NO-15 漢字の噺-02

 ちかごろは、すっかりワープロが搭載されたパソコンが普及して、ぼくたちのようなものでもパソコンで文書を作成できる時代になりました。もちろんパソコンでも6355字の漢字を扱える環境になっていますが、常用漢字以外のほとんどの文字は使われていないだろうし、さらには読めないという悲しい現状になっているのです。さらに、あたらしいコンピュータのオペレーションシステムでは約1万5千文字ほどの字種に拡張されたようです。どうやら、印刷や出版の業界では、漢字数が拡張されてゆく流れになっています。より多くの漢字が使えることは、文字の専門家である文芸作家や編集者・研究者にとっては朗報でしょうが、一般庶民にはあつかいきれない文字数になっています。なにか能力的にも疎外感を感じてしまうし、経済的にも、コストパフォーマンスが悪いんじゃないかな?当然のことながら、漢字が使いやすい環境になれば、むずかしい文字で表記された本が書店の店頭に、どんどん並ぶことになるでしょう。かつてマスコミで活字ばなれが叫ばれて久しいが、ますます活字ばなれが加速する結果にはならないだろうか。教育改革だとして、国をあげて授業時間の削減に取り組んでいるようですが、漢字の拡張をすすめようとするのなら、同時に、文字教育も充実させてゆかなくてはなりません。出版産業のための漢字の拡張が逆効果になって、さらに活字ばなれが拡がってしまうことが懸念されます。

 僕は小学校の頃、国語の教師に頭をこぶしでポコポコ殴られながら読書を強制されたつらい思い出があります。でも、こんな頭の悪い自分でもなんとか本を読めるようになったのだから、酒井先生に感謝です。大人になってから気付いても遅いのです。こどもには自分の未来はみえません。おとなの経験でこどもを導くしか方法がありません。頭の柔らかいこどものうちにたくさんの漢字にふれさせることが大切です。こどもたちの未来になっても、やはり漢字は健在で、雑誌や書籍にとって重要な米のような存在になっていると思うからです。


NO-14 漢字の噺-01

 昨年の夏は暑い日が毎日続いていました。そのころぼくは看板ウォッチングだと意気込んで、浅草は浅草寺・六区あたりをフラフラ、吉原・三ノ輪あたりをフラフラと、飲食店や商店の看板をカメラに納めておりました。民衆の願いが込められている雷門・浅草寺の大きな提灯文字があったり、心意気を感じる芝居小屋の呼び込み文字、飛不動尊のいかにも願いが叶いそうな赤い幡、浄閑寺・吉原神社などの札文字や絵馬・扁額の文字には呪や祈り・悲しみが込められているのでしょう。そして、伝統の味を保証してくれそうな老舗のてんぷら屋の看板文字などなど。それぞれの文字はただの図形や表示ではなくそこで生活している人たちの感情やたたずまいをも感じとることができました。暑さにめげつつも散策した下町風情の残る町並には、なぜか引かれるものがたくさん有りました。そこで感じたことは、老舗の和菓子店やむかしながらの蕎麦屋などの屋号には、意外にも多くの旧漢字が残っていたことでした。旧い文字があちらこちらにしっかりと生きていて、浅草界隈の風景をより豊かなものにしています。文字看板も街のイメージづくりに大きく貢献しているんですね。

 日本の漢字は昭和21年の国語審議会によってに当用漢字が制定され、昭和56年には常用漢字に改定されて、一般国民が日常生活においてこまらない程度の文字使用の目安として決められています。義務教育の小中学校の国語の授業で学習する1945文字の漢字のことです。しかし、日常生活で私たちが読んでいる新聞・雑誌・公文書などの印刷には、JIS漢字(JISによる情報交換用漢字符号系のことで文字ひとつひとつに番号を割り振ることで印刷したりモニターに表示させたりする規格のこと)で採用されている6355字を使用することができます。もちろんJIS第2水準漢字の中にはむずかしい旧字などもたくさん含まれています。たとえば、學(がく)・藝(げい)・鐵(てつ)・寳(ほう)・藥(やく)などはむしろ旧字のほうが風格が感じられ、いかにも言霊がやどりそうな文字です。意味の本質が表現されていると思いませんか。しかし、当用漢字しか教えてもらっていないのぼくらの世代はむずかしい旧字が出てきたときには、もうチンプンカンプンでくやしい思いをしました。当用漢字以外の文字は教えないという教育方針には大きな問題があったと思っています。この際、小学校の国語教育を見直して小学生に6355字の漢字表を配り全員で暗唱させる授業をしてみてはどうでしょうか。本人がその時に漢字が理解できてもできなくてもいい、漢字の存在だけでも知っていれば、大人になった時、漢字に込められた意味を知るときがきっと来るに違いありません。より多くの文字を知って、その文字の成り立ちや感情を感じとることで、生活やこころがより豊かになります。そのこころが広がってゆけば、漢字のこころを大切に伝えてゆこうとするいい大人たちが育つはずです。


