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第5回 ヴァレンチーノ・チェリート(「ヴァレンチーノシリーズ」)
第1回 幻海(「幽遊白書」)
霊光波動拳の使い手で、主人公浦飯幽助の師匠でもある老婆(のワリには凄いゲーマーだったりするのだが)。幽助との出会いは、自分の死期が近いことを悟った幻海が霊光波動拳の後継者を募集し、当時霊界探偵だった幽助が、後継者候補に紛れ込んでいるお尋ね者の妖怪を捕らえるため、自分も弟子候補として試験に参加する・・・というところから。結局幽助は、お尋ね者を捕まえただけでなく、試験を勝ち抜いてめでたく幻海の弟子、霊光波動拳の後継者となる。
がめつくオニのよーに厳しく、ゲーマーな意地悪ばあさん・・・と見えた幻海だったが、幽助の前に圧倒的な力を秘めた謎の妖怪・戸愚呂が姿を現す頃から、その意外な過去が明らかになり始める。
戸愚呂は元々人間であり、しかも幻海とは、50年前、妖怪の世界の武術トーナメント「暗黒武術会」の「ゲスト」として強制的に参加させられた人間チームのメンバーとして共に戦った仲間だったのだ。幻海たちゲストチームは見事優勝を飾ったのだが、このとき戸愚呂は優勝の賞品として、永遠に力を磨き続けることができる不滅の肉体を望み、妖怪に転生したのだった。そこで袂を分かった二人は、50年間会うこともなかったらしいが、戸愚呂は、幻海の力を受け継ぐ幽助と戦うことを望み、まだ未熟な幽助を暗黒武術会のゲストとして指名する。二度と暗黒武術会に出ないと宣言していた幻海も、やむなく顔をかくし、覆面戦士として幽助のチームに参加する。
その後、決勝まで辿り着いた段階で、幻海は霊光波動拳の最大奥義であり、自分自身の霊力の塊でもある「霊光玉」を幽助に伝授した後、私闘で戸愚呂に敗れ、幽助に看取られて死ぬのだが、大会に優勝した幽助の望みで蘇る。その後も幽助の師としてときには共に戦い、時には遠くから見守り続けるが、ラスト近くで大往生を遂げ、幽助たちに大いなる遺産を残す。
若い頃の姿はなんつーか、超美少女!かわいー!強く美しくクール。しかも「美女」というよりどこか顔立ちにあどけなさの残る「美少女」である。しかしその精神にはロリキャラっぽいところは微塵もなく(老いて力が衰えることを恐れ、「時が止まればいいと思う」と言う戸愚呂に、「あんたが年をとれば、あたしも年をとる。それでいいじゃないか」だもんねー。死すべきものとして、衰えを受け容れ、次世代に力と想いを引き継いでいくことこそ人間の強さだという彼女のスタンスは若い頃から変わっていなかったのだ。)。「正義の味方をを気取る奴が気にくわない」という死々若丸に、「あんたはあたしを正義と言ったが、そんなつもりは全くないよ。たまたま嫌いな奴に悪党が多いだけの話さ」とゆー台詞は卒倒もののカッコよさ。死々若がクラっとするのも無理はない。
なお、若い頃の幻海の姿は、回想シーンや蘇生前に霊界にいたときだけでなく、現世でも見ることができた。霊光波動拳の使い手は「霊力を最大限に高めたときに細胞が活性化し、肉体が一時的にピーク時のそれに若返る」ためだが、霊光玉を幽助に渡した後、戸愚呂との私闘で一瞬若返ったのを最後に、蘇生後はその姿を見せることはなかった(理屈上は霊力が足りない、ってことなんだろうけど、それ以上に作者が意識的に避けたのではないかと思う。なんとなく。)。
