80を越えた父母が暮らしている。
大正生まれ、昭和、平成と年号もかわり元気だった身体も老いを感じる。
昨年、帰省したときはいつもように明るく迎えて呉れたが、母は歩くのも不自由するとか、伝え歩きする姿が痛々しい。なんにもおかまい出来なくてと言う。
  戦争と言う時代を過ごし、たくさんの子どもを育てた、気丈な母、貧乏は嫌だとつくづく思い私は上京した(当時の地方の若者は皆そうであったあった
ように)。子どもが成長して家をでて、古い家には老夫婦2人となった。
暖かい昼下がり、私が帰省すると年老いた父母と姉が庭の芝生のうえてそら豆を箱に詰めていた。私もそこに座りたわいのない話に加わった。
突然 父が昔話をはじめた。私には記憶にないはなしを。
帰りの新幹線、ビールを手にぼんやり外の景色を見ながら過ぎし日々の思い出を思い浮かべていました。
人間は老いる。それは常識としてわかっているつもり。でも義兄の死、年老いた父母の姿を前にして改めて多くを考えさせられた帰省でした。

  高尾・陣馬山                                               2001/05/04


 ここのところ忙しく健康、体力に目を向ける余裕がなかった。気がつくと大幅な体力の低下に驚かせた。
例えば、少し重いモノを持っても動悸がする。走れないなど。
気候が良くなって来たので会社の昼休みに少し歩いてみた。何日か続けるウチに今度は少し早足、そしてジョギング。短時間だけれど何日か続いている。
そして連休、思い切って山登りに挑戦してみた。朝10時バス停には沢山の人が並んでいる。バスで1時間ほどのところ陣馬高原下につく。
いよいよスタート。上手く行けば高尾まで6時間のコース、縦走だ。
ゆっくり歩く。調子良い。1時間ほどで陣馬山頂、休日なのでたくさんの人出だ。何年か前まではよく来たおなじみのところ、懐かしい
昼食ご高尾方面に裏高尾縦走、だんだん足取りが重くなる。そして中間点過ぎ影信山でダウン、猛烈に足が痛い、足の裏が腫れてるよう
以前はこんなことないのにと口惜しい
 ココで下山、小仏バス停まで重い足取りであるく。途中で雨も降ってきて、濡れながら急いだ
帰宅後は疲れがどっとでた。でも心地よい疲れだった、この次はとの気持ちも芽生えて

   陽気なマレーシア人                                          2001/03/04

 先週1週間マレーシアに出張してきました。
海外の製造工場、1000人ほど働く工場は日本と違ってサリーを付け民族衣装の女性がたくさん働きにぎやかでした。
イスラムのお祈りの場所も工場内にあり、また食事(社員食堂)のメニューも当たり前だけど日本とは違って異国を感じました。1食のみもののジュースを
含め60円〜90円と職場の仕出し弁当400円より格段にやすい。
ホテルと会社は原則的にタクシーでした。会社の守衛にタクシーを呼んで貰うと、ドコに泊まっているかと聞く***ホテルとカードをみせるとおう名前は
***か俺の名前は**で隣のこの人は**だという、そのうち守衛みんなが出てきて
あれはだれ、こっちは誰と紹介してくれる、そして最後は全員握手をもとめてくる。
タクシーが来るとあれだあれだと指さしみんなで手を振って送ってくれた
次の日、記念に会社の写真をとるためカメラをだすとまた大騒ぎ
どこのメーカーだ、幾らした、マレードルでは幾らだとまたみんなよって来て大騒ぎだ、私の片言の英語でもそれなりの会話になるからオモシロイ
タクシーが遅いというと会社に電話してあと5分とか
とにかくにぎやかな守衛さん達だった
 

いい人が                                                    2001/01/27

久しぶりに以前働いていた職場の人数人が集まって新年会をしました。
時代が変わりと言っていいのだろうか、職場環境の変化によりやめた人たち、大手企業からでてそれなりの苦労が話の端はしにでる。
でもいいもんだ、久しぶりにうまい酒が飲めて話が弾んだ。
そしていつかKさんのコトに。
私の大先輩にあたるKさんが倒れたのは去年の暮れ、一命はとりとめリハビリに励んでいると聞いたが急に容態が悪化したとのことだった。

翌日、職場にKさんが亡くなったとの知らせが、
告別式に出席した。古い仲間がたくさん参列していた。いい人は早くなくなるねと一人がぽつりと言った。
そんなことはないよと いったがでもそうだろうか。
人の命は永遠ではない。そんなことを実感するこの頃です。

  久しぶりの帰省                              00/01/03

 お正月休みを利用して四国の実家に帰ってきました。夜行バスでまず徳島へ市内でレンタカーを借りて淡路島へ行った。途中から高速に入ったが車の少なさに驚く、ほとんど走っていない。なると大橋は怖かった、風もなく、車の流れもないのに鉄塔がそびえて、海はずっと下、吊り橋のロープが曲線を描いて車は40キロまで速度を落としていた。単なる高度恐怖症かなサービスエリアで休憩、何しろバスの中ではほとんど眠れなかったから鳴門大橋記念館はお休み、黒岩水仙郷に行く何百万本かの水仙が黄色い花を咲かせ花のにおいが強烈だ、あおい海との対比がすばらしい鳴門のドイツ館もお休み、第2次大戦でドイツ人捕虜が第九を演奏したとのこと、年末年始はお休みとのことでした。

 私の実家は香川県です。徳島から電車(正確にはディーゼルカー)
で高松へ、市内の栗林公園を見学後商店街を歩いて高松駅まで行く
あちこちで商店街が寂れている中、ココは健在で嬉しかった
高松駅は改装中、5月には完成とか

 郊外に私の生まれたところがある。年老いた両親が迎えてくれた。
しばし子どもに返ってのひとときだった。
 時間があるときは家の近くを歩いた。幼き頃のことを思い浮かべ
ながら......