NO-13 文字の魂-02

 江本勝氏(医療学博士)の著書「水は答えを知っている」の中でおもしろい実験が報告されています。ビンに詰めたご飯に「ありがとう」と声をかけ続け、もうひとつのビンに入れたご飯には、毎日「ばかやろう」と声をかけ続けたそうです。1ヶ月後、「ありがとう」の声をかけ続けたビンはかぐわしい麹(こうじ)の香りがして、「ばかやろう」と言葉をかけ続けたご飯は腐敗して真っ黒になってしまったそうです。そして、なによりもうひとつ、放置して無視をして、声を何もかけなかったご飯は、さらに早く腐ってしまったそうだ。植物の種子を加工したご飯にさえも言葉に反応するセンサーが存在していたということなのです。また、水分を多く含んでいるサボテンに声をかけて、言葉に対する反応を電気的に測定した実験もよく知られています。では、なぜそんな結果がでるのかそのメカニズムを考えてみましょう。言葉は、いろんな民族の言語として、声帯を振動させて、振動として耳の鼓膜を震わせて言葉を伝えます。同じ言語でも、良い言葉の振動と、悪い言葉の振動では違った振動パターンを持っているのではないだろうか。その振動との共鳴が物質に影響をあたえているのかもしれません。

 日本人は古来から、読経の独特のハーモニーで空気を振動させ、加持・祈祷などで火を燃やして、大音声の鐘や太鼓で空気を振動させて、霊界とのコミュニケーションの手段にしてきました。ほとんどの日本人は霊界にいる御先祖様との唯一の通信手段として加持・祈祷を信じてきたのでしょう。現代でもその考え方は否定することはできません。著名な版画家の棟方志功はお経を唱えながら、また、ベートーベンを唱いながら板を彫っていたそうです。そうやって作品に魂を込めていたのです。彼にとって、お経やベートーベンを唱うことが仏に近づく唯一の方法だったのです。たとえ板でも植物でも言葉をかけ続ければ魂は伝わるのです。言葉にはすごいパワーがあり、文字にも人をいやしたり、人を勇気づけたりするパワーがあります。逆に、人をおとしめたり、不幸にすることだってあるでしょう。毎日、感動や喜びを伝えている現代のマスコミメディアにおいても、言葉から生まれた文字が重要な位置をしめています。ぜひ、これからもいい言葉を使い、うつくしい文字を使いたいものだと思っています。


NO-12 文字の魂-01

 日本の文字は、いろんな表情や感情を持っています。ほとんどの文字は左方向に開いた顔をしています。ひらがなでは、「あ」「い」「う」「え」「お」など、平仮名の形をみると左側に向かって広がりのある形をしています。日本人のほとんどが右利きなので、必然的に左から筆をおろして右に筆を引く動作が自然です。そして、その位置から左に跳ねたり払ったりしてしまう。結果的に、ほとんどの文字は左に広がる形になっているのです。しかし、「き」「く」「さ」「し」「せ」などは例外的に右を向いています。仮名や漢字でも欧文のアルファベットでもすべての文字の重心は中心よりやや左で、人間に例えれば顔の方向に位置しています。人間のからだの重心もからだの中心にあるのではなく、顔の方向で、やや前方になっているのです。