ところで、幽助の霊的な母にあたる、雷禅が愛した食脱魂師だが、雷禅自身はその後500年も彼女の魂に巡り会えずにいることを、「あれだけの女になると、そうそうあらわれるもんじゃないらしい」と言ってたが、ひょっとしたら幻海こそ彼女の生まれ変わりだったのではないかと私は思っている。霊能力者としての幽助の育ての親でもあり、霊的にも物質的にも(!)遺産(霊光玉は生前贈与か?^^;))まで残しているし、幽助の分身である霊界獣プーにも容易く乗り移ってるし。何より、ラスト近く、二つのボタンを前に、どっちを押したら世界の破滅を回避できるかと迷う幽助に、「ドジったらあたしも一緒に謝ってやるよ」というのは、やっぱり母親の台詞だと思う。まあ、作中では明らかにされない方がcoolだと思うけど。
それにしても冨樫義博の描く女性キャラの多くは、「つっぱっていても所詮は女。男には敵わない」的な、いやらしいハンパぶりを見せない。主要キャラだけじゃなく、チョイ役もそうなので、作者のスタンスがそうだということなんだろうけど、これは特筆に値すると思う。(’98.11.19)
(「幽遊白書」冨樫義博 集英社ジャンプコミックス1〜19巻)
第2回 クシャナ(「風の谷のナウシカ」)
大国トルメキアの第四皇女にしてトルメキアの精鋭第三軍を指揮する将軍。聡明で武勇に優れ、部下には熱狂的に支持されるカリスマ性をもち、敵国土鬼(ドルク)では「トルメキアの白い魔女」と恐れられる金髪碧眼の美女である。幼い頃、先王の血筋を実父ヴ王に疎まれ(どうやらヴ王は先王の直系ではなく、クシャナの母こそが王の血を継ぐ者だったらしい。)、毒を飲まされそうになるところを母に救われる。が、身代わりに毒をあおった母は正気を失い(命を奪うのではなく、そういう類の毒だったのだ)、娘のこともわからない状態になる(エヴァンゲリオンででてきたアスカの母が人形抱いてるシーン、あのあたりはクシャナ殿下が遠征前に母上に会いに行ったときの描写とクリソツだよん)。聡明で愛情深かった母の変わり果てた姿を目の当たりにした少女時代のクシャナの苦しみはいかばかりだったか。
母を苦しめた父と異母兄たちへの憎悪を胸に成長したクシャナは、末妹・第四皇女でありながら、トルメキア最強とまでいわれる騎兵軍団・第三軍を育成し、その揺るぎない信頼と支持を受けるようになるが、そのことがまた父や兄たちの嫉みと恐れを生む。
敵対する異民族・土鬼との戦争のさなか、父や兄たちの画策で主力の大半と引き離され、伝説の巨大人型兵器「巨神兵」奪取の名目で辺境の戦線にとばされたクシャナは、有毒ガスをまき散らす巨大な菌類の森・「腐海」のほとり、辺境の地「風の谷」でナウシカと出会う。巨神兵のコアとなる「秘石」の入手に失敗した彼女は、わずかな兵力で土鬼の地へ向け腐海を進軍せよという理不尽な王命に従い、腐海を横断しようとする。だがその行動の裏には、大胆だが冷静な計算があった。
3巻あたりで明らかにされる彼女の計画、そして壊滅寸前となっていた第三軍主力の拠点に乗り込み、態勢を立て直して土鬼軍と合戦を演じるあたりはまさに殿下の独壇場。主人公ナウシカも、クシャナの元で「本当の戦さ」を知ることになるが、クシャナもまた、どんな生き物の死も見過ごしにできない心と、それを支える強い意志と力を併せ持つナウシカに好意と共感を覚える。
クシャナ軍に随伴する間に、世界に迫り来る破滅の危機を察知したナウシカは、クシャナの元を離れ、危機の源を探し求めるべく旅立ってしまう。一方ナウシカと別れたクシャナは、トルメキアへの帰還を目指して行動を開始するが、彼女も世界の大異変の渦中に呑み込まれ、一度は取り戻した部下の大半を失い、世界に迫り来る滅びの実態を目の当たりにし、自らも死の淵を乗り越えて、憎しみと争いのむなしさ、愚かしさに気づき、ナウシカの生き方に共鳴していく。