リッチな週末                                 2000/12/10

土曜日、アコーディオンクリスマスコンサートで50人ほどの集まりに出かけていきました。主な演奏は他の人がして
私は歌の伴奏などで出演、ソロ、重奏が無い分、気軽な気分で参加できました。みんな楽しんでくれたようで良かった。そしてアコの友人が遠いところわざわざ来てくれたこと、そしてラッキー20数年ぶりに旧友に会えました。
お互い顔を見合わせて、あれ!何でここにと驚いたこと。しばしのお喋りは時計を逆もどりさせ楽しい再会でした。
  夜、久しぶりに演劇を見に行きました。市内の劇団ひのの公演で谷間の女たちというチリの歴史物語、弾圧され
男達を連れ去られたおんなの話で歴史を考えさせられました。
  
今日 日曜日は映画鑑賞をしました。何年ぶりだろう、インターネットの縁で学校Wのチケット2枚送られてきたので
出かけました。登校拒否中の15歳の少年縄文杉を見るため家出、ヒッチハイクして屋久島まで旅する物語、
旅と人との出会い、忘れた私の青春のひとこまもかさなり 満足の気持ちのに浸りました。

仕事とはなれリッチな気分になれた週末でした。          

 高遠(たかとう)の街                          2000/11/27



まだ20歳代半ばの頃、ある出来事があり旅にでました。小さなザックを手に夜行列車に乗った。
各駅停車の松本行き
堅い椅子に座り半分眠りながら列車の音を聞いていました。
大月、甲府を過ぎちいさな駅に長く止まったりしながら、止まる度に目が覚めて、暗い窓のそとを眺めた。
茅野の駅に着いたときはまわりは明るくなっていた。
駅前のバス停で始発の高遠行きののバスに乗る。
動き始めると又眠くなってきた。
気が付くとたくさんの学生の声が聞こえた。通学のバスのようだ。
高遠の町に着いた。やまに囲まれた小さな町。絵島の寺と聞いてバスをおりた。小さな寺、絵島がどんな人かも知らず。あまり感慨もなく過ぎる。高遠の城、石垣と桜、春には沢山の人が来るという。
中央アルプスの山が見える。山を見ながら別れた人のことを考えている自分に気が付きまた山に目を向ける。
高遠の町の向こうに山室の渓流がありそのほとりに山室鉱泉がある。木々に覆われた川沿いの道をずいぶん歩き
宿につく。
こんにちは、一人なんですけど今夜泊まれますかと声をかける。
いいですよ。泊まって下さいと宿のおばさん。和室の部屋に案内してくれる。

まだ昼過ぎ、近くに文化財の仏像があると聞いてでかけた。山間のたんぼ道を進んでいくと目的のお寺にが見えた。
ごめん下さい!と何度か声をかけたあと寺のおばさんが現れた。<仏像見たいんですけど>と言うと
鍵を取りに行きそして別棟の建物をあけて中を見せてくれた。小さいけれど少し光って気品のある仏様、しばらくじっと
見つめていた、もういいですかの声に外に出た。このお庭いいでしょうのこえ。カメが動いているようにみえる。
少し休んで行きませんかとおばさんのご厚意にあまえてお茶をご馳走になる。私の生活のこと、おばさんの子供さんのこと。最近見るテレビドラマのこと。ニコニコしながら話しているおばさんの顔にこころが休まる。

宿に帰った。川沿いの鉱泉に入り夕食をとり床についた。少し暗くした部屋。川の水の音が聞こえる。
この数ヶ月、何人かの親しい人の別れ、その顔が目に浮かぶ。なかなか寝付かれない。

次の日もいい天気だった。夏から秋へと季節が移る頃、山間は少しひんやりしていた。
途中、美鈴湖に寄り又バスに乗る。伊那市を経由帰路に着く。
いつか気持ちはなにか吹っ切れたようになっていた。

青春と言えるのだろうか20歳代の小さな旅
あれからどれくらい経ったろう、初秋の日、高遠を訪れた、色んな出来事があり今日見る、高遠のまち。
思い出をかみしめながらお城を歩いた。


 中国のおねんさん               2000/10/01


<年は25歳、まだ独身ですよ>
明るい笑顔とハキハキした言葉が素敵です。時には歌も口ずさむ。
<生まれたのは黒竜江省、日本と戦争であんなコトがあって、小さいときはとても貧しかった。
父だけのしゅうにゅうでは
くらせなく母が着物の店を始めた、私たちも手伝って でもまわりの人たちがもっと大変だったかも>
<姉妹3人、私は末っ子、みんなで上京、共同生活しています。>
<日本に行ったことありますよ、中国ではビザとるの大変ですよ、出たがっているいる人多いから、私はラッキーでした。今度はヨーロッパに行きたい、世界中旅行したい>
<日本は東京埼玉、箱根に行きました。温泉はいい、でも物価が高くて住み難そう>
<旅行するとき子供さんからお金貰いましたか、中国では子供が出します。でも私たちは親の苦労知っているが
これからはどうかな、教育ですね>
<中国は貧富の差がはげしい、地方ではまだ電気のないところもある。北京の人口は1200万人、でも実際はその
2倍、ドンドン地方からでてきているから>
漢方薬の病院で
<お母さん、足が悪いので見て貰った。薬買ってあげて、今は良くなった>
嬉しそうに話します。
私たちと同行した4日間は毎日服装が替わってお洒落に気をつかって
<給料だけじゃ苦しい、だから株やっている。コレが儲かっているんだよ>

旅行のツアーコンダクターさん 中国人の一面を観た気がします。

 中国/北京                                 2000/9/17

 遅い夏休みです。2日の休みをとって祝日とあわせて旅行をしてきました。
夫婦2人連れ、観光ツアーでしたが応募者がわれわれだけで北京についてからガイド運転手つきの旅行でした。
やはりメインは紫禁城、ラストエンペラーの映画が強烈でしたから大和殿ではそのスケールの大きさに感激でした。
天安門広場、天檀公園とまわり夜は雑技団の公演
そして万里の長城のお決まりのコースでした。
 北京西駅は汽車の発着場、とても大きな駅ですがその駅前広場にはいまから40年もまえの上野駅の年末のように地方にかえるたくさんの人でごった返していました。質素なみなりは王府井の繁華街、デパートの華やかさとの
対比で貧富の差の大きさを知りました。
満州、黒竜江省出身の若い女性ガイドさんのお話(家族のこと、将来のこと)もとても楽しかったです
桃やブドウを貰ったり、珍しい旅行でした