 では、漢字の表情を見てみましょう。「上」は上を向き「下」や「天」は下を向いている文字です。「天」は天より上はないので下を向くしかないのかもしれません。「跳」などは、今にも飛び跳ねそうな感じがしてきます。「笑」はいかにも文字が笑い出そうとしているかのようですね。悲しいときには「笑」の字をデザインする気分にはなりませんし、その文字の感情になって文字を書かなければ魂のこもった文字は書けないのかもしれません。

 聖書には「初めに言葉ありき」と記されています。宇宙が創造される前にすでに言葉があったとされています。まず最初に宇宙の意識や言葉があって、その後、生命が生まれ、そして文字が発明されました。ですから、宇宙の言葉を記号化した世界中の文字にも魂や感情のようなものが内在されているような感じがします。私たちは、優れた画家や芸術家の作品に出会うと、その作家の生命力や魂に触れているような感動を得ることがあります。魂や感情がたしかに地球上に存在しているからこそ、私たちのこころに伝わるのです。

 絵画には作家の人生が表現されているのと同じように、文字は書く人の感性がよく表わされていると言われます。すぐれた作家やスポーツ選手に共通することは、自分のこころに描いたイメージの世界を、手の動きやプレーにストレートに還元してしまう能力をもっていることだろうと思います。ストレートな表現には[天才]を感じさせられてしまう。おおらかな人の書く文字、神経質な人の文字、ユーモア精神にあふれた人の文字、それぞれの文字があります。文字を書くという行為は、そのひとの人生や考え方などが頭脳から信号として伝わり、腕や指の振動として表現されているだけのことです。たしかに言えることは、神経質なひとにおおらかな文字は書けないということなのです。



NO-11 父型と母型の関係

 昨年、JTAの東部研究会メンバーで大田区大森にある岩田母型製造所を見学させていただく機会があった。岩田母型製造所は昭和初期1920年代から活版印刷の活字を製造してきた会社です。社長の高内氏やフォントデザイナーの小塚氏らに金属活字時代の貴重なお話をうかがった。
 金属活字の初期、種字は彫刻師によって金属に直に逆文字が彫られ、その父型を母型材に打ち込んで母型が作られていた。種字の彫刻師は希少な特殊技能者で、当時、職人の10倍程の報酬が支給されていたそうだ。ついでに花街での遊びも盛んだったとか?確か書き物によると、昭和初期、大森海岸から蒲田にかけては、あいまい宿といわれる遊女屋が続いていたらしい。活版印刷は父型、母型のどちらが欠けても成り立たない産業だ。なにか男と女、人間社会を象徴しているように思える。その後、母型はベントン彫刻機の登場によって簡単に量産されるようになった。そして、子供が生み出されるように母型から活字が鋳造されてゆく。母型一本でなんと、500万本もの活字が鋳造可能だそうだ。
 このようにして、活版印刷産業が進歩し、大衆読書文化が広まっていった。確かに活字は大衆メディア社会の米のような地位を担ってきたと言える。現代では、フォントがその地位を守っていく立場に移り変わっている。


NO-10 デジタルフォントの品質

 近ごろのデジタルフォントは昔の活字・写植の時代と比べて、文字の品質が落ちているのでは?と、云う意見をよく耳にすることがあります。文字の質とはうまい文字だとかへただとか、文字の機能性であったり、整然とした組版、文章の読みやすさ、字形の面白さだったり、いろいろな評価があります。文字の良さを評価するとき、書の良さがあまりわからない私としては、すこし抽象的な言い方ですが文字の表情や組版の表情で文字の良さを判断することにしています。
 今のデジタルフォントは、活字や写植の時代と比較すると文字数が少なかったり、職人の手作りの味みたいなものが薄れているように思います。パソコン等のハードによる制約があったり、フォント価格の低下もフォント開発を困難なものにしています。等々、いろいろな原因で文字の質の低下を招いているかもしれません。しかし、デジタルで文字を制作する場合、デジタルならではの特性を生かした文字デザインが現われることも当然のことと思います。その時代の技術が文字デザインに影響を与えて違った味をもった新しい時代の文字が設計されていく。それは必ずしも質の低下とはいえません。
 デジタルフォントが開発されるようになって10年程経ったわけですが、フォントの現状は書体数が増え、ウエイトのバリエーションが増え、個人でも手軽に何書体も保有することが出来るようになりました。いずれは品格ある質の高いフォントが多数登場することでしょう。