怒りと憎しみを心に抱えながら、冷静さを失わないところ、平民あがりの部下クロトワ(実はクシャナの父・ヴ王のスパイ)とのハラのさぐり合いでも常に勝ち、それ以上にクロトワのような一筋縄ではいかない男に、指導者として認めさせていく才知と人格の力は凄い。クシャナの参謀として赴任してきた当初は、頭のいいお姫様と侮る節もあったクロトワですが、次第に「こりゃかなわん」とばかりのクシャナ側につくようになる(それでも完全に心酔しきることはないのが、クロトワの他の部下たちとはひと味違うところだけど、結局のとこ、ぶつぶつ言いながらも結構忠実に一生を過ごしそう^^;)
)。また、土鬼の皇兄ナムリスに囚われ、部下の命と引き替えに、明日にでも寝首をかくぞと言わんばかりの政略結婚の申出を受けても平然と受ける剛胆さもステキ(でもしっかり「臥所を共にする前に叛乱」しちゃうのよねぇ、ウットリ・・・)。
憎しみに駆り立てられることの愚かしさを悟ってからの殿下は、それ以前のようなギラギラとした輝きを少し失ったようで、個人的にはちょっと寂しい。それは殿下が滅びかけた王国の指導者となるのに必要な人間的成長だったわけだし、王道を歩み始めてからの殿下もまた違った魅力はあるのだけれど・・・何事にも代価は必要ということか(;_;)
あと、決してマッチョなお姿ではないのだが、身につけている鎧や剣に歴とした重さがあって、それに耐える体力があることが画面からちゃんと感じられるのはさすが!(殿下も宮崎先生も(^^))
なお、今まで書いてきたのはすべて原作のクシャナ殿下についてのこと。映画版のクシャナと原作の殿下は相当に別人で、映画のクシャナはむしろ「もののけ姫」のエボシ御前に似ている。たぶん一番違うところは、原作のクシャナは「世界が滅亡に瀕しており、破滅の前には人間の力など微々たるものだ」という認識がちゃんとあることだと思う。エボシ御前は生きた世界が違うし、苦労を重ねて弱小勢力を築き上げたエボシ御前と大国の皇女である殿下とでは立場も違うわけだけど(・・・あ、もちろん映画版のクシャナもエボシ御前も好きですが。)。
映画しかみてなくて原作を読んでいないという人!是非原作を読んでくれ!!純粋な「面白さ」という点では(特に後半部分は)評価が分かれるだろうが、中断と再開を繰り返しながら10年をかけて完結した原作は、映画版では味わうことのできない苦さと矛盾と深みに満ちている。(’99.3.20)
(「風の谷のナウシカ」宮崎駿 徳間書店アニメージュコミックス1〜7巻)
第3回 阿修羅王(「百億の昼と千億の夜」)
私の女性遍歴^^;)は高1の頃、阿修羅王さまとの出会いで始まった。いわば初恋のようなもの。・・・というわけで、冷静な紹介文なぞ書けるはずもなく、ノロケモードで行きまーす(といってもこのページは基本的にみんなそうなんだけど。)。
家族を捨て国を捨て、心の安らぎを求めて出家を志した悉達多太子(後の世に言う釈迦)は婆羅門の招きで梵天の治める天上界に赴き、そこで迫り来る破滅の源、天上界への侵略者「阿修羅王」の存在を知る。56億7千万年後の末法の世に現れるという救世主「弥勒」を否定し天上界に刃を向ける阿修羅王にその真意を問いただすべく、阿修羅王の軍に赴いた悉達多太子。やがて太子の前に現れた人影−−−小柄な身体に可憐な面差しのその少女こそが、数億年にわたって天上界を悩ませ続けている阿修羅王そのひとであった。
なぜ侵略を繰り返すのかと問う悉達多太子に、阿修羅王は逆に問い返す。
−−弥勒とは何者だ?56億7千万年後の未来に、彼はほんとうに救ってくれるのか?弥勒の真意は何か?自分を含め、この世の従属物に過ぎないものに世界を滅ぼす力はない、他界からやってきた弥勒らこそ、世界に破滅に関与しているのではないのか?−−