音楽の原点<八重山のうたと踊り>                 2000/08/29

 沖縄、八重山のうたと踊りをテーマに活動するむりか星というグループの演奏を聞いてきました。
八重山諸島で生まれた方が中心に活動しており、公演は3部で構成、一部 神々に捧げる踊り、2部生活のうたと続き儀式でうたわれる歌や生活に根ざした歌(踊りも)が紹介されました。ユンタと呼ばれる男女のかけうたなど民衆の
うたと感じました。そして

第3部は浜遊びと題して
 月明かりの下、砂浜に車座を作りうたい踊る、男衆、女衆。
 そこには昼間の農作業の疲れをいやす楽しい遊び場でしたの説明通りが再現されていました。
 三線弾きを中心に輪になって歌い、歌に合わせて次々に中で踊る、うたも次から次ぎへと生活、男女の歌がでて
 なんだフォークソングではないかと
 民衆が楽器にあわせてうたをつくりおどりとホントにこんな場面が有ったとしたらなんと素晴らしいことだろう
 たのしいことだろうと関心した。音楽、おとを楽しむという原点がここにあったと思うひとときでした。

  キューポラのある街                           2000/08/22


古い映画です。1962年の作品。この映画をつい先日見ました。
吉永小百合さんの主演、父親役の東野英治郎と共に若き日の作品です。
それはともかくとして貧しい日々のことを思い出されました。高校への進学、修学旅行のお金、金がない。それに伴う
苦しみ、悲しさ。
  遠い日のことがが思い出されました。貧乏って嫌だとつくずく思った日々。
必死に生き悩むジュンを見るに耐えないとなんど思ったことか。
豊かな時代に生きる子供達はなにを考えているのでしょうか。
映画として初めてみた<キューポラのある街>我ら世代、多くの人たちが同じ思いをしたのですね。

 月桃の花                                2000/08/05


 今日、公民館で<月桃の花>という映画があり観てきました。
終戦間際、沖縄での戦争を描いた実話を元にした映画でガマと呼ばれる鍾乳洞での出来事をえがいいたモノでした
  戦争がどんなものか軍隊が国民に何をしたのか、戦争とはどんなものかを描いたモノでずいぶんかんがえさせられました。沖縄には一度だけ行ったことがあります。マブ二の丘、平和祈念館、ひめゆり祈念館にも行きました
ふと立ち寄ったお土産屋さんに本土より韓国や中国の方が親しみが持てるといわれた時はショックでした。
戦争体験のない私です。
 8月だけがが戦争(平和)月間になりそれも薄れていく今、どうすればいいのかジレンマの時間でした。

 神津島                                 2000/07/30


 神津島に行ったのはいつだったろうか、東京竹芝桟橋から夜の船に乗って次のひの昼前についた。
海は随分荒れていた。
小さな民宿に泊まった、ジュリア祭があったから5月の様に思う。島の共同墓地には毎日綺麗な花が供えられる。
ひとときの休日、のんびりした日々だった。
島には天上山という山があり、登ってみた。標高500M位だが、海から突き出た山は見晴らし抜群で恐いようだった。頂上には湿地帯もあり素晴らしいところだった。
  いまこの地帯は地震で大変だ、早くおさまりもとの素敵な島になってほしい。
 

 アコーディオンひとくぎり                        2000/7/28


 昨年12月 川の流れる町コンサート出演 今年2月歌声喫茶への友情出演 5月 日野アココンサート そして7月TAMメンバーズコンサートと珍しく人の前で演奏する機会が続きました。
生活環境の悪い中よくやったなと思う半面、やっぱり練習はもうちょっとやればと思うこともありますが、いい友人に恵まれたというのが一番の気持ちです。
その間、時間がとれなく同じ曲しか練習しなかった。一区切りといった感じ、少し生活をたてなおし練習もカタチを少しだけ変えてみようかと思います。
 クルマの中での練習は暑いです、そしてアコーディオンが可哀相です、でも辛抱辛抱、早く来い涼しさという気持ち
音楽を楽しむ、アコを楽しむの原点を思いだし練習方法も原点を思い出して....
 次回 人の前で弾くのは12月でしょうか。それまでじっくりと充電、レパートリーを増やしてとあれこれ考える今日この頃です。
  

  秩父吉田のまち                               2000/7/2


 音楽寺の続編です。
1884年明治17年というから明治維新からそれほど経っていない頃だろう、農民が蜂起して秩父の町に攻め入った
秩父事件が知りたくて。吉田の町と椋神社をたずねた。まだ春浅い頃だった。
秩父から北へしばらくいったところにその町はあった。時代から取り残されたようにひっそりとしていて人影もほとんど
なかった。
 小さなお店で椋神社はドコですかたづねた。若い娘さんが親切におしえてくれた。
細い道をとおり川向こうにひろい敷地で神社はあった。たずねる人はいない。
境内にいくつか事件のあらましを書いたものは掲示してあった。
ココに11月1日田代栄介、井上伝蔵、加藤織平、飯塚森蔵らを中心に蜂起1週間の革命のときを作った。
こんにちは と言う声に振り向く、神社の人らしい。なにか資料館などありますかときいたがココにはないという。
静かなまちと神社。歴史を揺り動かした地はあまりにも静かというのが私の印象だった。

 音楽寺                  2000/6/11


私の住んでいる所から数十キロ、山の向こうに秩父がありそこに音楽寺というお寺があります。
初めて行ったのはまだ青春のころ(いまでも気持ちは青春ですが)、
趣味のサイクリングで行った、正丸峠をあえぎながら登り坂を下り、秩父の町を過ぎて、荒川をわたりその寺は小高い丘の上にある。
 松風山音楽寺秩父札所23番は私にとって秩父困民党への興味の方が大きかった。
 明治の自由民権運動のころ(明治10年代)政府のデフレ政策で借金、高利貸しの貧困にあえいでいた秩父の人たちが自由自治の旗を掲げて蜂起した
吉田椋神社を出てこの音楽寺に集結、寺の鐘を合図に大宮(現秩父の町)に
進んだのは数千とも数万とも言われている、革命政府は1週間で潰えたけれど、今も歴史と人々の中生きている。
<我ら秩父困民党、暴徒と呼ばれ暴動といわれることを拒否しない>の碑がある。
  札所巡りの人のと共に音楽を志すひとも沢山訪れている。夢を実現したい
そんな人たちの訪れる小さな寺。その時どき、色んなことを考えながら訪れた寺、 私のアコもこんど連れて行ってきました。
松風山音楽寺秩父札所23番は私にとってお気に入りの所です。
   