NO-09 文字づくりの楽しみ

 第一水準に含まれる約3000字の漢字は、200程度の部首の組み合わせから成りたっています。偏やつくりの組み合わせの変化があり、文字幅の変化もあり、冠や脚などは上下に組み合わされていきます。まるでジグソーパズルを解いているような楽しさを感じることがあります。近ごろは、毎日100字近くの文字を眺めたり、いじったりしています。その繰り返される修正作業のなかでも、毎日何かしら新しい発見があるものです。文字作りの日々はなかなかゴールが見えないので苦しい作業です。其れだけに長い長い人生ゲームのようで楽しいのかもしれません。
 デジタル文字の制作には、いろいろな裏技が有るようです。しかし、書体デザインにおいての裏技のようなものは無いような気がしています。毎日、々、文字を見続ける事が技を磨くことへの近道なのでしょう。


NO-08 タイプフェイスと著作権

 著作権は制作された時点で発生する権利です。タイプフェイスにも創作性が有る無いに関わらず、まったくのデッドコピーでないかぎり著作権は発生すると考えています。ところが、タイプフェイスの著作権を排他的な知的所有権として確立する為には法律にしなければなりません。著作物としての文字の創作性を明文しようとすると、表現が難しく、文字の迷宮に陥ってしまうような気がします。ここにタイプフェイスの権利確立の難しさが複雑さがあります。今後、文字の評価方法を明確にするため、タイプフェイス学が発達し、かなり細かい文字の分析が期待されます。


NO-07 良いタイプフェイス

 文字を読む人達にとって、タイプフェイスの善し悪しは好き嫌いや読みやすさが基準になります。しかし、タイプフェイスデザイナーは、書体の良さをを判断する別の基準をもたなければ、書体をデザインすることは出来ません。文字の良さ素晴しさを理解することは、新しい書体を作りたいと思う動機につながってゆきます。私にとっての基準のひとつは、芸術文化としての品格を備えているかどうかです。
  日本の文字は何千年もの永い時間を芸術文化と共に使われ進化しています。文字デザインという創作活動は過去に培われた文化、思想から逃れようがないと思うからです。数多くの書体が現われ、また消えて行きました。最近では復刻される書体も登場しています。長く使われる書体が良いタイプフェイスといえるかもしれません。


NO-06 匂いの記憶

 森の木々を見ている人は森の心を見ることはできない。森の心を知るには、その空間に身を置いて木々を見るのではなく、ただ森の匂いや光を感じることが唯一の方法だ。
 さらに、森の心を人に伝えることもそう容易なことではない。目や耳に口があれば、饒舌に森の姿を語ることもできるだろう。たとえ感動をひとに言葉で話しても伝えきれるものではない。匂いによって伝えられる情報は、目や耳によって得られるものよりずっと速く、大量で、原初的なものだ。匂いはものの実態や感動をひとに確実に伝えることができる。
美術品や茶碗や壷なども、使ったり触ったりして物の匂いを感じ取ることで感動が伝わっていく。視覚や触覚のすべてを使って物をめで、匂いを感じ取っている。一瞬でも匂いを感じることで、ひとは自分の過去の記憶も、過去生の記憶さえも取り戻すことができる。
 私たちが素晴しい風景を見たときに感動するのは、きれいな風景だから感動するのではなく、風景の裏側にある何かを観ているはず…。


NO-05 クローン人形

クローンイラスト

 生命は自然の中から発生したものです。発生した場所から隔絶されて存在できるものではありません。人工干潟を造って渡り鳥を移動させようとしても、鳥はもう干潟には戻ってきません。モンゴルの草原を畑に変えようとして耕すと、畑にはならずに、草も生えない砂漠になってしまうそうです。渡り鳥にも、モンゴルの草原にも、それぞれの歴史があるからその場所で生きて行けるのです。
 人の心の中にも、代々受け継がれる自然の歴史がなければ生命として存在できません。ただの物質になってしまいます。クローン技術で人間を作ろうとする行為は木偶人形を造り出すようなものです。また、人類の奴隷を作り出すことにもなりかねません。クローン技術の利用は、植物や医療目的に限定すべきでしょう。