阿修羅王は梵天らの言葉をことごとく覆し、その疑いを問いただすためにこそ、自分は梵天に対して挙兵したのだと言う。そして彼女は悉達多太子の心に弥勒の説く救いの予言への疑念を芽生えさせ、自らは再び果てしない戦いの中へ去っていく。この破滅が続く限り、戦いをやめるわけにはいかないと言い残して。
阿修羅王も悉達多も全編出ずっぱりというわけではなく、ふたりのこの出会いの前後には、古代ギリシアの哲学者プラトンが過去にタイムトリップし、アトランティスの執政官オリオナエとしてアトランティス滅亡に立ち会うエピソードと、ナザレのイエス(後の世に言うイエス・キリスト)が自ら意図して十字架に架けられる(滅びとその後に訪れる神の国への信仰を広めるための)「計画」の成功が描かれる。
そして、多くの文明が滅び、世界が破滅に瀕した遙かな未来。阿修羅王は、シッタータ(悉達多)やオリオナエと共に、世界の再生と「なぜ世界は滅びに向かっているのか?」という疑問の答えを求めて、世界を滅ぼそうとする絶対者「シ」、そしてその手先であるナザレのイエスらに、最後の戦いを挑んでいく・・・(これじゃ何を言ってるんだかさっぱりわからないと思うが、そんなに長い話ではない(コミックスで2巻、今は文庫本1冊で出ている)し、私のヘタなまとめより実際に読んでみた方がずっといいので、未読の方は是非読んでみていただきたい。)
わりと最近は、「神と戦う」「絶対者と敵対する」というストーリー展開の作品は珍しくなくなっていると思う(で、なぜか神剣1本、魔法1発とかで勝っちゃったりすることも多いような気がする)が、当時の私には絶対者に疑問を抱き、勝ち目のない戦いを挑む少女の姿は衝撃的だった。しかも、阿修羅王には本当に勝ち目がないのだということが、ラストでこれでもかというほどはっきりと、読者にもつきつけられる。そこにはもはや怒りなど通り越した絶望と諦念と、それでも先に進まなければならない孤独な戦いがあるだけなのだ。
神の愛への不信、自分の生きるこの世界の取るに足りなさ、巨大な力を前にした無力感、それでも前に進もうとする姿。それは、約20年前のいち女子高生にとって、共感できるとか心に焼き付いたとかいうより、自分の心の一部を切り取って見せてくれたようなものでもあった。
ところで、SFファンの間ではあまり評価は高くないらしいのだが(今はそれもわかるような気がするが)、私にとっては常に、マンガ版こそが「百億の昼と千億の夜」だった。最初に読んだのがマンガ版だったためもあるが、萩尾望都のペンがなければ「あの」阿修羅王はいなかったと思えばどうしようもない。美しく繊細な少女の顔に浮かぶ、怒りと不信、悪意と嘲弄はまさに悪鬼のそれであり、華奢で小柄な身体つきでいながら、剥き出しの腕やすらりと伸びた裸足には硬質な力強さがある。そして重さを感じさせない半神のような動き。これらはすべて、マンガだから、萩尾望都だから描き得たものだと思うのだ。
かくして今でも(ふたりと現れるはずはないとわかっていながら)、女戦士などという言葉では到底括れない、透明で非人間的な美しさと、あらゆる生命の持つ儚さ切なさを併せ持つ阿修羅王の、その影だけでも見つけることができないかと、さまざまなメディアと物語の間を、うろうろさすらう私がいるわけである。(’99.5.5)
(「百億の昼と千億の夜」 光瀬龍・萩尾望都 秋田書店)
第4回 ミリオレ(「パナ・インサの冒険」)
精霊ジンを奉ずる強国(とはいえ国は病み、滅亡は時間の問題という状況)イシュターンの王に仕える最高位の呪術師で、14歳の少年を片端から捕らえて検分のため王都に送る「勇者狩り」の任を担う総督。