   疲れた                           2000/5/30



ここのところ仕事がいそがしい。
身体がくたくたである。徹夜して夜中1時2時まで働き、また7時にI家をでる。
コンサートの日は休んだけれど次の日曜日は出勤
はやく こんな生活改善したい。今日はひさしぶりに10時帰宅した
頭痛気味、パソコン切り上げて早く寝よう、思考力あまりない
  

 彼の死                             2000/5/14



 以前働いていた職場の同僚Hさんが亡くなったという知らせが届いた。私と同世代、信州から上京して電気関係の
職場に就職、希望に燃える日々だったろう、その彼が入社間もなくプレスの職場で指を切断するというアクシデントが
襲った、ショックだったろうそしてそのせいで充分働けなくなったのかそこしおかしいよとの噂が広まった。
そう思われても仕方がないことも有ったが、少しずつ歯車が狂い悪い方へと歩き出し、抜け出せないいたようだ。
劣等感も生まれそれでもがんばろうに時期もあったようだけど
私たちがリストラ同然で転宿したとき、彼は即場に残っていた。残れるモノはいいなと思ったけれど。
最後に会ったのは動物園、私たち夫婦が楽しく園内を歩いていたとき動物を一人でじっと見ている彼にあった、さびしそうな様子だった、内蔵病で入院して一時良くなったが急に悪化、帰らぬ人となったとのこと。

  彼、Hさんに幸せな時はあったのだろうか寂しさだけの一生だったのか思えてならない。
松蔭はどんな人間の一生にも春、夏、秋、冬があると言った、彼にも燃えるような若葉の季節が有ったのだろうか
気にかかった知らせでした。

   巣立ち(むすめのこと)                          2000/4/2

 18歳になる娘がこの春、高校を卒業しました。4月から大学に行くとのこと。若者らしく、明るい笑顔で話をします。
彼女の笑顔は我が家の宝です。
元気なこの娘を観ているとつい新潟の監禁された娘さんと家族が頭によぎりどんな想いで生活されたかと心が痛みます。
18歳の春は私にとって忘れられない年です。四国の片田舎から一人上京して働き始めた年です。
高校三年生、ああ上野駅といまでも忘れられない歌、そして青春の日々でした
同じ年になり娘も巣立ちの季節です。まだ学生ですが今の元気、明るさを保ち、成長する事が私(達)の願いです。

 タカラヅカ初体験                            2000/02/20


   タカラヅカファンである娘達との会話から初めて東京タカラヅカ1000DAYS劇場に行くハメになってしまいました
  2月5日の雪組公演です。子らに連れられて有楽町界隈を散策したしたあと劇場へ。
  沢山の人の中指定席、いちばん高い席とか(支払いは私) 前から4列目のほぼ中央
  だしものはミュージカルとショー
  ミュージカルはフランスを舞台にしたモノで踊り、歌ともに仲々楽しかった、ショーはこれぞタカラヅカというところの
  超華やかさを感じました。
  阪急電鉄の少女歌劇からスタートしいま一つのカタチを作り出したと感じました。あたらしい劇場が楽しみです。
  娘たちの興味の対象のひとつを体験しました。少々お金がかかったけれど(^^)。

  結婚式                                  2000/02/08

   親戚の結婚式があり出かけてきました。いまでは珍しいのでしょうか、いろんなバリエーションの一つでしょうか
人前式の形式、宗教や仲人はとくにもうけず、憲法の主旨にそった両性の合意を基本にした式と言うことか
式としては婚姻届けに署名することがメインでした。
  披露宴は和気藹々として和やかでした。そして終始 お二人がにこにこと楽しくしょうがないという笑顔が何よりでした。好きな人といっしょになる、それはなにより嬉しいことでしょう、そして自分たちの結婚式として納得する式にした
二人の式は参加して楽しいモノでした。

 年賀状                                    00/01/12

 お正月、コタツに入ってのひととき、配達された年賀状を見るとき、一年のご無沙汰と共にあの日々のころが思い出されます。
アコーディオンをいっしょに学んだ人たち、また初めました。今は押入の中です、同窓会、またやりたいねなど、
しばらく離れていたけれどまた弾いていますの便りは嬉しいです。

みどりの会の人たち、青春をともに過ごしたあのころ。また会おうよは私たちの合い言葉でしょうか。多くの人たちが
故郷を後にしての上京組だから余計便りはうれしい。
一年一度のたよりだけの人もいるけれどそれはまたいいものです。
いつも今時会おうかと思って一年が過ぎます。

シンガポールに行って来ました                      99/12/30

 ちょっと早いお正月休みにシンガポールに行っていきました。
ことしは色んな事があったのでしの区切りと、4年前暫く滞在していたところをもう一度歩きたかったことが動機でしょうか、
夫婦二人ずれ、一応ツアーですが殆ど自由行動です。久しぶりの海外旅行で戸惑いながらの旅でした。
シンガポールの中心街オーチャード通りは人であふれていました。イルミレーションの光のなか色んな国のひとが通りを歩き楽しんでいます。活気ある姿を観ました。
各民族の区域はそれぞれの色合いが有って観ていて楽しいです。観光地も以前より綺麗になっていたように感じました。となりの国、マレーシアのジョホール・バルにも足を伸ばしました。王宮など見学、国柄の一部を観てきました
 初めての夫婦での海外旅行でした。
アクシデント、帰りの飛行機の中体調を悪くして意識朦朧となりました。