NO-04 ウェブはウェーブだ

クモの巣イラスト

 インターネットで良く聞かれるWWWは、ワールドワイドウェブの略語です。ウェブとはクモの巣状の網という意味があるそうです。インターネットの世界ではパソコンの相互通信によってウェブのように世界中の人々がデジタルでつながっています。
 人間同士のコミュニケーションに於て、物理的な会話をしているようでも私たちは意識のウェブの中にいます。人と人との会話は、音声としての言葉のやり取りではなく、過去・現在・未来の意識のウェブにつつまれて会話をしています。デジタルよりも高度な記憶意識の波の振動をともなって思いを交感しているのです。
 1対1の関係ではなく、意識のウェブを介して世界中の人々とつながっているのです。地球の”文字文化”を考えてみると、様々な”文字”は人間の頭脳のみによって発生したとは言い難いほど、たいへん重要で、画期的なものです。”文字”は宇宙意識のウェブに包まれた人々の手によって創筆され、変容していくものではないでしょうか。


NO-03 喫煙症ですね

喫煙症イラスト

 子供の頃、小学校の道徳で人を外見で判断してはいけないと教えられました。しかし、人の心の状態は、顔や服装、行動に明らかに出ていることも事実なのです。髪を茶色に染めたり、ピアスなどを付けたりすることは自己顕示であり変身願望の現れなのです。この変身願望は子供だけの心理ではなく大人にも同じ心理が潜んでいます。タバコをたくさん吸う人は、吸わない人よりも不満や怒りを持ち易いという研究結果が、米国で発表されました。淋しさを感じやすい人は、無意識のうちに淋しさを解消しようとして酒を飲みます。ところが、アルコールには淋しさを増幅させる効果があるので、徐々に慢性のアルコール中毒に陥ってしまうのです。酒に溺れてしまう人の飲酒行動には何と悲しい心理が隠されていることでしょう。
  ちなみに、近ごろ米国では、ギャンブル中毒の男に障害者認定が認められ年金がおりたそうです。日本だけはこのような社会にならない様に願いたいものです。赤い服を好む人、黒い服を選ぶ人など、それぞれの性格や心の状態が反映した行動です。もし、人を外見で判断できないとしたら、その人は、人を見る目がないと言わなければなりません。


NO-02 癌が笑ってる

癌イラスト

 腹八分という言葉があります。最近の動物実験によれば満腹状態の食生活をしないで、食事は控えめに取ったほうが癌になりにくく長生きできるそうです。われわれ人間の脳細胞の90%は、使われないで一生を終ってしまいます。パソコンのCPUやメモリーも、その能力一杯に使わないほうが長持ちするようです。しかし、早飯の人、すぐにカッと怒る人、若いのに能力を出しきって頑張ってしまう人などはあまり長生きしていません。ということは人間でも機械でも、機能が複雑になればなるほどバックボーンとなる秘められたポテンシャルを大切に温存しているということでしょう。その反対の現象に、火事場の馬鹿力という特殊な例もあったりもします。何事も最高の幸せや満腹感を味わうのではなく、そこそこの小さな幸せを感じて満足する事、それこそが人間にふさわしい生き方でしょう。


NO-01 海は地球を救う

海地球イラスト

 この地球上に存在する水は海水がほとんどで96.5%を占めています。地球はまさに海水に覆われていると言っていいでしょう。しかし河川や湖沼の淡水は、地球上の水の0.0075%にしかなりません。地下水を加えても1%にも満たないのです。 近年、ごみ問題が深刻になり、川や地下水がダイオキシン等の汚染物質で汚されようとしています。川や地下水を死の水に変えることは簡単です。このあまりにも少ない淡水である地下水が山間部に投棄されたゴミで汚染されたら、人に与える影響は計り知れません。ですから、ごみを山間部に投棄することは今すぐにやめるべきでしょう。むしろ、ごみは海洋で処理する道を選ぶべきです。海はそれを許容する大きな力を秘めています。海はまさに母なる海、人類の未来は海洋開発にかかっています。