14年前のその年に生まれた男の子が、やがて王となる「勇者」であるという予言に、王位を奪われることを恐れたイシュターン王は、既に多くの子供を親から奪い、殺しており、ミリオレ自身幼い頃、名高い将軍だった実父の手により弟ラドを眼の前で殺されている。このため、ミリオレもすべての元凶でありながら姿を見せぬ勇者を激しく憎んでいるのだが、その一方で、勇者狩りがもたらす民人への悪影響を認識し、その被害を最小限にとどめようと腐心している。
勇者狩りのため各地を転々としてきたミリオレは最後に訪れた辺境の島で主人公ラズリと出会うが、ラズリが(きれーな姉ちゃんにガキだと思われたくなかったためか)年齢を多く偽ったため見逃される。後からラズリこそ勇者と知ったミリオレは追っ手を差し向けるが時既に遅く、ラズリは賢者マトムームの手により同い年の(つまり勇者候補でもある)謎の美少年アドニスと共に砂漠へと逃れ、自分の運命に向けて旅立つ。かわりにミリオレの前に現れたのは、華奢な少年の姿もたくましい若者の姿も変幻自在、ミリオレを遙かに凌ぐ呪力の持ち主・謎の男アリ。どうやらラズリのひとつ前の「伝説の勇者」らしいアリにイシュターン王との会見を要求されたミリオレは、彼を王に引き合わせるのだが、王は(アリの呪力の強大さを知りながら)何故かミリオレにアリとの決闘を命じる。死を覚悟するミリオレ。ところがアリは「自分が勝ったらこの女をくれ」と言い出し・・・(この辺りから連載が中断されている!ぜひぜひ早く再開して欲しい。)
たやすく精霊(ジン)を操る呪術師であるが故に荒くれの部下たちからは恐れられ、その実力と美貌ゆえに王都のミーハー娘たちのあこがれの的^^;)。あまり毛並みの良くない副官のユガーとの関係は、「ナウシカ」のクシャナ殿下とクロトワの関係を彷彿とさせる。強力な呪術師でありながら自らの力を過信しない冷静さと荒くれの部下たちや精霊たちに対する余裕の態度(特に黄金の獅子ゴールデン・シーガとの「契約交渉」の場面はサイコーに格好イイ)が魅力。それでいて、自分の縁者だけ勇者狩りの手から逃れさせようとした部下や、光の精霊セラトを犯して聖地パナ・インサから連れ出したと語るアリに見せる怒り、そしてラズリの幼なじみヤムヤムを手なづけろというアリの言葉に対して「(自分はヤムヤムに対して残酷な行為を行ったから)無理だろう」というあっさりとした態度には潔癖で繊細な心根が窺える。
作品そのものは一見ゲームコミックっぽいのだけど、実はきちんとファンタジーの作法に則って描かれていて、契約−代償という原則、「治癒・再生はできない」といった呪術の力の限界、精霊を操る意志と力のあり方といった大きな部分から、手袋をはめて指輪の精を呼び出すと幽体で出てくるといった細かい部分までぞくぞくわくわくさせられる。絵柄がロリショタっぽい(氷室冴子の「銀の海、金の大地」のイラストの方である)
ため、硬派のファンタジーファンには食わず嫌いの人もいるかも知れないが、珍しいアラビア風テイストのファンタジーでもあり、コミックスのカラー表紙は綺麗だし、謎の金髪美少年アドニスや指輪の精リラなど少年少女の美しさ・愛らしさは言うことナシだし、一読をおすすめします。(’00.1.10)
(「パナ・インサの冒険」 飯田晴子 角川書店 ASUKA COMICS DX 1〜4巻)
第5回 ヴァレンチーノ・チェリート(「ヴァレンチーノシリーズ」)
15世紀のイタリアに栄えた商業都市ヴェネチアの若き元首(ドージェ)。波打つ金髪と人を見下すような菫色の瞳を持ち、常に男物の黒衣に身を包む(たまーに女装もするが)男装の麗人。本名をヴァレンチーナという。傭兵隊長ジョルジォの談によれば、男装は、幼い頃トルコとの戦さに巻き込まれて負った火傷の跡を隠すためとの噂があるそうだが、真相は不明。もっとも、女装したときも胸の開いた服は着ていないので、本当である可能性もある。