 大平(おおだいら)のおじさんおばさん                99/12/05

 遅い紅葉の季節 奥多摩へドライブしました。檜原村はまだ黄色の葉が残り山村の家と秋の日差しでのんびりとした雰囲気でした。
村の温泉に入り なじみの民宿に立ち寄るとおじさんおばさんの顔
実家に帰ったこどもたちのように迎えてくれました。
自慢のおそば、ふかし芋、山菜でもてなしてくれ、お孫さんのことや民宿経営のことと話が尽きません。
今年はじゃがいもが不作、止まる人はすくないなど
こんど おとずれるのはいつの事でしょうか

 辞める人、残る人、新しい人                     1999/11/14

  いろいろな経過があり職場を去る人が沢山でました、残る人には大きなしわ寄せが来ています。
又、求人募集で新人が何人か入社しました。それぞれに課題を抱えての毎日です。
ことしも厳しい暮れになりそうです。

希望退職/リストラ ついてない!                     1999/10/17

 転職してそろそろ1年になります。沢山の仕事をかかえて必死にこなし長時間労働にコレでいいのかと自問してきた毎日でした。大会社と零細企業の違いを痛感した日々でした。
 そして今度はその会社の危機(?)。
経営体質の改善と言うことで希望退職を募ったらメイン部署全員が応募、これで今後やっていけるかとの不安でいっぱいです。世の中厳しいねといってしまえばそれまでですがそれに直面しているものにとっては深刻です。
残る職場の人たちと今暗い気持ちの毎日です。年金生活までの道のりはまだまだ遠いです。
君は生きているか、熱い希望を胸に ....の歌がまた耳元で囁いています。

 帰省                                      1999/09/21

  久しぶりに四国の実家に帰ってきました。まずは讃岐うどん、最近はやたらとセルフの店が多いとか
私も行ってみました。注文の仕方が分からず聞きながら......
うどんと炊き込みご飯付きで450円、安いのが魅力。店にはお遍路さんが沢山にてやはり土地柄か
  母も父も元気そう、今年85歳とか生まれた家、庭、土塀、門と懐かしい
夜、偶然に部落(20軒ほど)にある小さなお宮、古宮神社のお祭りだった。電球の灯りの中、枯れ草を燃やす火、
神主さんの儀式のあとお神楽の奉納があった。私にとって初めての体験でした。
このお社は近くの本津川を流れていたご神体をいかきですくつてご神体としたことからいかき神社ともいわれている

 次の日は鬼ヶ島へ、洞窟のなかの鬼さんたちは楽しかった。
今度はいつ帰るのだろうか郷里の方言で帰るはいぬという。

出産                                       1999/08/16

 以前、一緒にアコーディオンをやっていたKさんからから赤ちゃん生まれたよとの便りが届きました。
思わずやったと嬉しい声を上げてしまいました。
彼女、身体が弱く色んな試みをしていたがどれも対処療法で完治とは行かず苦労していました。いろんなコトで時々
相談ををされたりしていましたが、結婚、出産とハードルを超えてのこの便り、頑張ったね、これからもがんばれと
拍手を送りたい気持ちでいっぱいです。

田舎の母                                   1999/07/27

 いつまで経っても子供は子供でしょうか、田舎の母が季節の野菜を送ってくれます。
もう80歳を超えて体力もだいぶん衰えて最近はよく転ぶとか。子供9人を必死で育てた頃からずいぶん経ちました
出来るだけ帰って顔を見て来ようと思うこのころです。

 福祉祭り                                  1999/06/20

 毎年6月始め、日野市の福祉祭りが開催され今年も沢山の団体、市民が会場の市役所前公園にあつまり盛況でした。私も散歩がてらカメラを持って見学しました。
人の多さ、参加団体の多彩さに我が市もまだまだすてたものじゃないと嬉しくなりました。
反面、おばさんパワーに圧倒されお父さんはどうしているだろうと考えさせられました。
  今、市の財政難で福祉関係にもしわ寄せがでていると聞いています。
これに負けずにぜひ福祉の火を大きく強くして欲しいです。
私も参加したいけど時間がない!

 動物園                                    1999/05/09

ふと思いついて多摩動物公園に行って来ました。
たくさんの人出、新緑がきれいで自然の中の動物園という感じ、久しぶり以前は子供と良く来たことを思い出しました
建物その他、ずいぶん新しくなったと言う感じでした。
連休中はきっと、もっと沢山のひとが訪れたことでしょう。入場料500円もずいぶん高くなりましたね。

 山菜が届きました                            1999/04/28

  懇意にしてくれている、奥多摩檜原村の民宿から山菜が送られてきました。この地方にのみという<のらぼう>
という野菜です。菜っぱでおひたしにしてたべるといくらでも食べられます。
ビールのおつまみに最高です。
そして、たらの芽、これは勿論てんぷらです。一皿分、一人で食べてしまいました。
さいごは酒まんじゅうです。これは彼女がしょくばにもって行きました。
庶民の味です。
 この民宿はもうずいぶん前仕事にゆきずまっていたころ、一人で訊ねたところです。
とても親切にしてくれ、ホッと一息、つけたところです。その後、ちいさな子供をつれて彼女(妻)と里帰りの気分で何回も行きいまでは田舎に帰った気分を満喫しています。
 ゴールデンウイークはいまでも泊まれるとか

 ゴールデンウイーク                            1999/04/25

 春の連休が始まります。昨年は二人で北海道ツアーに行きました。小樽の街の散策は今も忘れられません
今年はどうでしょうか、東北旅行しようかと話していたら、いつの間にか、どうせ仕事で行かないでしょうと
妻は一人で里帰りです。
 昨日、今日の土日も出勤で今は心身ともくたくたです。浴びるほど眠りたいというのが今の一番したいことです。
そうして目が覚めたら
新緑の中を歩きたいです。どなたか一緒にハイキングをしませんか

 久しぶりの休日                              1999/03/14

 昨年暮れ、長く務めた大手電機メーカーを退職、小さな会社に再就職しました。
なかなか休みが取れず、夜遅くまで働く毎日、徹夜も何回か経験しました。2週間続けて働き、その前は3週間連続、労働基準法は遠い世界の話のよう、
 昨日、土曜日は歯医者に行って あれこれやっていると夕方、とうとう疲れがピークに達して食事もせずにひたすら眠りへと、、、、、、、。
熟睡は出来なかったけれど普段の3倍くらいは寝たでしょうか。少し元気になりました。
 今日は日曜日、そして家にいる休日。パソコンのインターネットのH・Pを少し更新して、アコーディオンを弾いて、
友人に電話をして、サークル活動をしている彼女(妻)を送って行ってと当たり前のなんでもないことが新鮮に思える
日曜日です。そう今日はホワイトデーだと娘達にプレゼントを要求されてスーパーに買い物に行きました。