その金髪はひたすら美しく、何より、ちょっと毒を含んだあの瞳でふふんと嘲るように見下ろされるともう、たまりません(*^^*)(←マゾじゃないつもりなんだけど・・・)
息子を得ないまま妻(つまりはヴァレンチーノの母)を尼僧院に幽閉せざるを得なかった父の元、元首の地位を継ぐべく嫡子として教育を受ける。父の死後家督を継ぎ、元首となった後は、内には頭の固い元老院議員や聖職者たち、外にはトルコを始め、地中海世界での勢力拡大を狙う諸外国、そして男女を問わぬ恋の相手たち、すべてまとめて向こうに回した、華麗な権謀術数の日々。
シリーズはすべて短編で、全体を通じたストーリーというのもないが、ヴァレンチーノを中心に、彼女に想いを寄せるお気楽画家のマーカントニオ、マーカントニオに懸想する(からかっているだけのようにも見えるが)素性の知れぬ錬金術師のアエリア、ヴァレンチーノの母で、夫(ヴァレンチーノの父・先代の元首)の毒殺未遂の罪で15年も尼僧院に幽閉されていた母アンナ・マグダレナ(こう書くととんでもない悪女のようだが、憎めない女性である。ついでに自分の幽閉を解かなかったヴァレンチーノに是が非でも仕返ししようとするあたりはやっぱり親娘。娘に比べるとやり方が甘すぎるが。)、ヴァレンチーノの幼馴染みで、父の没落によって有力商人の妾に身を落としたヴェネチア一の美姫ロマンツァなど、彼女を取り巻く人々との人間模様に、国内外の政治的対立や陰謀を絡めて描かれている点では共通している。
ヴァレンチーノ自身は、法王庁のお尋ね者でおまけにミラノのスパイだった前歴を持つ錬金術師アエリアの力を見込んで側近くに置くなど思想的には開明的・実利的で、抜け目もないが、飽くなき野心家というのではなく、周囲の状況を見極めつつ自国の利益を確保し勢力拡大を狙う、ヴェネチアらしい秀才型の統治者と思われる。もっとも、机の前でじっとしてはいられない性質で、危険のさなかに飛び込んでいくこともしばしばだが(剣の腕には自信がないなどと言っているが、女スパイを相手に剣でわたり合ったこともあるし、並み居る衛兵たちをのしたこともある。割り引いて考えるべきだろう。)。
傲慢でインケン、自信家で口は悪いくせに受けた侮辱には敏感、カリは必ず返すという、お世辞にも心が広いとは言えない性格なのだが、自分のそういった性格を知り尽くした上で客観視できる余裕と、統治者としてヴェネチアをを守ろうとする意識が(特に気負うこともなしに)何よりも優先する、その点が凡百の「女王サマ」とは違うところ。彼女にとってヴェネチアの元首であることは、押しつけられた辛い義務でもなければ、自ら選び取った栄光でもない。生まれ育った環境のなかで培われてきた、ある意味当たり前のことなのだ。敵味方、虚実入り乱れる俗世間を、天才でも超人でもない人間が、肩肘張らず、肩そびやかして生きていく−−そんな軽妙さ、しぶとさが、ヴァレンチーノ、そしてこのシリーズの最大の魅力ではないかと思う。
シリーズの中ではヴァレンチーノの泣き所・母アンナ・マグダレナとの関係を描いた「恋のページェント」や最後の話となった「月空遙かに・・・」がオススメ。特に「月空遙かに・・・」で描かれた12歳のヴァレンチーノは、太陽のような傲慢が初めて悲しみに触れ、個人的な感情と権力者としての立場の間で揺れる、まさしく子供時代の物語。コメディ色の強いシリーズの中にあって一番哀切でお相手(?)も東国の美姫という異色作であります。
(「スキャンダルムーンは夜の夢」、「嘆きのトリスタン」 森川久美 竹書房文庫)
(注)白泉社からコミックス3分冊で出ていますが、今から入手するならこちらの方がおそらく簡単。錬金術師アエリアの過去を描いた番外編「花のサンタ・マリア」も収録されています。