 離婚                                     1999/03/13

 今年もたくさんの方と年賀状での交流がありました。1年に一度のご挨拶と言う人も沢山いますが、書いてくれる短いコメントに過ぎし日の思い出にひたったりしました。
その中で、離婚して再出発していますとの便り目にして、何で!と思い考えさせるのが何通かありました。
そう言えばみんなに祝福されまたうらやましがられて結婚したカップルが別れたよと行った友人が何人かいます。
長い人生、色んなことがあり気持ちが離れることも仕方ないしそれでもいっしょにいることが幸せとは言い切れないことは私もわかる年になっていますがでもやはり残念な気がします。
 今言えることは、Sさん、Dさん、Mさん がんばれ

 事件                                     1999/02/06

 1月末、隣町の八王子市で小さなお店の(たばこ屋?)主婦と息子さんが殺されたとの報道がテレビ、新聞をにぎわしていました。ああ、また嫌な事件が起きたねといつものように聞き流していました。
ところがその家族が知人の母親と兄と知らされて驚きを隠せませんでした。そしてテレビで報じられることが遠い世界のドラマを見るようになっていることを改めて知らされた思いです。

明けましておめでとうございます                       1999/1/1

 1999年のスタートです。久しぶりのお正月の帰省は妻との二人旅でした。実家には年老いた両親が二人だけで住んでいます。80歳を超えて体力も随分衰えた様子ですが精一杯歓迎してくれました。姉達も来てくれて楽しいひとときでした。讃岐うどんを食べて四国88カ所霊場の幾つかをまわりました。
 昨年暮れ、長く務めた会社を辞め今年は再スタートです。以前の大企業との違いに戸惑っていますが前に進むしか
ないでしょう。新年に幸あれの心境です。


鹿児島旅行            1998/12/20

                              
 久しぶりの一人旅でした。九州鹿児島に行って来ました。2泊3日の旅
初日は鹿児島のシンボル桜島です。フェリーで島に渡りバスで一周しました。思ったより島は大きい。至る所に溶岩があり又噴火の後で展望台まで登れないとのこと、生きてる山ですね。
 2日目は鹿児島市から指宿、山川、開聞岳そして知覧。枕崎、坊津、吹上浜へとドライブでした。それぞれに思い出深いものがありました。鰹節をつくるところ。前から行って見たかった知覧、開聞岳は期待以上でした。そして坊津は最果てのおもむきと自然の美しさに目を奪われました。途中の山越えは心細かったけれど。
とても楽しいまた考えさせられる旅でした 

あいさつ                                    1998/12/19

  この度、長く務めた会社を退社する事になりました。色んな要素がありますが大きく言えば時代の波の中での出来事と言えましょう。私の職場、生産技術、製造技術部門がなくなっての事です。
いよいよ最後の週、お世話になった方へのあいさつ周りを行いました。私と同じ様な境遇で働いている人が多く、共通の思いを感じ随分励まされました。また、挨拶する方の多いことに長く働いてことを実感しました。

楽しい旅行                                    1998/11/30

  夫婦二人旅です。信州蓼科の会社の保養所に1泊旅行。 
11月14.15日と山梨から蓼科へと行って来ました。甲府善光寺、武田館、信玄の墓、千代田湖から昇仙峡、サントリーワイナリーと以前の社内旅行のコースです。昇仙峡では知人の社内レクに会ってびっくりしました。帰りはあちこちまわりながら(新府城など)一般道路を帰ってきました。妻とののんびりとした二人旅でした。
もう少しで退社です。そうしたら蓼科山荘にも行くことはないでしょう。思い出にのこる楽しい旅行でした。


続・君は生きているか                          1998/10/29

 何年か前職場の後輩にあなたは生き甲斐を持って働いていますか、と言われてドキッとしたことを覚えています。
教員をしている友人が仕事がうまく行っていないと何をしても元気になれないと言っていました。
働いている私たちにとってやはり仕事が基本ではないでしょうか。この5月今まで働いていた職場が無くなり事務部門に配属された私にとってつくづく感じます。
 いま、私は再度、夢を追って動き出そうとしています。たった一度の人生、悔いのない生き方をしたいと思います。

   

演奏                                     1998/10/24

  八王子の小さなアコーディオンアンサンブルに参加しているのですが結成1周年でミニミニコンサートを開きました
全員独奏する事になり、私も急遽<二つのギター>と言う曲を選び練習をしました。いつも本番では雰囲気にのまれ
全然うまく弾けないのですが今回はなぜかうまくいきました。終わったあとやったという気持ちはひさしぶりです。
ひさしぶりでいい気持ちで帰ってきました。

    

同窓会                                     1998/10/06


  アコーディオンを初めてもう随分たちます。あのころの仲間はどうしているだろう。
そんな気持ちから同窓会をやろうと決めました。当日、久しぶりの顔はやはりあの時の顔、話し始めるとすぐに20数年目そのものでした。お互い20代の前半、青春まっただ中、愛称で呼び合い、アパートに集まり、一晩中話し合い
恋が生まれ....そして今。それぞれの人生を歩んで。
  久々にたのしいひとときでした。今度は何の同窓会をやろうか。

青春している彼女                             1998/07/26

 アコーディオンサークルには色んな職業、年代の人が参加していてそれはそれで楽しいです。
最近入会したTさんまだ25歳とかのピチピチの女の子です。アコーディオンの方はこれからですが、色んなことに興味を持ちチャレンジしています。働きながら(家の家業を手伝いながら)職業訓練校に通っています。苦労して、悩みながらそれでも元気jに前を向いています。1日36時間あればいいと言う彼女、彼女の話しを聞いていると私もやらなくっちゃと思うから不思議です。元気をくれるTさん、がんばれ。彼女をみていると今の若者はという言葉がどこかにとんでいきます。

君は生きているか                              1998/07/10


君はきみは生きているか、いつもいつも希望を胸に
君はきみは生きているか、つらい辛い毎日だけど
なみだをぬぐって腕を伸ばそう、その手をあげて駆け出して行こう
さあ、きみも、君も生きている、人間だもの

君はきみは生きているか、いつもいつも熱い心を燃やして
君はきみは生きているか、きょうの、今日の命ある日を
うつむかないで、顔を上げてくれ 確かに見える夜明けの光が
さあ、きみも、君も生きている、人間だもの

石原いっき 作詞 青山義久 作曲の少し前のこの歌はいま私に新鮮に問いかけて来るような気がします。
今、君は生きているかと聞かれてそうだとすぐ答えられません。

ワールドカップが始まりました                        1998/06/14

 初めて日本の参加となるワールドカップが始まり今夜(日本時間)日本対アルゼンチン戦があります。
たぶん日本が負けてこのシリーズは1勝も出来ないかも知れないがそれはまた世界の中での日本の位置がわかり
いいことだと思います。
アジア予選でのドラマが感動的だっただけにまたの夢もありますが。
 選手の中で中山選手の明るさが好きです。いまの私たちの周りにないモノです。

 結婚記念日                                 1998/05/20

  5月20日は私たちの結婚記念日です。たくさんの仲間に囲まれての祝う会は今日の日のように朝から快晴の夏を思わせる日のことでした。私たちにいわゆる仲人さんはいません。会費制の祝い会でみんなの前で結婚を宣言する形でした。あれから随分経ちました。今も変わらず、妻は歌のサークル、私はアコーディオンを続けてこられたのは良かったと思います。今週末、仲間としないの福祉施設に出かけて歌とアコを聞いてもらいます。今日は二人で回転寿司屋さんに行くことにしました。

 初めて北海道に行きました。                      1998/05/03

  5月の連休を利用して4月29日〜5月2日北海道の道南地方に行って来ました。結婚**年記念を兼ねてこれも初めて国内ツアーに2人で参加しました。北海道の一部だけれど自然の大きさに感動、また、積丹半島では自然と人の関わりなど味わい深かい旅でした。小樽、函館の街は今度じっくり時間をかけて回りたいと思いました。
 日常のあれこれを考えると大自然をみながらふとここへ飛び出してこれたらと思いました。 

    マジカル・トイボックスのイベント               1998/04/07

 マジカル・トイボックスのイベントの初めて出かけて来ました。
テクノロジーを使ったコミニケーションエイド、障害が重い人でもコミニケーションをしているはず。何とかそれを豊かに
できないだろうか?
 この思いをテーマに活動している人たちのイベントでした。
会場にはパソコンをメインにマウスなど色んな工夫をして使えるようにしたものスイッチなどに工夫したおもちゃなど
たくさんのだしものがありそのアイデアに感心しらがら見ました。
福祉の関係者を中心に大勢の参加者があった様です。
 興味のある方はhttp://member.nifty.ne.jp/kinta/でどうぞ。

  四国88カ所の一部を回りました。      1998/03/21

      写真は善通寺の五重の塔とお遍路さん
 2年ぶりでしょうか、故郷の香川(讃岐)に帰ってきました。大分年取った父母の顔を見るためでしたが今回は一人
だったので気ままにあちこち歩き回りました。
手始めに弘法大師さんの生まれたところ善通寺から始まりその近辺から実家の国分寺まで8カ所、そして次の日は
屋島、八栗、志度寺と計11カ所回りました。
平日のせいかお遍路さんの他は殆ど観光客もおらず静かな讃岐路でした。

 視覚障害者とパソコン通信                   1998/02/22

視覚障害者のAさんからパソコンのつなぎ込みの依頼がありBさんと行って来ました。
パソコン本体にディスプレー、モデム、キーボード音声の装置(名前忘れました)などを開梱して接続する作業です。
私にはそれほどでもない作業ですが、目の不自由なかたに取ってはかなり大変だなと感じました。
 40分程でつなぎ込みが終わった後、今度はソフトのセットアップ。視覚障害者の方が使いやすいようにと作られた。ホームページリーダー等幾つかのソフトのインストールと設定です。これは同行したBさんの役割です。Bさんも目が不自由なのですが、音声を頼りにドンドン進めます。私はもうほとんど忘れたDOSでの仕事が主です。
目も止まらぬ早さでのキーボード操作にはただ感心でした。
パソコン通信、インターネットの設定等ほぼ5時間かかりました。私とは少し違った形のパソコンの操作方法によりネット上では障害とは関係なくお話しているのかと思うと感動を覚えました。
通信、ネットが視覚で表現する事が多くなって来ているがそれを乗り越えて、みんながパソコンを活用できればと思います。 とても有意義なひとときを作って呉れた二人、ありがとうございました。

パソコンのトラブル                          1998/02/11


  1月12日、突然windowsが立ち上がらないと言うトラブルが発生、再起動を何回か行ったがBIOSでメモリを認識
したところで停止状態となった。
翌日、メーカーである富士通のサービス(立川)に電話したところマザーボードが壊れた可能せい大とのこと、職場の同僚に聞いたがそんなことあるかな?との声が多かった。1月15日雪の中、秋葉原の富士通サービスに出向く。
状況を書いたメモを見せると、ハードディスク(Cドライブ)の故障ですね。持参してください。自分で交換してもいいですが保証はできません、方法も教えられませんとのこと。
 いまいち自信がないので1月17日立川に持ち込む。対応者は相変わらずマザーボードと主張、6万円以上の見積もり、高い!。工場送付で修理しますとのこと。ハードディスクなら交換だけ、再インストールは取り説をみればできますよとのことで、お金を節約(これが命取り)する事にした。
 1月22日富士通の工場よりハードディスクの故障と見積もりがくる1.8万円程度とのこと。修理を依頼する。
1月27日修理あがり、早速、持ち帰り取り説通りCドライブのフォーマットから始めたがウインドウズがインストールできずギブアップ、近くの電気店にインストールの依頼をした。2月3日2.5万円の代金を払い持ちかった。この間、
23日、長期間のパソコン無しと多額の費用を要した。
メーカーにひとこと。サービスセンターは単なる受付だけでなく、ユーザーの役に立つところであって欲しい、電話をかけたが全くつながらない。これも役立たず!。最後に2年持たない製品は売るな、1年保証の期間は短すぎる。

ふるさとのお雑煮                          1997/12/30

 私のふるさとは四国の香川県、お正月になるとやはり小さいときに食べたお雑煮を懐かしく思いだします。
香川、讃岐のお雑煮の作り方を紹介しましょう。
だしはいりこでとります。だいこん、人参を入れひと煮立ちしたら砂糖あん入りの丸もちをいれます。もちが柔らかく煮えた頃豆腐をいれて、あま味噌したてにして、火からおろす寸前にねぶかいれる。年中円満にと、野菜は全部まるぎりにします。
 おおおきなおもちを口にすると中からあまいあんこがでて口の中にひろがるととても幸せな気持ちになります。
帰省してお正月、母がつくったお雑煮をふうふう言いながら食べた頃を懐かしく思い出します。

バザーに参加して                          1997/12/21

 11月23日に日野社会教育センターでバザーがあり売り子としてボランティア参加しました。
カバン売場のコーナーで6人位で担当、朝10時の開店からたくさんの人が詰めかけ大盛況でした。50円から2000円程度の範囲で根付けされた品物ですが買う人が様々で人間模様が感じられて楽しかったです。
何個も買う人、300円程の物でも値切るおばさん、10円玉を握りしめて値段の交渉する子供たちもいて会話が面白い。その中でアジア、中南米からの外国人の方が奥さんか子供さんへの贈り物でしょうか。熱心に品物選びをしている姿があり、その優しい眼差しについ応援してあげたくなりました。この日野市にもたくさんの外国人が来て生活して
いるとのこと。違った環境のなか大変でしょうが頑張って欲しいと思います。

クリスマスケーキ

 12月、もう今年もあと少しと思うと何となくせわしくなる季節です。
町にはクリスマスの飾り付けも始まりました、ショールームにはサンタさんも並んでいます。
結婚して、子供が産まれ、幼い息子、娘たちが我が家をにぎわしていた頃、サンタさんに何もらうのと言ったら子供たちは真剣に広告を見て、これサンタさんに貰うんだ、と決めていました。
 イブのよる、早めに床についた子たち、枕元にそっとおいたプレゼント、翌朝、にこにこして箱を開ける子供たち、
私たち夫婦もそれを見て、楽しい気分に浸って、あわただしい共働き子育てのあるひとときでした。
 私の子供の頃のクリスマスはまだまだ貧しい頃でしたから、プレゼントもおいしい食べ物の縁のないときでした。
新聞で、ラジオでああもうすぐクリスマスだと感じるだけでした。
 ところがある時、小学1年生のころか9人兄弟のした3人に小さなクリスマスケーキを買って貰いました。一人1個、
今で言うショートケーキ位のものでしたが自分だけのものというのがうれしくて、少しずつ何日にも分けて食べました。
一口食べて、口の中に広がる甘み
あれから長い年月が過ぎ、生活も豊かになったけれど、小さいころの小さなケーキのことが今もこのころになると思い出されます。

趣味としてのアコーディオン

 アコーディオンを初めてどのくらいになるでしょうか
10年を一昔とするとふたむかしを越えるかも、音楽の経験のない私に取っては初めての楽器ででした。しょうきゅう初級教室と言って10数人の中でスタートしました。楽典もほとんど知らず楽譜が良く分からなかったけれど何となく心に響くアコーディオンの音色の虜になってしまいました。
 今市内の仲間と小さなサークルを作って練習をしています。アコーディオンを通じていろんな人と知り合いになれるのがとてもいいなと思います。
 先日、市内の老人病院の敬老の集いに行って演奏をしてきました。職員(看護婦)の方と一緒に患者さんもアコーディオンに合わせて歌ってくれ、この楽器を趣味にしてよかったと思いました。もう少し上手くなったら歌の好きな人と
一緒にアコーディオンを持っていろんな人のところへ出かけて行きたい.....これが私の夢です。どなたか歌の好きな方、いっしょにいかがですか。
なつやすみ

信州に行って来ました。

 8月の最後の週末、駒ヶ根を回って蓼科、霧が峰とのんびりと初秋の信濃路をドライブしました。
夫婦2人の気ままな旅です。
最初の駒ヶ根は仕事で良く行ったところ(工場がある関係で)ですがプライベートは初めてでした。光善寺を見て養命酒の工場ではテレビのCMと同じだねと思わずにっこり

蓼科は会社の保養所があります。ちょっとペンション風で若い二人が管理しています。建物の前はたくさんの花が咲いていて、旅、仕事の疲れを癒してくれる様でした。

次の日はビーナスラインをを通り八島湿原へとまわりました。霧が峰、車山、八島湿原は青春時代、仲間と行ったところとても懐かしいところです。高原はもう秋の気配でとてもすがすがしい気分でした。

 諏訪の町に下りてきて諏訪大社へ、小さな川が流れていて水がとてもきれいでした、日野市の川も随分きれいになったと思っていましたが、まだまだと感じました。
わたしのお気に入りの民宿

大平荘(おおだいらそう)

東京の西部、多摩地方の檜原村の一番奥に大平という数軒の集落があります。ちょうど奥多摩周遊道路の入り口にあたり高い山に囲まれた静かな山里という感じです。このあたりは兜造りといって飛騨の合掌造りを連想させる民家も多く歴史を感じさせられます。
民宿大平荘はそのなかにあり普通の民家風です。民宿は岡部さん夫婦の2人でやっています。土地のことばでいろいろ話して呉れますなんだか田舎に帰ったような気分になりとてもおちつきます。
また、グループで利用も出来ます。アコーディオンサークルでも合宿に時々利用しています
 都会の生活で少し疲れている方、サークルでの合宿でレベルアップと親睦をはかりたい方、是非いちど利用して見て下さい。
連絡先は190-02東京都西多摩郡檜原村2601番地  岡部利一
      TEL 0425−98−6154



緑の木箱 最近のものはこちらです。

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